小学校の国語の教科書に出てくる戦争ものの話で有名なのは、「ちいちゃんのかげおくり」ですが、
光村の4年生の教科書には、「一つの花」という話が載っています。
これがまた曲者というか、
読むのがとっても難しい話だと思います。
戦争ものの話といえば、
ちいちゃんのかげおくりのように、主人公が戦争にまきここまれて死んでしまうなど、
分かりやすい悲劇が描かれることが多いのですが、
一つの花はそのような描写がないので、わかりやすく反戦というテーマを読み取りづらくなっています。
というか、おそらく作者は反戦を大きく掲げた作品を書こうと思ったのではないだろうと思うので、
反戦がテーマの作品という前提で読むと、読み違える気がします。
この物語で一番難しく、また一番重要なシーンといえば、お父さんが出征のとき、
娘であるゆみ子に、プラットホームに咲いていた花を
「一つだけのお花、大事にするんだよう」
と言いながら渡す場面だと思います。
子どもにお父さんのこのときの気持ちに気づかせることが、単元を通しての目標かなと思います。
ネットで調べていると、とある記事に
一つの花=一つしかない命
命は一つしかないから大切にするんだよ
という意味で花を渡した
と呼んでいる記事がありました。
そのような見方が不正解だということはないと思うのですが、それだけだと読みが浅い気がします。
そもそも「一つだけ」というのは、ゆみ子の口癖です。
ゆみ子がおなかがすいたときに、
「一つだけちょうだい」と言うと、
お父さんお母さんから食べ物がもらえると思っています。
それを見たお父さんは、ゆみ子がおなか一杯食べることができないことを嘆きながら、
「みんな一つだけ。一つだけのよろこびさ。いや、よろこびなんて一つだってもらえないかもしれないんだね。」
と言います。
お父さんは、ゆみ子が食べ物や幸せを、願っても一つしかもらえないことがかわいそう
=たくさん与えたい、幸せになってもらいたい
と考えていて、
一つだけのもの=一つだけの命
という捉えかたはしていません。
お父さんは自分が戦争に行くときも
ゆみ子は、おにぎりを全部食べてしまい、
それでもおなかがすいたといって泣いていました。
それに対して、なにもあげるものがないお父さんは、
ゆみ子になにかしてあげたい、
満たされてほしいし、幸せにわらっていてほしいとずっと思っていたと思います。
そして、ホームのはしっぽに咲いている花を見つけて、
渡しながら
「一つだけのお花、大事にするんだよう。」
といいます。
当時は戦争が終わって幸せな時代がくるなんて見通しがなかったでしょうから、
これからも一つだけしかもらえないかもしれない娘に、
一つだけの幸せを大切にして、生きてほしいと思ったはずです。
そんな、子どもの幸せを切に願う親の心が描かれている物語だと思います。
それをはじめて読む子供ちに分かれって言っても無理ですよね。
だからこそ、それに少しでも近づけるように導いてあげたいなと思います。
最後のシーンでは、お父さんがあげたコスモスが一面に咲いている場所でゆみ子は暮らしています。
おとうさんは、「ひとつだけ」のコスモスをあげましたが、それが群生しているということは、そのように「一つだけ」しかなかった時代が終わり、たくさんの幸せに囲まれて生きることができていることを表していると思います。
なので、お父さんの、たくさんの幸せに囲まれて生きてほしいという願いがかなったことになります。
そのように、コスモスの数を食べ物や幸せの象徴とする見方も面白いかなと思います。