ママが白血病になりました。 -2ページ目

ママが白血病になりました。

2012年12月
突然、最愛の母が急性骨髄性白血病と診断され、
2013年5月に旅立ちました。

二人三脚での死闘、今の私(娘)の想いなど。
いろんなこと、書かせてください。

先日ちょいと東京に戻り、素晴らしい桜の下で、一周忌の法要を行ってきました。




母が旅立ってしまったのは5月2日でしたが、こちとら観光業、GWの最中に休める訳もないので、だいぶ前倒しでやっちゃいました。
親戚に加えて母の仲間もたくさん来て下さり、賑やかでした:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
ぶっちぎりで最年少の私が施主なんてね、皆さん相変わらずハラハラしながら見守ってくれてた感じで、法要後のお食事で私がご挨拶したら、「よく頑張った!」て拍手なんか上がったりして(笑)
なんか相変わらずです。皆に心配されて、見守られて、「一同の娘」みたいな面白い空気になるんです。笑

その挨拶の中でも話したけど、
3年前の4月に、私は沖縄に移住しました。引越しには母も一緒に来てくれて、1ヶ月くらい沖縄のアパートで一緒に過ごしました。
2年前の4月には、私の一時帰京で、東京で一緒にお花見をしましたチューリップピンク今はアメリカにいる親友2人も一緒で、母と4人でね。
で、去年の4月、桜が満開の頃は、ちょうど母の一時帰宅でした。家の前の桜の下で、母と第二の母のツーショットも撮りました。
で、今年の4月にはもう一周忌なんて。 何ですかね~この展開は…。
ジェットコースターもいいところです。

で、法要の後に第二の母と話していたら、ちょっと印象的な話がありました。
1週間くらい前に、うちの母や第2の母の高校時代の仲良しメンバーで久しぶりに集まったんだそうです。
いつも輪の中心にいたうちのママのこと、「なんでこの場にいないんだろうね~」って皆で話してたって。(^ー^)

で、話は「もし昔に戻れるとしたら、いつの時代に戻りたいか?」って話になって、みんなあーだこーだ言ったけど、第二の母が「でも、戻ってもまた同じ人生が待ってるんだとしたら、もういいわぁ(^ω^;)」て言ったら、「それもそうだ」って、皆同じ意見に落ち着いたとか。笑

でもその時、第二の母は思ったらしい。
もしあの場にうちのママがいたら、「同じ人生が待ってるなら、是非もう1回やりたいわ!」って言ったんじゃないかな、って。晴れ

「ママは本当に自分の人生を生きたと思うわ。だからそう言うと思う。私はママのそういう所、羨ましいのよ」って、言ってました。50年来の大親友が。

私も、うちのママはそう言うと思いました。
実際、いつか似たような話をしたことがあったよ。
私は同じ人生ならもう1回やりたい、そしたらまたママの子になれるしまた楽しい~♪とか言ったら、ヤレヤレ┓( ̄∇ ̄;)┏ っとか呆れながら笑ってましたけどね(笑)

でも今の私は、どうかなぁ。
また同じ人生はいいけど、楽しい30年間の果てに、あの地獄の5ヶ月間が待ってると知ったら、どうかなぁぁ…
な~んて一瞬思ったけど、やっぱりそれでももう1度、ママと過ごせる30年を選ぶんだろうな。
不毛な考えが過る夜でございます。

沖縄は連日25℃近く、だいぶ暑くなってきました!
相変わらず仕事漬けだけど、とにかく目の前のことだけ頑張ってる日々です。
まぁもうそれでいっかなって。先のことなんか何もわかんないもんね。




はぁ、母にもう1年近くも会ってないなんて。
ホントに嘘みたい。( ´_ゝ`)