息子が幼い頃、


私は、一生懸命仲の良い夫婦を演じ、


理想の家庭を装って来ました。


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 下矢印




その頃、ママ友さん達を我が家に招いて、


私の自己満足の食器や料理で、


もてなすこともしていました。





思い出すと、恥ずかしくてたまらないのですが、

そのテーブルセッティングを褒めてもらうと、


私、完璧主義だから手が抜けなくて〜


なんてことを言っていました。(恥)





ああ、恥ずかしい・・・


穴があったら入りたいです。


ママ友さん達の記憶を消したい!






私が「完璧主義」と思っていたのは、


自分の思い通りにしたい、


という幼稚な欲求でした。





本来の「完璧主義」とは、


職人や芸術家やスポーツ選手が


自分の作品や演技に対して持つべき考え方です。






日本には、「完璧主義者」が多いと言われています。


日本社会において、物作りや職人気質の


「飽くなき追求」を美化して来たからでしょう。





しかし私は、


劣化した「完璧主義」に


長年、毒されてしまったのです。





「こうしたい」「こうやりたい」ということが、


少しでも足りないと、


強い不満を感じてしまうのです。






そして、家族にも、家庭にも、


その間違った「完璧主義」を


持ち込んでいました。





綺麗に盛り付けた大皿料理を


平気で崩して食べる夫に


とても腹が立ちました!






綺麗に掃除した洗面台を


夫にすぐに汚されると


怒り心頭でした!






料理も掃除も、


本来は家族のための貢献や献身なのに、


私は、自己満足のための


道具にしていたのです。(泣)






家事で自己満足を得ようとする、


私の間違った「完璧主義」は、


私の幼稚で稚拙な心をよく反映していました。






勉学や仕事ならともかく、


その小さき「自己満足」は、


まさしく私自身の心の小ささだったのか!


とわかると、ガックリ来てしまいました。(泣)









この間違った「完璧主義」を


人間関係や家族に、まして子育てに


持ち込んではいけなかったのです!





その道は、息子の「不登校」へと続いていました。





息子の不登校問題と向き合いながら、


夫に対して、子供に対して、


私の満足を求めるのは、


「完璧主義」や「自己満足」を逸脱した


「依存」であり、「失敗の素」である、


と、やっと気づきました。






それから、


「完璧主義」は、100%か0%、100かゼロかの


極端な考え方に陥りやすく、





最初から満足のいく出来栄えを求めて


課題になかなか着手出来なかったり、





完璧が得られないとわかると、


すぐに諦めてしまったり、





結局は、失敗しやすい考え方なのです。








そこで私は、


「6割主義」を採用しました。


何事も6割できれば大成功!


という、ゆる〜い考え方です。






部屋の掃除も、6割できていればいいやー、


四角い部屋を丸く掃き、


部屋の角は次回ね、


1回の掃除時間は短くなり


気持ちが楽になりました。





気持ちの負担が減ると、


余裕が生まれて、


結果的に掃除の回数が増えました!





以前よりも「綺麗」がキープされています。






6割なのに、結果は8割以上?!


不思議ですね〜


6割✕回数=限りなく満足に近づく!





要するに、気持ちに余裕を持つことが


重要だったんですね。





余裕が出来れば、


良い結果を生み出せる、ということです!






生活するということは、汚すことだ!


と、考えられるようになり、


夫が汚しても、腹が立たなくなりました。


そのうち掃除しよーと何も言わず放おっておくと、


夫が自分で拭いていました!


こんなに変わるものなのね・・・






それまでは、なかなか手が着けられなかった


捨て活がずいぶん進むようになりました。





あんなにこだわっていた、


食器のテーブルセッティングも、


大量の食器を捨て活できたことで、


極めてシンプルになりました。





6割主義のススメ、です。