風景としてのトルコ 不思議の国トルコの旅日記
2002年1月
目次
第1章メルハバ・トルコ 1月4日
第2章寒波襲来・イスタンブール 5日
第3章寒波のトロイ・ベルガモ 6日
第4章エフェス・パムッカレ 7日
第5章コンヤからカッパドキヤへ 8日
第6章大雪のカッパドキヤ 9日
第7章アタルチェク霊廟・アンカラ急行 10日
第8章メルハバ・イスタンブール 11日
第9章さよならトルコ 12日
第1章 メルハバ・トルコ 1月4日
(出発・機内)
早朝、刺すような冷たい空気に触れながら家を出た。快晴で、昨日の寒気が大雪を列島にもたらして交通に影響がでていた。トルコへの格安ツアーを見つけ申し込み、今日が出発、今、成田空港にいる。
近畿ツーリスト(私は「近ツー」というのだが、皆は「近ツリ」と言う)の団体受付カウンターに行くと、添乗員「コガ」とある表示の下で、小柄で若い女の子が応対している。色白で小さい口に前歯が2本、可愛らしく目立つ。こんな女の子が40人も引き連れていくのは大変だ。反面若すぎて融通が利かないのではないかと思った。
12時20分を過ぎて、スイス航空SR169便への搭乗案内が始まった。
スイス航空は初めてで、機内は日本人の団体客で満席だ。日本人の『スッチー』もいるので安心だ。最近はどの航空会社の飛行機にも日本人乗務員がいる。時代の変化を感じる。
われわれの席は最後尾の40H・Jで二人席、正面に向かって右列、通路を挟んでトイレがあり、その後ろは乗務員の作業ルームになっている。欧州で作られているエアバスの大型機であるが、ジャンボに比べると小さい。この席の位置は少しうるさいかもしれない。いつも翼の上の席を当てがわれて窓からの眺めを得ることができないのだが、今回、飛行中の眺めはよさそうだ。団体ツアーも最近は個人でチェックインするので席を一緒にするのが難しいのだそうだ。前列の席には若い男性と少し濃い目の化粧をした熟年の女性が座ったが、連れではなさそうだった。
「今回は喧嘩しないでいきましょうね」と、裕子は言うが、どうも一つ一つ気にかかる物言いをするので面白くない。私の自尊心を傷つけて平気でいるのが堪らない。我慢、我慢!
(離陸)
離陸体制に入る。耳栓をする。いつもキーンと耳が痛くなるので、耳栓を前回のドイツの旅行の時に買った。耳が痛くならない。効果はある。チューリッヒまで12時間のフライトであるとアナウンスがあった。
12時58分機体が動き始め、滑走路にでる。離陸13時12分。
ぐんぐん上昇していく。太平洋にでて大きく左旋回して北を目指す。冬の太陽の長い光線が窓から入る。まだ水平飛行にはならない。かくして裕子は13度目の、私は10度目の海外旅行の始まり。トルコ10日間10万円!なんと安い。
シベリア上空からドイツ、スイスへと飛行する、天気は良好とのこと。眼下は雲で何も見えなくなった。
今日は時差の関係で31時間起きていることになる。徹マンを朝7時までやって、そのあと昼まで寝て、起きたらちょうどむこうの朝になっているという感じ。機内で眠ってしまうと明日の昼間がつらくなる。今日は寝ないでいるか。やることがなくヒマだ。眠るしかない。
(シベリア上空)
晴れた昼間にシベリア上空の大地を見ながらフライトするのは初めてだ。イタリアもドイツの時も夜だか雲だかで、見ることがなかった。道もない低い山々が起伏をつくる大地が、樹林のあるところは黒く灰色に、ないところは一面真っ白でその眺めには果てしがない。1万メートル程度の上空だと大地に手が届くようだ。人工衛星だって300キロ上空というから、地球のヘリを舐めているようなものだ。川がうねって山々の合間を縫っている。それでも人工的な一筋の線は道路であろうが、人が住んでいる気配などまったくない。
川幅の広い大きな川が眼下にあるが、表面は白い。凍結しているのだ!
