「エノラゲイを見てません」

「犯人の姿を見ていない」とほぼ同じ意味ではないか。

爆発が下で起きたという目撃証言を、物的証拠として持ち出す輩がはびこっている。

切り取りに悪意が感じられるが、この会見で本田少尉が語っているのは、出来事に対してしかるべき立場の人間が調査しないことに対する不信感だろう。

 

バンカークにインタビューした記者、すごいこと聞いている。

バンカークはプロテスタントのクリスチャンだが、彼に「天国に行けるか」と聞いているのだ。

根性あるな。

返答は「分からない」だが、アメリカ人にしては珍しい答えかも知れない。

プロテスタント教会は、重犯罪者が死刑の前日にでも牧師に懺悔すれば天国へ行けると教えているくらいだからだ。

まあ、これはキリストが十字架刑の時に、一緒に刑を受けていた囚人に語った言葉が元になっているのだが、ようするに、こういうところに聖書の改竄がある。

聖書を読むと、キリストの前に悔い改めて救いを求めた囚人に「天国(パラダイス)で会えるだろう」と語っているように見えるシーンがある。

きちんと読むと、囚人の言葉は、「キリストが再び地上に来る時に自分を思い起こしてほしい」という意味になる。

それに対しキリストは「後にパラダイスで会うだろう」と答えている。

パラダイスを天国ととらえてもいいが、ここでの意味は、死後にも悔い改めが続くということである。

 

キリスト教の教義は死後の世界がある。

輪廻転生のように別の人間として生まれるという教義はないが、よのクリスチャンには漠然とした天国という概念がある。

だがこのあいまいな天国という表現は、間違いのもとになる。

聖書をしっかり読めば、人の状況(死後の裁きを含む)に応じた世界が作られることになっている。

「作られる」というのは、地球では人が生まれ続けているので、これからも無数の人が死後の世界へ行くことになり、そのための世界はメンバーがそろってからになるのだろう。

自分の人生だけを見ても、家族や友人、学校や会社の同僚など、世界規模で見ればほんの一握りに過ぎない。

世界には死者やこれから生れる人も含めて、楽しくやっていける仲間が、ほかに無数にいるのではないか。

死後の世界の一つの行動として、人探しがあるかもしれない。

それだけでも地上の時間に換算して一体どれだけかかるか(すでに死んでいるので時間の概念がない)。

長くなってしまったが、今の世の中で信じられているキリスト教の教義では、ゼロイチ思考の「てめえはダメだ」という結論が出されがちだ。

個人的には鬼や妖怪の方がキリスト(の教え)に近いと思っている。

 

広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑には

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」

と刻まれている。

英文の説明板では、

「LET ALL THE SOULS HERE REST IN PEACE. FOR WE SHALL NOT REPEAT THE EVIL」

となっている。

日本語ひどすぎないか。

上からもの言ってるようにしか思えない。

「ここにいるすべての魂は平安の中に休もうとしている。したがって我々は悪を繰り返してはならない」