何度も書いては消して、Amebaから離れては書いてを繰り返していたらいつのまにか何年も放置してましたぐすん



この記事の続きです




年長で自閉症スペクトラムと診断され療育を受けるようになった息子の話。



思い出しながら書いているのであやふやだったりすでに書いてある事を書くかもしれません。




一歳頃。


育休が終わり仕事復帰。息子は保育園でお世話になる。


息子が一歳半過ぎたくらいで妊娠。

つわりの中、何も変わらず息子に振り回される。


味覚過敏か、偏食、こだわりが酷く決まったものしか食べない。


この頃食べるのはアイス、ハンバーグ、アンパンマンパックジュース、ウィンナー、ヨーグルト、チーズ、ふりかけ、牛乳、アンパンマンせんべい。


もちろん、食べるための工夫系は全て試したがダメ。工夫で食べるようになる息子ではなかった。



その時に息子が食べたいと思ったものが常に冷蔵庫にないと買いに行くまでパニックは治らなかった。

冷蔵庫にないというのが息子の想定外らしい。





通園ルートも細かく指示があった。

外れると癇癪。



一度主人が自動販売機でジュースを買って息子に渡してしまったことがあった。


次から息子のルーティーンに組み込まれてしまい毎日ジュースを買わないと癇癪を起こす。

息子にとって嬉しいこと、楽しいことが起こってしまうとルーティーンに組み込まれてしまい変更は不可になるため、組み込まれたくないことは避けた。


公園も必ず寄るのだが別の公園がある事を悟られては行けない。

別の公園に行きたければ休みの日に行く。

保育園の帰りに別の公園に行くという選択肢がある事を悟られるとルーティーン化する恐れがある。



誤魔化しも効かない。

息子が決めた事は実行されるまでパニックは治らなかった。

違うことに注意を向けてみても無理。泣き止むまで放置、もそもそも泣き止まない。1時間どころか2時間でも3時間でもフルボイスで泣き叫ぶ。

疲れることがない。

記憶力もずば抜けているので忘れない。



その後生まれた娘はおそらく定型児だが、誤魔化せる事に驚いた。気をそらすとグズっていた内容を忘れる。衝撃だった。

泣いて要求を伝えてきてもしばらくすると泣き疲れていた。泣いても自分の思い通りにはならない事を気付かせることができた。

息子は娘とは違った大変さだったと気づく。この頃にはまだ個性だと信じていたけど。



生まれた時から寝つきも悪かったが、寝起きも更に悪かった。

朝起きてから少なくても30分は泣き叫ぶ。息子をあやす、というより声をかけてても悪化するだけなので泣き止むまで見守る毎日だった。



昼寝から起きてもパニックを起こす。

車で寝てしまった時は最悪で1時間でも2時間でも待機。物音は立ててはいけない。睡眠時間が短ければ更に泣き叫ぶ時間が増えてしまう。


自分の尿意との戦いもあった。その頃はマンションに住んでいたので息子を車に残したまま上の階にある部屋まで行かないといけない。

ドアを開けると空気圧で起きる。耐えた。




初めはなぜこんなに泣き叫ぶのかわからなかったが、息子を観察していきなるべくパニックにならないように努めた。

もちろん、当時は泣き叫ぶ行為をパニックと言うのだと気づいてはいない。


ネットで育児検索、できることはほぼ全て試した。その中で有効なものとそうでないものを自分なりに頭の中に落とし込んでいく。



なにか息子の行動にパターンはないのかと、どうすれば少しでも楽になるのかと



主人の息子への対応も参考にする。

どう受け答えすると息子は癇癪を起こすのか。

どうしても接する時間が私よりも少ないためよく地雷を踏んでいた。

そんな時に、こうすれば息子は癇癪を起こさないのにと思った。

なぜ自分はそう思ったのか、整理していく。そうすると息子の心のシルエットが浮かんできた気がした。



客観的に息子を見ていないと自分が壊れていきそうだった。


自分は大変だと気づいてしまうのが怖くて


仕事と家事、育児、妊娠に


ただ淡々と毎日過ごしていました。




娘が産まれる頃、息子は二歳。

まだまだ一歳時は序の口。

記憶がまだハッキリとあるから。