15時15分。ウラジオストックの北方の山地を越えて、モンゴル平原の北端のエリアを通過している(のだろう)。機体が少し揺れる。大草原を流れる大河がある。川は四本の筋に別れいずれも凍結していて白い。川幅は2キロ位ありそうだ。多分アムール川だろう。
17時35分。シベリア上空は灯り一つない。大地も真っ暗だ。頭上に星が一つ。金星かな、輝いている。
18時34分。今ロシアは夜。深夜3時ころの時間帯を飛んでいる。スイス時間だと午前10時41分。
映画はロバート・デニーロの「おかしな二人」。あまり面白くない。機内で見るのは活劇がいい。
(トルコという国・イスラムと近代化)
トルコは調べてみれば見るほど面白い国だ。ヒッタイトの歴史、アンカラに近いハットウシャシュやヤズルカという遺跡があり、この国にメソポタミヤ文明後、エジプトを常に脅かしていたヒッタイトの故国がここにあるとは、ガイドブックを見るまで知らなかった。ヒッタイトの歴史的存在だけは知っていたが、まさかトルコとは、である。旧約聖書にも関連が深い。キリスト以前のギリシャ・ローマの地中海文明、まさに古代史の舞台でもあるわけで、ホメーロスのトロイの神話、キリスト教とカッパドキア、ビザンチン帝国の首都コンスタンチノーブル。セルジュークトルコからオスマントルコ帝国時代のイスタンブール。
「アラビアのロレンス」で敗走するダマスカスのトルコ軍の映像が蘇える。そして第一次世界大戦後のアタルチェクの革命を経て、現代の中東イスラム的世界で政教分離をなしとげている唯一の国として、また東西文明の十字路の地域の持つ歴史的遺跡の数々にも興味は尽きない。他の中東イスラム諸国とは異なりヨーロッパ志向政策をとり、NATOに参加するイスラム国である。今回のツアーは古代ギリシャ・ローマの時代、ビザンチン帝国の時代、オスマントルコの時代を垣間見ることができるだろうが、現代のトルコのあり方を見ることが一番興味のあるところだ。なぜに欧州の一員たりえるのか、それが知りたい。今回のトルコの旅には目的を二つもった。
一つは、トルコ軍楽隊の行進曲の演奏を聴くことである。トルコ軍楽隊の味のある音色の行進曲を以前から聴きたいと思っていた。二つ目は、現代トルコはイスラム的世界の中で政教分離ができたのは何故かを、その理由を知ることだ。二つ目のことは、トルコに行くことを決めてからのテーマとなった、と言うより9月の同時テロ事件によって喚起されたテーマであった。
アラブ的イスラム世界の昨今の事情を考えれば、トルコの特異性が際立ってくる。
イスラム教は、紀元632年にマホメットが布教して成立する。キリスト教に遅れること600年である。キリスト教は16世紀に原理主義による宗教改革が起こり、プロテスタント諸派が誕生し、近代思想の震源地となった。イスラムは布教後14世紀を経て、原理主義が叫ばれている。イランの革命や今回の運動に表されるものだが、キリスト教の原理主義運動とイスラムの運動の違いは何だろうか。プロテスタント信者が国家の支配から信仰を守ろうとしたのに対し、イスラムでは宗教国家を作ることを目指しているのが大きな違いだろうか。なぜイスラム世界はアメリカを敵とするのか。それはイスラエルとパレスチナの対立が現象面であるけれど、その根底にはイスラム教の中に理由があると思う。
キリスト教とイスラム教の根本的な違いは、イエスが「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に」と、当初からローマ帝国という世俗権力との対抗から、現世にではなく彼岸に救済を求めたことにより、政教分離が出発点からあったことに対し、預言者マホメットは、その原初からアラブ的生活慣習のなかで世俗的権力をもかねていたこと、宗教的原理で世俗的権力を支配すること、マホメットの死後、「カリフ」と呼ばれる預言者の後継者支配が政教一致を前提とした社会をつくりだした。だから政教分離にではなく政教一致の国家体制にもどることがイスラムの原理主義運動になっていく。これは近代西欧社会が作り出してきた秩序とは真っ向から対立する運動になる。この宗教運動を封じ込めて、現実的政治体制を維持するには、権力そのものとしての暴力=軍事力をもつことになる。中近東のイスラム世俗的国家は軍事的独裁的国家的傾向が強い。中近東イスラム諸国のなかで、民主主義的政治風土をつくりだしたトルコは際立っている。これは強調されてよい点だと思う。アラブ的イスラム世界に民主主義は成立するのか。これが問題なのだ。
