いつからこの家にたどり着いたのか。「島忠」の売り場にいたのだが、ある日、若いお兄さんに買われて、この家に来ることになった。本当はネオンテトラという立派な名前があるが、この家の主人は「メダカ」と言っている。普段は「ダーウインが来た」を見ているのだから、もう少し命名をしっかりしてほしいのだが、この人には「メダカ」としか見えないと思う。

 なんでも、最近 you tube に出たのが嬉しいらしく、ユーチューバーにでもなったつもりで、家族に見せて喜んでいるが、家族はあまり関心を持たないばかりか、あまり見られていないらしいので、いよいよ、ここに出させることになったらしい。それにしても、「めだか」と間違えるのはまだいいが、サンマと間違えるのは困る。

 このタイトルは「悩める人の守護天使さんま」というのだが、「ま」がつく3人のまこと、マッキー、マッシーの3人が悩みの相談に乗ることになっているのだが、マッシーが上から目線で気取ったことばかりしか言わないのはけしからんとまことが言いだして、私が出ることになったらしい。マッシーが気取ってかけないことを、私は書けばよいらしい。

 大体、私を「メダカ」と呼ぶには少しは関心があるらしいが、自分のことばかり心配している。もう一歩というところで手抜きをするから、この前も転倒した。娘に「生活リハビリ」だと思ってしゃがむ練習をしろと言われているが、杖で操作するのがうまくなり、それをやりすぎると転倒することになる。朝のラジオ体操をこまめにやっているが、転倒すれば元も子もないことを知っていても、すでに3回も転倒している。

 

 

 

 少しの間に、コロナの影響が大きくなっています。全国に緊急宣言がなされ、不用不急の外出は出来なくなりました。重症化しやすい高齢者の一人である私は、外出を控え、家に閉じこもっている毎日です。

 

 そのような中で、サイコドラマのように、10人前後が集まり、話し合いをして、ドラマを演じるようなことは、出来なくなりました。こんな時にこそ、サイコドラマが必要なのに。どこへも出かけられなくても、ドラマの世界なら「どこでもドア」で世界一周も可能なのですから。

 

 今、書きかけのサイコドラマの原稿をまとめるには、いい時間が与えられています。本を書くには、この時間が貴重です。改めて原稿を読み直して整理することが出来ました。娘たちと一緒に書いているうちに、いいカゲンにまとめないで、きちんと皆が役に立つようなまとめる気持ちになりました。まことさんが言っていたことです。

 

ルーテルを退職した時に最終講義ならぬ最終ソシオドラマを企画していたのに、その前日に311震災が起こり、改めて、私が生まれる1か月前に、やはり東北の地震と大津波があったことを知りました。そして、今回の災害の原因となった原発のない世界を作る為にどうするかを1年かけて考えて、シナリオを書き直したことを思い出しました。

 

そして、今、改めて、サイコドラマの役割を考えています。コロナのヴィールスのおかげで、考える時間を与えられた気がします。ラインで、遠く離れていてもできるサイコドラマも考えています。先日、試みてみましたが、まだまだ問題点がありますが、顔を見て話し合えることが出来ました。医療崩壊をしないように、今外出をしないことと、それでも話し合いが出来るサイコドラマを考えることです。

 

サイコドラマでは、皆さんと一緒に、この状況をどう乗り越えるかをシェアするだけでなく、サイコドラマで、それぞれが行きたいところに行くことにしました。私は、YMCAの東山荘に行って、富士山を見ながら瞑想をしました。まことさんとマッキーは何をするかな?もし、ドラえもんの「どこでもドア」があったら、何処に行きますか?

 

 

 

 

海苔ひげマッキーです。

 

随分前にブログしたのですが、

マッキーが小学校1年の頃でしたが、当時は、ジャージはなく「トレパン」という木綿製でしょうか白いズボンで登校でした。ただ、このトレパンは遊んで転ぶとよく膝が破れるのです。そこでマッキーの母親が、長方形の大きな膝当てをミシンでバリバリ縫いつけたのです。

 

マッキー小学校1年生ある日の昼休み、マッキー1年生が校庭で遊んでいると、我がクラス玉山すみ子ちゃん同じ1年生が、マッキーの膝当てを見て、指さして「あ~まきくん 膝に雑巾つけてるー」とまた元気な声でいったのでございます。

 

まことさん、マッシー爺、お二人が小学生時代に同じことになったらどう思います。

「雑巾つけてるー」ですよ。これは下手すると「い・じ・め」になって、クラス中から「雑巾」「雑巾」って言われちゃうかもしれませんねぇ。

 

