3ヶ月前位から母のことで色々な話を聞いていた。
先週、施設から預かるための条件を言われた家族から連絡が来て、つまりは預かりきれないということで、入院という選択肢を取らざるを得なかった。

診察までの間、母の様子を見ていると“主治医がいる大きな病院”だから?大声を出すことはない。ただ目に映るものに対して何かを言う。耳障りだし、相手に聞こえたら不快になるだろうけれど、認知症だからと流すことができる。
それは今、私が週に1日行き始めた仕事の分野で当たり前のように繰り返される光景なのだが、常態化しているのは今まで書いたように進んだと判断されるのだろう。その判断は施設に任される。

どうやら母は施設を“小さな病院”と思っていたらしい。だから主治医がいないのに薬を“飲まされる”ことに抵抗した。これでは施設もお手上げらしい。いわゆる服薬拒否で、そうなると夜間の異様なトイレ(せん妄)対策も取れなくなるよな…と、病院に繋ぐしかない旨を共有した次第。

母にとっての安住の場とはどこなのだろう。
在宅の時からせん妄に伴う小さな徘徊を夜間・早朝に起こしては入退院を繰り返していた。施設向きなのはお母さんじゃないかと言われていたが、実際は真逆で、父の方が馴染んでいる。
診察を待っている時の母のウキウキ加減は何なのだろう?普通なら、主治医に入院を言われて少しは抵抗しても良さそうなものなのに「はいっ」って…。

確かに施設という新しい環境で、人見知りの強い母は頑張っていたのだと思う。口癖だった「わたし、頑張る」はもう、言わなくなった。
梅雨時から夏に向かうと均衡を崩す母の入院手続きをするのは何度目だろう…と、にわか雨を病院で見ながら反芻する。



連休中、母方の叔父からトマトが届いた。母のことを連絡すべきなのかまだ、迷っている。