キリスト教の宗教革命は個人主義の思想を生み出し、現在の民主主義の根底の思想となった。神と一対一の関係を想定する。ところがイスラム教にはこの個人主義的思想を生み出す要因がないのではないだろうか。イスラム教は族長倫理というか血族的共同体を前提とした宗教思想なので、その共同体から離脱することができない。イスラム教のなかにはスーフィズムという宗派があり、禁欲的・瞑想的・修道院的生活をして世俗から離れて神に奉仕し、修行を積むという運動の大衆化が図られてはいるが、主流ではない。個人主義的思想の土壌が無さそうなのだ。
だからアラブ的イスラム世界の近代化は、思うほど簡単ではない。イスラムの思想は現世肯定、伝統主義的、現状秩序の維持である。原理主義運動は常に政治権力に抵抗する宗教的運動となる。イスラム教では聖戦を行うことで天国に行けるという「救済教義」がある。この場合の「聖戦」思想は神の教えを実践する苦難に立ち向かうことを本来は指すのだが、異教徒と戦うことが「聖戦」の思想と解釈されるようになっている。これは600年前のキリスト教の「聖戦」と変わらない。だから今回のテロ活動が優秀な学歴のあるイスラム教徒に受け入れられていく背景がある。
またコーランをイスラム世界では絶対視するあまり、その中の歴史認識の誤謬や科学的認識の誤謬を正せないし、文献的研究を拒絶することによって、解釈が伝統的解釈のままに措かれてしまう。イスラム教からはマルクス主義的思想や近代合理主義的思想は生まれてこない。
西欧では貧しい者を救済するための思想としてマルクスの革命論がうまれたが、イスラムでは豊かな者は貧しい者に喜捨をすることで現状を肯定してしまう。貧しい者は、喜捨によって生きることを恥とも罪とも思わない。悪く言えば「たかり」の思想であり、豊かな者は喜捨することで、搾取していようが不正をして蓄財しようが許されてしまう。ひらたく言えばそんなことだ。イスラムの特徴を見ていると、そんな風に思えて悲観的になる。今もって貧富の差は激しい。ここにも経済的な閉塞感が大衆にはある。
ただ中近東の政治体制は、軍事的独裁的性格のため、大衆には政治的自由がない。イスラエルとの数次にわたる戦争で経済が麻痺し、石油を武器にアラブは戦ったが、アメリカの援助なしには成り立たない経済背景などもあって湾岸戦争に加担させられたのだ。それが更にイスラム教国家の政治的閉塞状況をつくりだして、その噴火口としてテロ事件がおきた。
それらの背景のなかでトルコを見ると、初代大統領になったアタルチェクが政教分離を成し遂げ、文字を変え、文盲をなくし、女性に参政権を与え、西欧的システムを採用しようとした。当初一党独裁であったが、大戦後、選挙による政権交代を平和的に行った。政治的に開かれた制度を作り出した。
経済行動を見ると、イスラムには常に二重倫理があり、建前と本音が違い、どちらかと言えば、人間的に生臭い。「近代」資本主義的尺度で測ることが難しい倫理観がある。その顕著なのが経済活動だろう。定価販売の思想は当初からない。彼らは今もって冒険的資本主義者なのだ。彼らにはヴェニスの商人や、ユダヤ人商人こそよき友であり、競合者なのだ。商業に定価がなければ原価計算ができないし、近代的な帳簿、会計制度も適応できない。経済活動の原理は、イスラム的教義の枠の中にあり、シンドバッドやアリババは生まれても、産業革命を起こすことはできなかった。西欧の「近代」資本主義も次第に倫理性が薄れて、前近代的な投機的資本主義、拝金主義的になるかもしれないが、「近代」資本主義が作った枠組みが壊れるとしたら、高度な技術を駆使した「スター・ウォーズ」の世界になるかもしれない。
