実はあります。城というのはいくつかタイプがありまして、平城、平山城、山城の3つに分かれるそうでして、今回ご紹介する鴻ノ峰城は山城に当たります。
ちなみに鴻ノ峰の麓にある山口城跡(今県庁があるところ)は完全な平城ですね^ ^
で、そんなこんなで友人と遊ぶついでに登ってきました。
と言ってももう3月のことですが…
でも途中には
一応説明しますと、高嶺城は大内氏のラストエンペラー、大内義長によって築かれた山城でして、毛利氏の防長侵攻を見据えた急造のお城でした。陶晴賢が宮島で毛利氏に敗れたあと、毛利氏は防長侵攻を開始。次々と毛利氏は周防国を制圧し、結局この高嶺城から大内義長は長府へ逃げます。その後、義長は元就に謀られ、命を終えました。そんなこんなで毛利氏は防長両国を制圧し、今度は九州の大友氏と戦を交えるようになります。
そんなとき、大友氏は毛利氏の後方かく乱作戦として、大内氏の血を持つ大内輝弘を周防国に派遣。秋穂から山口に入った輝弘は毛利氏の家臣、市川経好が守る高嶺城を攻めます。
しかし!市川経好は毛利氏に従い、出陣していたので不在でした。そこで高嶺城は経好の妻が指揮をとったのです。戦国版北条政子みたいです笑
そんなスーパーウーマンのおかげで高嶺城は大内輝弘に渡ることなく、結局大内輝弘さん乱も失敗に終わります。
その後高嶺城は一国一城令により廃されましたとさ。
この辺の説明はヤマグチポッター様のブログに詳しく!分かりやすく!説明されていますのでそちらをご覧くださいm(_ _)m
で、さっきの説明板からまたしばらく登りますと、高嶺城の主郭部につきます。
これがまたなかなか趣があるのです。整備された天守閣のある立派な城とは違い、正に戦うための城という雰囲気が漂っていました。結構古瓦や、石垣が残されていて、なかなかいい史跡だと思います。
これがまたなかなか趣があるのです。整備された天守閣のある立派な城とは違い、正に戦うための城という雰囲気が漂っていました。結構古瓦や、石垣が残されていて、なかなかいい史跡だと思います。
こんなものもありましたよ♪
そう。井戸です。なぜか戦国時代の井戸にポンプがついています笑これは友人がそのポンプを動かしているところです…もちろん水は出ませんが、下の方を見ると、結構深くて水も溜まっていました
んでこのあとは再び同じ道を歩き、下山。結構市民の方にも出会い、親しまれていることがわかりました。
そう。井戸です。なぜか戦国時代の井戸にポンプがついています笑これは友人がそのポンプを動かしているところです…もちろん水は出ませんが、下の方を見ると、結構深くて水も溜まっていました
んでこのあとは再び同じ道を歩き、下山。結構市民の方にも出会い、親しまれていることがわかりました。
登りやすい上に歴史も肌で感じられるのでみなさんもぜひどうぞm(_ _)m
そしていくつかお知らせです。
更新頻度を見て分かるように、近頃全く更新できていません。やろうと思えばできますが、高校生はなかなか忙しいです笑
しばらくこんな感じで暇なときに更新するという感じになりますがご了解くださいm(_ _)m
そして、熊本地震の被災者のみなさまには1日も早く、元の生活が送れるよう願いますと共に、私の好きな熊本が1日も早く復興するよう微力ながら、ほんとに少額ですが募金をさせていただきます。
ではまた次回^o^









