面倒くさいをやる

何年か前に、私のヨガの先生から
宮崎駿さんは、面倒くせぇ~なぁ~と言いながら、作品を描くと教えて頂いた。

その時は、面倒でもやるんだ、
面倒だからやるんだ、と思っていたが、
今朝、繋がった、
ようやく~ようやく~

愛知にジブリのテーマパークができたと、つけっぱなしのテレビから聞こえてきた。

そこで、
面倒くさいからやる、という言葉がビビッと電気を走るように、全身通った。
面倒でもやる、面倒だからやるでもなかった、、
表面的に認識していた自分にハッと気づいた。

面倒なんだよ、本当に、、、

面倒だと思うのは、あの、宮崎駿さんの描く作品集を見れば分かる。

繊細で大胆でもある、ひとつひとつの線やタッチにも、きっと強さや弱さを表現しているのだろう。それだけではなく、もっともっとあるのだと思う


あらゆる方向から、観る人、各々の人が、感動し心の奥のほうに響くのは、

面倒くさいをやっているからなんだと思う。面倒と思う自分を俯瞰しながら、

面倒を丁寧にひとつひとつ向き合いながら、ひとつの線にも、妥協せず

(例えばそれが主役とならない線、脇役の線であってもも、、脇役の線が沢山あって、完成する)

消しては、また描き、また、消す、描く、

紙が破れることも、紙が真っ黒く汚くなっても、



自分がこれだと思うところまで、探究し、向き合う、この時間をやれる人だけが、



面倒くせぇ~なぁ~という言葉を、言えるのかもしれない。



アシュタンガヨガの練習も、それに似ている。アシュタンガヨガの練習を再開しなければ、気づけなかった事だ。