なんか、ウルマノフコーチのインタビュー、イエテボリワールドについての記述がちょっとおかしかったんですけど、あとで直さなきゃ。
と、思いつつ、またも新しい記事に取り組んでしまう灰原。
安藤美姫選手について、特集記事が、Golden skateに上がっていました。
タイトルは「Highs and Lows for Ando」。安藤選手の浮き沈み。
元記事はこちら→ http://www.goldenskate.com/articles/2007/042008.shtml
けして絶好調とはいえない昨シーズンでしたが、シーズン終わってこうして海外メディアに単独の特集記事が出るあたり、国外からも注目を浴びているってことで、やっぱりさすがだなーと思ってしまった。
今日は、この記事を日本語に書き取って見ます。いつもの言い訳ですが、灰原は英語力がなく、これからお目にかける記事は機械翻訳を日本語っぽく直しただけのもので、間違いがありえます。ぜひ、原文もご覧くださいね。



【Golden Skate:安藤選手の浮き沈み その1】



日本の安藤美姫選手は、失意と絶頂とを繰り返す、波の激しいキャリアを持っています。いままでの彼女の絶頂は2007年世界選手権での金メダルでした。東京で、彼女はディフェンディングチャンピオンであったキミー・マイズナー選手と、優勝候補筆頭であった浅田真央選手、キム・ヨナ選手を下しました。
「誰も、なんにもわたしに期待してなかったんです」と、安藤選手。「わたしはいつもどおりに滑って、スケートをして楽しもうとしました。ショートでもフリーでもノーミスだったので、とても幸せでした」
安藤選手は、2007-08シーズン、ルール改正のために、競技はずっと難しくなったと言います。「ジャンプの踏み切りについて、エラーエッジに大幅のダウングレードがされます。わたしは、ずっとやってきたのと違う方法で跳ぶように訓練しなければなりませんでした。ジャンプの修正はとても難しいです。ほかにもジャッジは、わたしのシットスピン姿勢は高すぎる、もっと低い姿勢で練習しなければならない、と言いました」
2002年から2004年まで、安藤選手はジュニアで目覚しい成果を見せていました。5つのJGPSで優勝。2003年、2005年には、JGPFで優勝。2004年には銅メダル。世界ジュニア選手権では、2002年に銅メダル、2003年に銀メダル、最終的には、2004年の金メダルに到達しました。シニアにあがってつぎの3シーズン、彼女はシニアGPSにエントリー、ファイナル進出はしましたが、表彰台には届きませんでした。2005年、2006年と、4位で終わりました。
彼女は、2006-07シーズンの緒戦、好スタートをきりました。エリック杯、スケートアメリカでメダルを獲得したのです。
しかし、モスクワでのGPF、ウィルス性の胃腸の病気にかかり、5位で終わりました。数日ののち、全日本選手権では2位に入りました。
そして2007-08シーズン、緒戦スケートアメリカを銀メダルで始めた安藤選手ですが、日本開催のNHK杯では4位。シニアにあがってはじめて、ファイナル出場を逃しました。安藤選手の転戦を困難にしていたのは、夏に催されたエキシビジョンマッチ、転倒したときに痛めた、肩の故障でした。
「肩はひどい捻挫でした。筋肉にも損傷があれば、今後手術が必要かもしれません。でも、手術からの回復には3ヶ月かかります。いま、わたしがスピンやジャンプの練習をするとき、ステップの練習のときでも、肩は痛みます。スパイラルのビールマンポジションのために、持ち手を変えなければいけませんでした。この修正も難しかったです。わたしは特別なエクササイズをして、毎日それをテープに記録して、練習のあとは、夜じゅうアイシングしていなければならないんです」
安藤選手の肉体的な苦難は、四大陸選手権でも続きました。そこで彼女は、太ももにテーピングした状態にもかかわらず、3位に入りました。安藤選手は説明します。
「NHK杯で、自分のスケートで足の筋肉を切っちゃったんです」
翌月の世界選手権で、SP終了後8位に入っていた安藤選手は、さらなる足のトラブルのために、フリー演技を1分にも満たないうちに棄権しなければなりませんでした。
「朝の練習のあいだに、ふくらはぎの筋肉を傷めたんです。でもワールドだったから、わたしは出場を決めました。わたしにとって重要な試合だから。でも、フリーの演技をはじめたとき、足が痙攣して、感覚がなくなってきたので、もう棄権しなければならない、と、コーチがわたしに言いました」
ニコライ・モロゾフ氏は、安藤選手を、およそ2年にわたって指導してきました。安藤選手は、ニュージャージー州ハッケンサックのアイスハウスで、夏のあいだ、シーズンイン後もできるだけしばしば、指導をうけます。氷上練習は週に6日、1日に3~4時間と定められていますが、彼女は練習時間を延ばす一方です。
日本にいるとき、安藤選手は中京大学のアイスリンクで、門奈裕子コーチと練習します。大学ではスポーツについて専攻しています。
「いま、大学2年生です。さまざまな違ったスポーツと、その習得のためのトレーニング方法を学んでいます」
また、安藤選手はこうも語ります。
「日本で練習するのはとても難しいです。うちからリンクには40分かかります。練習は、朝の6時から8時までと、夜の10時から12時まで。日本では個人で氷を抑えられないので、練習はずっとほかの人といっしょです。日本の人たちはとてもわたしを好きでいてくれて、小さい子たちが、写真とサインをもとめてわたしのところにやってきます。ラジオや新聞の取材は始終です。それで練習に集中するのは難しいときもありましたけど、いま、わたしは、自分の時間を上手に使うことについて、賢くなりつつあります」
今季の安藤選手のSPは、3Lz+2Lo、3Fと2Aという構成でした。FSには、3Lz+2Lo、3T+2Lo+2Lo、3Lz、3F、3S、3Lo、そして2A。彼女は2003年以来、3Aの練習には取り組んでいません。
「わたしは2A+3Tを練習中です。3Aと同じ得点になりますから。ほかは、なににチャレンジするかどうか、決めていません。いまのジャンプの技術で、充分だと思います。わたしは、3S+3Loもやってみました。いたずらで、練習では、3Lz+3Lo+3Loを降りたりしています。わたし、ループとサルコウが好きなんです。3Tは苦手。そして、あんまりいい点が取れないから、2Aもそんなに好きではありません」



はい、今日はここまでです。お疲れさまでした。
今シーズンは、ほんとに怪我に祟られた美姫ちゃん。肩の故障について、今後手術するかどうか、まだ決定ではないようですね…。アスリートが体にメスを入れるのに躊躇う気持ちはとてもわかります。
ステップの練習でも肩が痛むって、相当ですよね。
手術でも、あるいは外科的治療でなくても、いい方法が見つかって、美姫ちゃんに、1日もはやく痛みがなくなるように祈っています。
ところで元記事では、安藤選手の練習地は「the Nagoya University」って思いっきり書かれているのですが(書き取り文章では直しました)、中京大学から、いちおう、訂正の希望を出したほうがいいのでは。
フィギュアスケートの報道では、世界で1、2を争う有名サイトですからね、それなりに影響力があるんでないかい、と、老婆心ながら思ったことでございます。
後編はまたあとでアップします。
それにしても、遊びで3+3+3ですか。浮き沈みが激しいとかいっても、この人のこのポテンシャルはただごとではないというか、フツーに天才ですよね。ため息しか出ないよ。すごいなあ、もう。





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