フェイク 第1243号 (発行=11.09.28)



御書全集を「発行禁止」処分に
軍部に媚びた宗門、権力と戦った学会 ④
「本地垂迹説」を取り下げ、不使用を通達




 日蓮正宗は「御観念文の改変」の院達を出した二日後の昭和十六年八月二十四日、御書の刊行禁止と本地垂迹説の不使用の院達を出した(下の図を参照)。

 御書は現在の私達が唯一、日蓮大聖人の御精神に触れることのできる御遺文集である。その御書全集を発刊禁止にするという大謗法を宗門は犯したのである。

 通達の内容は以下の通りである。

「一 御書刊行ニ関スル件
 宗祖日蓮大聖人ノ御書ハ 鎌倉時代ノ国情ノ下ニ御述作遊バサレシ為現下ノ社会ノ状勢ニ於テハ却ツテ宗祖大聖人ノ尊皇護国ノ御精神ヲ誤解スル者アルニ鑑ミ御書全集ノ刊行ハ今後禁止致シ 本宗依用ノ祖書要典ヲ新ニ発行スルコト」

 通達によると、御書は鎌倉時代という特殊な状況で御述作されたものなので、その精神が誤解される恐れがある。そのため御書全集の刊行は禁止するというのである。

 しかし、これは全く禁止の理由にはなっていない。

 もしも、本当に誤解されることを心配していたとすれば、大聖人の意を汲んだ正確な解釈をすればよい。

それだけの理由で、わざわざ御書を発刊禁止にする必要はない。

 実は、宗門が、御書を発刊禁止にするほど恐れたのは別のところにあった。

 それは、御本仏・大聖人の一閻浮提の一切衆生を救済する広大無辺の御境界が、当時の狭い国粋主義と摩擦を生じることになりはしないかという点である。

 その証拠に、国家権力を恐れた宗門は、大聖人の御精神を卑屈にも「尊皇護国ノ御精神」と歪曲している。

 特に、宗門がひた隠しにしたいのが、本地垂迹説であった。その不使用の通達は以下の通りである。

「二 垂迹説ニ関スル件
 本地垂迹説ハ一般仏教ノ通途ノ説ニシテ宗祖已来日本国所立ノ仏法トシテ任ジタル本宗ハ第一義ニ於テ依用セザリシハ勿論ナレドモ 方今世上ノ論議ニ顧ミ一層此点ニ留意徹底セシムベキコト」

 ここで宗門は、本地垂迹説を第一義的に使用しないよう通達している。


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 本地垂迹説とは、仏が本で、神が迹という考えである。この教義は当然、天照太神を絶対的存在とした当時の国家主義の思想に真っ向から逆らうことになる。

 軍部権力の弾圧に怯(おび)えた宗門は、自ら本地垂迹説を取り下げることにより、事実上、権力の前に屈服した。のみならず、信心の根幹である御本仏・日蓮大聖人まで否定し、七百年来の正法を滅尽させたのである。 (つづく)





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