「着信ナシ」という題名の携帯小説を書いたら流行るんじゃないかと本気で考えているおバカな私。

だけど某携帯小説には勝てそうにもない。

私の通う高校でも携帯小説が全盛。ギャルギャルしい方々が某携帯小説を読んで「自然に涙出てきちゃった~」とか、「あんな彼氏欲しいよね~」とか「鍋食べたいよね~、鍋」などと言っているのを聞くと虚しくなる。鍋食いたいとは言ってなかったけど。

そして、試しに「某」を読んでみて絶望する私。

色々と不思議で、色々と面倒くさくて、色々と間違ってるような気がする今日この頃。

T君、お元気ですか。

今週は映画を3本観たが、どれも当たりで大満足。

その中でも期待せずに観た「アドレナリン」がバカバカしくて良かった。

実はこれを観る前に「バベル」を観て、その重厚な感じに溜息をついていたのだが、この映画を観た瞬間そのギャップに愕然とした。

ノリに任せた一直線のドンパチ映画だけどバカバカしさに徹してて変に気取ったりしてないし、映像表現も独特。ちょっと短めだけど、何にも考えずに観れるからストレスもなし。「グランド・セフト・オート」をやってるような感じだった。

それにしても「舞妓Haaaaan!!!」は良い。最後にテンポが落ちたのは残念だったけど、それでも充分すぎるほどのエンタメ作品だったし。

さて、次は何を観ようか…。第一候補は「かもめ食堂」かな…。

松尾スズキ氏の戯曲に「悪霊」という作品がある。

なんともよく出来たお話で、私はこの作品が大好きだ。

その中に登場する台詞の中に、とても考えさせられるものがあった。

「完全なる世界にようこそ」

ここで言う「完全なる世界」とは、人が思い描く理想的な未来のことである。

作品の中では、漫才師・ハチマンが「大きな家に、キレイな妻と子どもがひとり。平和で、慎ましくも幸せな生活」という「完全なる世界」を手に入れるため、下女に唆されて下半身不随の相方・タケヒコを殺そうとするのである。

私にも、そんな「完全なる世界」がある。

しかも、私のそれはハチマンの思い描くものと全くもって同じなのである。

だからこそ、私は作品の中で「完全なる世界」を手に入れるために堕ちてゆくハチマンを見ていられなかった。

ただの「フィクション」だとはどうしても思えなかったのである。

「完全なるもの」という「概念」そのものは存在するかもしれない。

しかし、現実には何の綻びもない「完全なるもの」など存在しえないのである。

「完全なる世界」に関してもそれは同じなのではなかろうか。

「完全なる世界」を追い求めたところで、結局はどこかに綻びが生じ、手に入れることはできなくなってしまう。

私の「完全なる世界」にとって、その綻びは私自身ということになりそうだ。

私の身体的、性格的欠点がこの先の未来「完全なる世界」を追い求める上で確実に障害になる。

そのように思えて仕方ないのである。

私はこれからどのような人間になっていくのだろうか。

そして私は、どのようにして「完全なる世界」を追い求めてゆくのだろうか。

手に入れられないに違いないという妙な「確信」がつきまとい、私はまたひとつ「無駄な人間」への階段を登るのである。

特に意味はありません。

ただの自慢です。

現ROH王者ナイジェル・マッギネス at 大阪府立第2体育館なのです。

画質悪っ。

私は無駄な人間だ。

最初の一文だけ読んで「ああ、この人は師走の寒さに負けた残念な人なんだ…」と思った方、ご安心を。私が「残念な側」の人間であることは確かですが、別に自分自身を「いらない人間」だとは思ってません。

自分の存在が世の中にとって必要か、どこかの誰かにとって必要か、などということに興味はないのです。

そんなこと考えたって仕方ないじゃないか。だって生まれてきちまったんだもの。

この年まで育てて貰ったからには嫌でもそれなりのポーズを取りつつ生きてゆかなければならないのです。

生まれてきちまったもんは仕方ない=それなりに生きなければならない=自分という存在の必要性なんて気にしてられねえ

というような式が私の脳内で成り立っているやも知れません。

……なんだかわからなくなってきましたが、とにかく私は自らを「いらない人間」ととらえた結果「無駄な人間」という表現をしたわけではないことは確かです。

人生に無駄が多い。

たかだか18年余りの人生ですが、私は心底そう思います。

しなくてもいいこと、言わなくてもいいこと、考えなくてもいいこと、悩まなくてもいいこと、知らなくてもいいこと。私は様々な「なくてもいいこと」に囲まれながら人生を送っています。

私のサブカルチャーへの興味、いわば「オタク文化ヲタク」という点も、私の無駄さ加減を表すものなのではないでしょうか。

アニメにも漫画にもゲームにも、作品そのものには興味がないのにそれを取り巻く環境や文化、政治、そして人々には大いなる関心があるのです。

サブカルの知識なんか持っていたって何の役にも立ちません。もう、無駄そのものです。

本来完全に自分次第であるはずの興味関心まで無駄だなんて、私は無駄末期なのかもしれません。

そしてここまで書いた何の面白みもない文章も無駄そのものです。

無駄を語ろうとすると無駄を生み出してしまう。

これは「無駄のスパイラル」と呼べるでしょう。

私はそんな、自分の無駄を抱きしめたい。

そしてなんとか肯定したい。

できることならカニ食いたい。

結局何が言いたかったのかもわからないまま、また時間を無駄にしてしまった感に苛まれる今日この頃。

嗚呼、日々是無駄。