相手の気持ちに添ったら出来ない事。

あちらからの観方、こちらからの観方

気持ちに添ったら、自分のそれが判らなくなる事が多々ある。

 

エネルギーとは、そういうものだ。

そのエネルギーフィールドに入ってしまったら、そのエネルギーと一体になるのだから。

だから、相手のエネルギーに合わせたら、

スムーズに言えなくなることは多々ある。

こうなると、意識の力と脳の分別力がかなり必要。

 

ごちゃごちゃしてきて面倒くさくなれば、どうでもよくなる。

利害関係が絡めば、そこは配慮が出来ないと困ります。

 

同じじゃ!

いいえ、違います。

私はどこを管轄しているんですか?

代わりはいない。

 

そういう訳で、

見えている時、手を緩めない。

例え相手に添わなくて、相手の気持ちを汲んでさし上げられなくても、

関係性が又 よれよれになっても、

それだって、こちらのモノの観方で押して良いのだ。

  

自分の方が見失って、判らなくなったら、相手に助けてもらう。

こうやってやっていくんだ。

  

だから、面倒な時程、相手の手を離さないでやっていけたら有難い。

  

若いうちは一人でやった方が楽。

簡単に要らないと言える。

それが問題のポイントなんだって。

 

楽と言って手を離して豪快に進んできた年月分、一緒に行かなかった方々との距離を思う。

年をっとってからそれを実感するのだろう。

 

老人ホームで働いた日々、私はそれを、思い続けた。

どうすれば良かったのか、

栄光の思い出話と共に、手を離さないでご家族と一緒に行けたら良かった。

これも同じこと。

 

これが出来る人間になってください。ここから先は、いろんな意味で、これが命綱なんですと、言われた様な気がした。

 

個人主義に陥ったら出きないことを、

その先に見えるもの、誰もが見えていたら行くようなものを、

見えているやつらがその道を開く 担当部署。

 

はやく形にして見せてやりたい。

何より上手く伝えられない家族に。

 

うんざりするようなやり取りの後、

これをもう少し、意識的にと、

終わってから思う様ではな~

・・・又リベンジする様だよ。

 

皆それぞれが見ている道、

それぞれが歩む道で、大きな地球という世界の推移を歩む。

忘れない様に書いておく。

 

誰ひとりも、大切であって

だからこそ、私は私をやるのです。