icenetwork.comに、ミライ・ナガス選手をワールドクラスに引っ張り上げたコーチ、シャーリーン・ウォンさんのarticleが上がっていました。
元記事はこちら→ http://web.icenetwork.com/news/article.jsp?ymd=20080131&content_id=43284&vkey=ice_news
キスクラで、ミライちゃんのとなりでニコニコしているのも印象的なウォンコーチの、プロフィールなどについて綴られた記事です。多少ダイジェストしながら、日本語に書き取ってみようと思います。
それではいつもの言い訳です。灰原は英語力に乏しく、これからお目にかける文章は、機械翻訳を日本語らしく整えただけのもので、翻訳といえる精度はありません。間違いもあると思いますし、わからないところは想像で補ったり、飛ばしたりしています。記事そのものもダイジェストします。
よろしければ、原文もご覧いただけると、うれしいです。
それでは、本文にどうぞ。




【icenetwork.com:Behind the scenes of figure skating 】
 ~フィギュアスケート舞台裏~


フィギュアスケートコーチ、シャーリーン・ウォン氏は、2008年全米選手権において、2007年世界ジュニア銀メダリストから最高の努力を引き出しました。ただスケートについて指導するだけでなく、ウォン氏自身の競技スケーターとしてのキャリアは、教え子たちに影響を及ぼします。
「わたしは、ピーターとソーニャのダンフィールズ夫妻から、コーチングについてのアレコレを学びました」と、ウォン氏は言います。ダンフィールズ夫妻は、1986年から1990年までのあいだの選手時代の、ウォン氏のコーチでもありました。
「彼らは、いつでも人間としてスケーターに向き合っていたんです。スケートはどんなふうにこの選手のためになるか、考えてくれました。けして、この選手が自分のキャリアにとってどう役立つか、なんてことは考えていませんでした。わたしは、彼らの誠意を感じていました。
コーチは、自分的なコーチング理論とはなにか、明確にしなければなりません。もし、自分なりの理論を確立できたなら、ふしぎと物事はうまくいき、教え子たちはどんどん成長していき、勝利街道を驀進するようになるのです」
現在、ウォン氏は40人のスケーターを教え子に持っています。そのうち、上位競技会に出場する生徒は3人、ミライ・ナガス選手は、そのうちのひとりです。
ウォン氏は、故郷カナダのモントリオールでキャリアをはじめました。最初のコーチはヘレン・アン・シールズ女史。彼女に指導されて、1983年、はじめての世界選手権に出場しました。ほかに、トミー・リッツ氏、バーバラ・ロールス氏、キャシー・ケーシー氏、そしてオズボーン・コルソン氏の指導をうけました。
オジー・コルソンコーチは、2006年、90才で亡くなるまで、コーチを続けました。彼の最後の教え子が、現カナダチャンピオン、パトリック・チャン選手です。ウォン氏はチャン選手の成功に驚いてはいません。彼女は、コルソンコーチの氷にたいする理解は深遠なものだったといいます。
「コルソン先生はとても厳しかったです。できる最大のことを求められました。教えられたことがすぐ出来たわけじゃないんですけど、先生は、いいスケートと、ただエレメンツができることの差を、わたしに教えてくれました。心がけについても、とても厳しくしつけられました。気持ちを抑えて規律的にしなさい、ということではなくて『人生では自分が自分の態度を決定しなければいけない。もし悪い態度を取ったなら、そこから発生した悪い影響を、運び続けなければならないのだ』というようなことを教えられたのです」
1983年に世界選手権に出場したのを最後に、ウォンコーチはしばらくカナダの世界代表から遠ざかりました。そのあと、1988年、カルガリー五輪出場権を得たことは、信じられないほどの喜びでした。
「オリンピック出場は、わたしとともに努力を続けてくれた両親への、素晴らしい贈り物でした。両親はわたしを誇ってくれて、わたしはオリンピック出場選手でした。オリンピックが本当に家族を幸せにしてくれたんです」
彼女はまた、こうも言います。
「後悔しないだけのことに到達する努力を、わたしはいまも続けています。困難であっても、目標を持って努力すれば、人として成長できるんです」
ウォン氏は1990年の競技引退後、プロスケーターに転向しました。プロ大会に出場経験もあります。米国に本拠を映し、トービル&ディーン組らととともに、世界中をツアーで回りましたが、彼女の気持ちはコーチ業に向いていきました。彼女は、アメリカの女子選手、アンバー・コーウィンの指導を始めます。
コーウィン選手は2006年に引退しました。時を同じくして、ミライ・ナガス選手の母親から、ウォン氏に電話がかかってきました。
「運命が、わたしにミライをもたらしました」と、ウォン氏は言います。
「ミライのお母さんはわたしに尋ねました。『うちの娘のフットワークを見ていただけませんでしょうか?』」
ナガス選手はすでに多くのコーチの指導を受けていましたが、ことのなりゆきで、すぐにウォン氏は、ミライ・ナガス選手のメインコーチとなるよう依頼されました。自分はチームの監督であると、彼女は言います。ナガス選手が指導をうける、サーシ・クチキ氏、サンドラ・ホームズ氏、ボブ・ポール氏、ジム・ヨーク氏、といったコーチチームを、取り仕切っているのです。
ミライ・ナガス選手のためのチームに、ウォン氏は、振付家のローリー・ニコル氏を引き入れました。
「ミライはオリンピッククラスのスケーターです。彼女の才能にふさわしい振付師が欲しかったのです。ローリーは、つぎのステージにまでミライが伸びる、大きな原動力となってくれました」
ミライ・ナガス選手は、全米選手権のシニア女子シングルで、初出場初優勝を果たし、周囲を卒倒させました。
多くの生徒が彼女の指導を必要としており、自分自身で演技を行う機会がなくなっていることを、寂しく思うと、ウォン氏は言います。
「スケートすることは、感情を解放する驚くべき機会です」
ウォン氏は、カリフォルニアで、すでにかなりの日々を過ごしています。5匹の犬と暮らす彼女のもとに、両親もしばしば訪れます。しかしウォン氏は、もっと家族と多くの時間を過ごせたらと願います。
家族はみなカナダに住んでいます。いつかは帰国したいと考えています。ただ当面は、アメリカフィギュアスケート界に、彼女は佇みます。ウォン氏はこう言います。
「わたし、いろんな人を、彼ら自身のチャンピオンにしようとしてるんです」