ただ、この時マッキーは阿保なのでしょう。その時、玉山すみ子ちゃんに対して、なぜか、「そでしょ、かっこよいでしょう・・・!!」と母親の膝当てすごく気に入ってたんです。

 

でも、大人になった今は、他の職員や学生から非難されると気に病んでしまうんです。

あの時の「膝当てかっこいいなぁ」の自分がいなくなっちゃってるんです。

 

でも、最近はそんなトレパンの大きな四角な膝当て思い出して、自分のやっていることを

人がどう言っても「すごいだろー、かっこいいー」とそんな自分を大事にしようとしてるところもあるかな。

 

だから、まことさん、マッシー爺の「心理劇」も、マッキーの「心理学」もあまり役にたたない。やはり、卓球と、美人の心理士と、ブックオフやコンビのお弁当と・・

そして、心のフラフラじゃなくてふあふあふあーだよね。いいねそれ!

 

 

 

 

マッシーは‘あるがまま’ではないよ。もっと自分の事をブログに書いてほしいな。

他人の心は分析できるのが精神療法家。他人の心は分析できるけど、自分の心はわからない。

それでは、自分の妻を殺した犯罪心理学の準教授と同じだよ。

分析家は冷たいな。無意識とかロールシャッハを勉強しているけど。

自分の妻の気持ちはわからなかった。

そして“働かないものは、食うべからず”の信奉者なんだ。

稼げる人は植松には刺されませんからね

 

そんな調子だから、分裂病の人に、「危機は成長のチャンス」だと言えるんだ。

サイコドラマは家族みたいだなんて言えるんだよ。

それは、追っかけの人に合わせた自慢話だよ。無責任だよ。

自分の娘は、父は理想ばかり言って家族のことは考えていないと言っているよ。

娘はヒルベルのように、ある時に父親を見捨てて居なくなってしまうよ。

 

マッシーは死ぬまでうぬぼれるなら、分裂病に共感するためにデイケアに行けばいい。

共感的理解ナンチャラカンチャラ偉そうに言うのなら、デイサービスでも有料老人ホームに行けばいいじゃないですか。

 

まことは、心理劇人間にならないで、楽しく卓球をしたらいいですね。

美人で可愛い心理士とのお話を楽しむことだ。

ブックオフやコンビニの弁当を楽しむこと。

まことの心はふわふわふわふわであって、フラフラではないのだから。

 

天下のマッシーにこんなこと言えないけれど、

心理学のマッキーが何とかしてくれるよ、きっと。

 

 

 

 

 

 二人からの返事が来て、それに応えようと思います。今、まことさんが言うように、日本中がコロナヴィールス騒動に巻き込まれています。この状態に対して増野式サイコドラマは何が出来るかが問われているのですね。

 

 同時に、テレビでは9年前の震災のニュースも流れています。その時の恐怖から抜け出せないで、再び不安の中に投げ込まれている人もいます。震災の後、私はサイコドラマがその不安を軽くするのに力を貸すと考えて、東北の宮古や福島のいわきに出かけてサイコドラマをやったことを思い出します。

 

 先日のサイコドラマでは、ある人が、自分は虐待を受けていて家族と食事をしたことがないから、家族と一緒に食事をするシーンをやりたいと申し出ました。それを可能にするのがサイコドラマなのですからそのシーンを演じました。その人はとても喜んでくれました。ところが、もう一人の人が、私は家族がいない。しかし、このメンバーは家族のようなものだから、ここに来れば安心できるのだと言いました。これも、とても嬉しい体験でした。そんなグループを作りたかったので、震災の後を訪れてサイコドラマをやったのです。

 

 ある精神科の病院のサイコドラマでは、メンバーの一人が「入院して良かった。このサイコドラマに参加するのが楽しみです。これに参加すると、入院して良かったという気持ちになれます」と言いました。とても嬉しかったです。

 

 このようなサイコドラマにしたのは、まことさんの注文があったからなのです。「先生のサイコドラマは操作しているからいやだ。もっとあるがままにやらせてほしい」と言われて、そのようなやり方をいろいろ考えているうちに今のサイコドラマが出来たのです。まことさんにはまことに感謝しています。

 

  どこにも行けなくなっても、サイコドラマなら大丈夫。外国にも行けますし、ディズニーランドも健在です。「どこでもドア」もあるので、過去にも未來にも、宇宙にでも行けるのです。まことさんはどこに行きたいですか?