私が生まれて30年とちょっと。

いろんなことがそれなりにあったかなーと思う。

どんな場面にも、どんな人との出会いにも
必ずと言っていいほど、私の人生にはあなたの世界がそばにあった。



きっと、生まれてすぐ、言葉も知らないうちから、ゲーム大好き人間の父親がプレイするドラゴンクエストを見ていたり、ソフトの箱を眺めていたでしょう。
もしかすると、すでに母のお腹の中に居た時に、あのサウンドを聞いていたかもしれません。

保育園の頃にはすっかりアラレちゃんが大好きになり、道端でうんちをつついたり、キーンと走り方を真似しては、家の中を破壊しました。

小学生になると私は野球にひたすら打ち込みました。
毎日放課後にはチームの練習に行き、ほとんど放課後に友達と遊んだ思い出はありません。
けれど、練習から泥まみれで帰って来て、夜勤の母が作って行ってくれたご飯をムシャムシャ食べながら、ケーブルテレビで再放送されているドラゴンボールを父と弟と3人で見るのが習慣で、それがその頃の小さな幸せでした。

そして同じ時間に再放送を見ていた友達と学校で真似して遊ぶのです。
ひとつ特別に忘れられない思い出もあります。
クラスの無口な女の子に描いてもらったスーパーサイヤ人3の悟空の絵です。
きっとドラゴンボールなんてあんまり知らないはずなのにめっちゃくちゃ上手く描いてくれたんです。
たまらず好きになりました。

ドラゴンボールのバトルゲームもたくさんプレイしました。私がいつも使うのは悟空とミスターサタンがポタラで合体したゴタンでした。

中学生になる頃、父と母が離婚してしまいました。
家が近かったので、たまに父のワンルームの家に遊びに行きました。
そこで思春期の扱いづらい私と何を話せばいいのか少し言葉を探しながら、父はドラゴンクエスト8をやっていました。喋らずとも私は、父のゲームする姿が見たかっただけだったのです。
父が付けた主人公の名前は私と弟から名前を取った"かずたか"だったのを思い出して、また目頭が熱くなります。
もう2度と戻れないんだよな。

私は学校の授業なんて全く聞いてませんでした。
どうすれば上手くスーパーサイヤ人3が描けるのか、思えばずっとノートや教科書に描いて研究していました。
でも、別々の中学になってしまったあの子が描いたように上手くは描けませんでした。

高校生になると、私はバンドを組んでそればっかりになりました。
もちろんバンドメンバーとの会話でも、ドラゴンボールを例えに話したり、フィーリングが大切な仲間との会話に当たり前のように存在していました。

高校を卒業し、ロックを続けたくてミュージシャンを目指し、家を離れました。
そこで、人生のなかでも指折りの出会いを果たした仲間とは、さらにドラゴンボールでの例えで話す事が多い、超楽しいロックンロールライフを味わいました。ギャルのパンティお〜くれ!っとか言って。
後にその仲間と一緒に上京するのでした。


アルバイトをしていた名古屋発祥の本屋さんで、さらに漫画というものへの興味が深まり、よりもっと、あなたの世界に愛情を深めることになりました。
後に妻となる女性とはそのアルバイト先で出会い、アラレちゃんの話を業務中にたくさんしました。
やがて、一緒に暮らしてドラゴンボールも2人で見ました。
悟空がじっちゃんと一度だけ再会できるあのシーンで、私の横で妻の流した涙はきっと一生忘れません。

妻との結婚式では、ロマンティックあげるよをBGMにして高まる気持ちで涙が出そうになりながら、ヘンテコな笑顔で2人、ケーキを頬張りました。








いつかこんな日が来るのは分かっていたことです。

分かっていたはずだったんです。

最初に知らせを知った時、私はなんだかよくピンと来ませんでした。

2度と戻れない不思議な温もりのあった幼少期も、悩みも喜びも200パーセントだった学生時代も
、人生の難しかった時も、絶好調に幸せだった時も

あなたの世界がそばにあったことを、私は今日まで
当たり前のように過ごしていたのです。

急にお別れの日になりましたね。

お会いすることは叶いませんでしたが、あなたの描いた世界は、私の人生のあらゆる場面に額縁に入れて飾られていたことにようやく気がつきました。

私は、あなたの居た世界に生まれて来れたことがとっても嬉しいことだったってようやく分かりました。

真面目では無かったかもしれません。
でも一生懸命生きて来てよかったと今日は心から思えました。

この止まらない涙はなんなんでしょう。
名前の付けられない激しい感情が心を破き、体の中で迷ってしまって、ようやく見つけた目という窓から溶け出てしまったかのように、繰り返し溢れ続けます。

きっとこれからも、あなたの世界と作品がどこかで私の思い出のように、誰かの大切な思い出や心と結びついて生きて行くことでしょう。

今日はやけに夕日が綺麗でした。
あの夕日に何か思う人は私ひとりではありません。

長きに渡って本当に素晴らしいご活躍でした。
よくみんなが使うお悔やみの言葉は、私がガキンチョで使い慣れていないので上手に使えません。



ずっと愛しています。


バイちゃ


妻が描いてくれた界王様風の私の似顔絵。当時金髪でセンターパートだった2018年頃作。