七面堂九齊のしちめんどくさい話★とんだりはねたり -1674ページ目

若さま侍捕物帖(1)

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あっしのブログの顔写真にもしています、遥か昔…まだ時がゆっくり流れていた鼻タレ時代…

まさしく「三丁目の夕日」の時代…。

まだテレビも普及してない庶民の娯楽といえば映画カチンコでした。

あっしが住んでいた町には周辺に3軒ほど映画館がありました。

当時、商売をやっていた実家はこの映画館のビラに宣伝を出していました。なので毎月「ビラ下招待券」なるものが20枚ほど来てまして、日曜日ごとに3軒の映画館を周り、映写室の横や、館内と通路の仕切りにあった引き戸の桟の上に腰掛け映画三昧の日々でしたが、一番好きだったのがチャンバラ映画全盛の東映時代劇でした。

「総天然色ワイドスコープ」

こんな字がスクリーン…いや銀幕に躍ってました。

この時の思い出がそのまま、今の歴史オタクの背景となっています。(*^-^)b

…続く。

本日、美智子皇后陛下誕生日

城ネタを一休みして…。

今日は美智子皇后陛下の75回目のお誕生日を寿ぐ日です。

私、遮那佛は陛下の御母上様と直接話した事があるんです(汗)。

また香淳皇后の従姉妹様とも…。

実は、1980年からの17年間、遮那佛は東京港区の白金台で鰻料理屋兼弁当屋で営業として働いていたわけで、その関係上すぐ近くの池田山にご自宅があった日清製粉社長の正田英三郎氏宅にお伺いしてたわけで、「話した」と言ってもお客様と業者の関係ですがね(苦笑)。美智子皇后の弟さんの方にも、よく行きましたし、日東坂の某マンションにお住まいの香淳皇后の従姉妹である旧五摂家:二条さん、大岡忠相の末裔で当時味の素関連会社の社長だった大岡忠輔氏宅や目黒三田の忍藩主家だった松平さん宅とか長者丸の旧田野口松平の大給さん宅とか…。

思いだすと実に多彩な方たちと接していました。

高松宮邸にも三笠宮邸にも目黒衾町の浜尾侍従邸にもお伺いしたことがあります。

この17年間の弁当屋時代の話はまた別の機会にいたしましょう(笑)。

信玄五女・松姫の話し

本能寺の変で最愛の信忠を失った松姫は、同年秋22歳で八王子心源院にて出家、信松尼と名乗り信玄・信忠・盛信らの菩提を弔う傍ら、近在の子ども達に読み書きを教え、旧武田家家臣の多くからなる八王子千人同心の心の拠り所となる。

歴史の表舞台から身を引いた信松尼に再び出来事が起こる。
それは異母姉の見性院(信玄2女・母は正室三条夫人で穴山信君正室)が養母となっていた将軍秀忠の末の男子・幸松丸を養育し立派に成長させる事!

この幸松丸こそが、後の会津若松松平家々祖となる

保科正之

その人なのだ。

三代将軍家光の弟で四代家綱の後見人。

奇しくも正之は初め、松姫・菊姫の実兄盛信が城主であった信州高遠城の城主・保科正光の養子となり高遠城主を継ぐことになる。

★見性院(1545-1622)
…松姫・菊姫の異母姉。

彼女は歌舞伎「本朝廿四考」のヒロイン八重垣姫のモデルと言われている。