今でも近代資本主義的システムが機能しているのは、アメリカと西欧諸国と日本だけだ。この枠組みのなかに生きるのが辛くなったら、また中世のような時代になって、貧富の差は拡大し、中産階級は消滅するかもしれない。中産階級というのは「近代資本主義」が生み出した歴史的には実に稀な階層なのだ。西欧の自由農民、古代ローマの重装歩兵を担った自由農民と同じく、消えていく階層かもしれない。
イスラムの世界観に照らせば、アメリカ的世界こそ異質であって、常に敵対し聖戦の対象となる存在なのだ。
砂漠の宗教を、緑豊かな温暖気候の風土のもとで理解しようとしても困難である。しかし、9月の事件と同時代を生きる者にとって、できるだけの理解はしたいと思う。世界中に貧しい国が多すぎることが本質的問題なのだと思うが、アタルチェクの革命は、トルコの近代化、経済のテイクオフを目指したものと捉えれば、その意味するところは偉大で賞賛に値する。だからその歴史的背景を知りたいと思う。
イスラムについてもっと知りたいが、私は悲観的に見ている。つまりイスラム社会の近代化に対して、否定的である。だからこそ、現代のトルコを知りたい、そんな思いがこの旅には秘められている。
(ヨーロッパ上空へ・ワインの注文)
20時09分。ロシアの真っ白な大草原の中にぽつんと小さな集落の灯りがあった。大海に浮かぶ孤島のようだ。それ以外灯りは窓からは一つも見えない。隣の集落までどれほど離れているのだろう。ロシアは人間が自然に支配されながら生きているようだ、上から眺めてそう思えた。
ロシアの大地を見ながら上空を飛ぶのは珍しい。シートベルト着用のサインも一度もでないし、穏やかなフライトだ。それでもまだ5時間はフライトしなげればならない。日本を発って7時間が経過したところ。20時40分。おにぎりが配られる。夜食のつもり。ヨーロッパ・ロシアに入ってきているのだろう。大地は雪に覆われているが西方の空が青ずんでいる。
昨年の末から髭を伸ばしている。
今日で2週間近くになる。今回は様になりそうな気配。裕子もやめろとは言わない。痩せた顔なので自分でも似合うように思えるのだが、どうも毛穴の密度が薄い。顎の下の髭は白髪交じりで胡麻塩のようだ。髭も可笑しくない歳になったか。
飛行機は今ウラル山脈を越えて行く。テレビ画面に航路が映されているが、モスクワはもっと南だ。
機内でお土産品の販売が例のごとくあるのだが、カタログを見ていると、具合のいい6本セットのワインがあった。いずれもヨーロッパ産である。ちょうど検討しているときに、「コガ」さんが通りかかる。
「古賀さん、トルコのワインは美味しいですか。ヨーロッパのワインとどう?」
「トルコのワインは安いんですよ、ですから現地で飲むのはいいんですけど、お土産はヨーロッパの方がいいんじゃないでしょうか」
「じゃあ、決まり。これにしよう。ありがとう」
出掛けに知り合いの奥さんがワイン好きなのでと頼まれていたなで、特別の3本セットのボジョレイと併せ、6本セットを注文する。帰国翌日には家に配達されるので便利だ。
22時45分。スイス時間14時45分。眼下に大きな町が見えた。海も凍結している。もしかしてサンクトペテルブルグかも。航路図を見ると確かにサンクトペテルブルグの上空を飛ぶようになっている。バルチック海の上なのだろう。
今23時。ヘルシンキの南、リトアニアかバルト三国の上のようだ。あとポーランド、ドイツの上を飛んで、スイスへ2時間だ。長い。
(チューリッヒへ)
ポーランドからドイツの上空に来ているのかもしれないが、地上は真っ白である。再び雲の海になる。多分バルチック海の上空かも。
裕子がトイレから戻ってきて、固形のクノールスープとアイスクリームを持ってきた。
「どうしたの、これ?」
「ご自由にお取りくださいって、置いてあったからもらってきたの。みんな気がつかないみたいよ」
私がトイレに立ったとき、確かにトイレのドアの脇の壁にあるテーブルの上に、お湯と一緒に置いてあった。スチュアーデスは休憩中。乗務員用のスペースがカーテンで仕切られていた。
クノールスープは美味しかった。
あと2時間少しとなって、乗務員たちが動き始め、おしぼりが配られる。
23時30分。食事がでる。スイス時間だと午後2時だ。鶏肉を挟んだ丸いサンドイッチが美味しかった。紅茶もおいしくない。コーヒーも美味くない。裕子には大変不評。