はい、書き取り終了です。お疲れさまでした。
シャーリーン・ウォンさんは、オズボーン・コルソン氏の弟子のひとりだったんですね。これはちょっと驚いた。コンパルソリーを叩き込まれたのだろうか。ウォンさんの現役時代はまだコンパルソリーがある時代だし当然か。
ミライちゃんのスケーティングはたいへん美しいですが、ウォンコーチ直伝なのかなあと、ちょっと思いました。
以前のインタビューで、ウォンコーチは「ミライの人生に競技しかないわけではない。スケートが彼女のゆたかな人生のプラスになるようにしたい」というような趣旨の発言をなさっていたことがあり、ちょっと「おっ」と思ったことがあります。とにかく勝つことが一番、という主義ではないんだなーと思ったものでした。コーチとミライちゃんの相性も良かったんでしょうね。だからこそ、ミライちゃんは驚くほど伸びたんだろうなと思います。
ミライちゃんが、「いつも楽しくスケートに取り組めるよう」、心を砕いている、と、やはりほかのインタビューでも語っていたウォンコーチ。オリンピック出場の喜びを、選手として知る人であるだけに、教え子であるミライちゃんも、オリンピックに出してあげたい……というお気持ちは、強いようにも思います。
ウォンコーチの生徒たちがみんな幸せなスケーターになれますように、そして、ウォンコーチがご自身のためにスケートをする時間に恵まれますように、日本からお祈りいたします。頑張って!


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