(凍結の海)
凍結している海を見ると、ロシアが切実に南に港を求めたのがよくわかる。黒海をめぐってクリミヤ戦争があり、ボスボラス海峡の通行を巡ってトルコには常に緊張関係を強いてきた。だからロシアと戦って日露戦争で勝った日本をトルコは好きなのだ。そんなことを考えながら濃い目のコーヒーを飲む。味がない。
チューリッヒまであと40分。チューリッヒはマイナス4度だという。寒い。ボヘミヤの山地と平野を縫うように高速道路が走っている。車の数は多くない。まもなくスイスの山の上だ。沈む太陽が美しい。茜色の雲や空の色の変化を楽しむ。耳が痛くなる。高度をどんどん下げているのだ。着陸の機内の静寂。大きく右に旋回。レマン湖が左手に見える。チューリッヒ近郊の大地には雪がない。
アルプスの山並みが右手前方に見えて、家が一軒一軒近づく。夕方の茜空の色、暮れなずむ街にライトを照らし始めた車の光の動く光景がきれいだ。まもなく着陸。日本時間午前1時11分、スイス時間、17時11分着陸。やれやれ。
(チューリッヒ空港からイスタンブール)
チューリッヒ空港での乗継時間が三時間。清潔だけどこじんまりした空港内を乗り継ぎのゲートへ移動する。この空港の規模は多分大きいのだろうけれどよくはわからない。長い仮設廊下を通って免税店などのあるロビーで自由行動、ただし8時40分の一時間前に集合とのこと。
まずは免税店を覗く。裕子はお目当ての化粧品を探すが置いていない。私のパイプタバコを探す。『アンホーラ』が6箱、棚の上にあった。
「これ全部買っちゃいましょうよ」
「えー、制限あるよ」
「レジで言われたら返せば」
「とりあえず、4箱にしよう」
一箱に5袋で、18SF、一袋300円くらいの値段。日本で買うと760円。なんと安い。以前ウイーンの空港で3箱買って半年もったから、普通のタバコよりはるかに経済的である。レジでは何にも言われなかった。
「残りも買えば」と、裕子が言うので棚のところに戻ると売り切れていた。
誰が買ったのか。今回の旅で最初の買い物となった。乗り換えのゾーンの店は数も多くなく、一巡りして、待ち合わせ場所にもどった。
古賀さんと移動中に話をする。
「四十人のツアーは久しぶりです。十数人のツアーが多かったですね。でも九月は事件のせいで、一回行っただけなんですよ。アメリカのときは45人からツアーが普通でしたね」と古賀さん。
九月のテロ事件の影響をもろ受けてしまったと言う。今回は110人ほどで、三班に別れ、一つはホテルのグレードアップ組だと言う。私たちのグループが人数的には一番多い。個人参加が13人いると言う。今、日本は午前二時半。眠い。
イスタンブールまでの間に、食事がでると言うので何も食べないで過す。深夜の食事だ。
タバコのすいすぎは血圧によくないので、ほどほどにする。私のパイプタバコはまるで昔のキセルで喫煙しているみたいに、一服二服すればそれで気が済む。
このツアーの参加者は年配の人が多く、若者はいない。午後8時40分出発予定。7時40分に集合とのこと。SR326便、8時45分出発。ゲート74。あと40分ほど時間がある。日本では午前4時になる。
午後8時30分、登場手続き開始。イスラム圏の国に行くフライトにしてはそれらしい人が少ないみたい。中型のA321型のエアバスに搭乗。私達は28EFの席。夜のフライト。
21時15分チューリッヒ離陸。少し遅れている。28ABと29EFの席にはトルコ人の夫婦のようだ。トルコ語の新聞を読み、トルコ語の会話をしている。だが外見は全く欧州人であって、イスラムの感じがない。女性もスカーフを巻いていない。ワインを飲んでいる。本来禁酒の国なのがイスラムなのだが。28席の女性は若くて美しい。目はブルー、ブロンドヘアー。29席の人は年配で、もういい小母さん。小太りで、腕も太い。外は真っ暗だからわからない。
トルコ語はラテン系の言葉ではない。英語との関係はまったくないだろう。発音だけ聞いているとハングル語にちかいように思える。文法もハングルや日本語と同じ、主語が省かれ、動詞が最後にくる。私=ベン、こんにちは=メルハバ、ありがとう=テシュッケル・エデイエム。この「ありがとう」が言いづらい。
(トルコ入国)
トルコ現地時間午前0時51分イスタンブール空港着陸。かなり遅れた。
イスタンブールは雪だ!着陸の際かなり揺れたので、窓から眺めたら、雪。雪だ!雪!まったくまいったなー。とんでもないツアーになりそうだ。15センチ以上の積雪が空港にある。嫌な予感がする。イスタンブールは東京と同じ気候とあったので、安心していたのだが。大雪だ。
嫌な予感は的中した。荷物の受け渡しテーブルに荷物が出てこない。添乗員の古賀さんも空港の関係者に問い合わせに走り回っている。結局30分以上経って荷物が出てきた。まー、よかった。一安心である。でもかなり時間をロスしている。
入国手続きの際に、「メルハバ」と係官に挨拶する。「メルハバ」と返事が返ってきた。なんとなく嬉しい。パスポートを受け取る時に「テシュッケル・エデイム」と怪しく言うと、何とか通じたらしく、にこりと笑って送ってくれた。私もにこやかにトルコに入国。
古賀さんが、人数を数え、確認し終わると、次に両替の説明。曰く「一人一万円ほど両替」したらいいと言う。私たちは1万5千円を両替する。入国するとすぐのロビーに両替の窓口が二つ並んでいた。AKBANKとEXCHENGOFFICEである。OFFICEのレートの方が少し高い。1円=10,525トルコリラ(TL)AKの方は10,440TLで、レートが違う。つまり1万TL=1円という感覚でよい。ちなみに1ドルは135万TLであった。1万5千円は、2000万TL=5、1000万TL=5、500万TL=2、100万TL=3、50万TL=1、25万TL=1の両替で、あと硬貨を二枚くれた。
通路に大勢の人が仮眠している。どうも飛行機が欠航して乗れなかったようだ。出口にでるとここにも多くの出迎えの人たちがいる。もう夜中の2時過ぎなに。タクシーは黄色でアメリカのようだ。空港にはイスタンブールを示すような看板もネオンもない。到着した記念写真も撮れない。
午前2時10分空港をでる。大型バスに乗る。かなりお疲れ気味である。古賀さんが今日のスケジュールを言う。午前「7時30分にモーニングコール、朝食は7時から、荷物出し8時15分、出発は9時になります」とのこと。寝る間がない。
現地ガイドが紹介される。
「オカンとモウシます、どうぞヨロシク。最後までオキャクサマとゴイッショします」と、カタカナ日本語で挨拶する。運転手はミシュリンプさんといい、他にツルガイと言うガイド見習いの女の子と、運転助手のニシハンさんが紹介されたが、みんなどうもそれどころではなさそう。
オカン氏はまだ三十代半ば、大柄で顔立ちは彫りが深いけれど人懐こい感じの男だ。
深夜のハイウエイをホテルに向かって走る。空港がどの位置にあるのかも判らなかったで、どこをどう走っているのか見当もつかないが、道路はよく整備されていて、なんだか東北地方に来たみたいに思える。
「今朝から雪ね、今年一番の寒さになりました。天気予報は明日からずっと雪、少し心配です」と、オカン氏の言。どんな旅になるのかなー?
イスタンブールは坂道が多い。起伏の多い街なのだ。
午前2時53分ホテル到着。大きな回転トビラからロビーに入る。あまり広くないロビーで、少し暗い。トルコ最初の宿はホテル「ニッポン」という名の、いかにも日本人の団体向けのホテルみたいなのだが、中級のシテイホテルである。新市街地の繁華街タクシン広場にも近く便利なところにある。トルコ最後の夜もこのホテルになっている。大通りから一本中に入った道の角にある。到着したのは夜中であり、雪が降り続いて寒かった。部屋は三階、といっても地階から数えるので四階になる。ホテルの部屋のカード式の鍵を各人受け取ると、みんな一斉に部屋を目指して行動する。このカード式が苦手なのだ。ドイツの時と同じようにドアを開けるのに苦労する。
結局、寝たのは3時半であった。裕子は荷物の整理をしていた。長い一日がかくして終わった。部屋は広くベッドも大きかった。安心してゆっくり休める。ベッドに潜り込んだのは3時半近くであった。寝不足でイスタンブールの朝を迎えることになる。

