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御朱印めぐり逢い

御朱印めぐりの備忘録

2019年7月21日巡礼記
西国三十三所観音霊場
第二十一番札所
菩提山 穴太寺
(ぼだいさん あなおじ)


住所 京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46
電話 0771-24-0809

宗派 天台宗
開基 大伴古麿
御本尊 聖観世音菩薩
創建 慶雲2(705)年

西国三十三所巡礼の旅・札所一覧
https://saikoku33.gr.jp/place/21




穴太は、絵師”円山応拳”の生まれ育ったところとして知られています。

穴太寺の歴史は、奈良時代末期、大伴古麿が薬師如来像を安置したことに始まると記されています。


 

”仏師の命”と、”宇治宮成(うじのみやなり)”を、観世音菩薩の慈悲が救った?

今昔物語、また扶桑略記に、こんな説話が残っているそうです~

その昔、悪評高い郡司・宇治宮成(うじのみやなり)の邪心を改心させるため、妻が京都の仏師・感世に 聖観音菩薩像を彫らせます。

お礼に、宮成は仏師に自慢の白馬を与えますが、すぐ惜しくなり仏師を追い、矢で射殺!

ところが、家に戻ると、なんと聖観音像の胸に矢が刺さり血を流しておられます!

仏師の身代わりとなった観音さまの霊験に触れた宮成は、改心し出家、お堂を建て発心すると、

夢枕に立った観音様が「胸の傷を治したい、薬師如来のところへ・・・」とのお告げ!

そこで穴太寺の本尊薬師如来の脇に観音様を納めたそうな・・・

観音菩薩様は仏師の命を守るだけでなく、宮成が罪人となるのも防いだとされ、以後身代わり菩薩として信仰が深まったと伝えられているそうです。

(初代の御本尊、仏師感世作の聖観世音菩薩(重文)は1968(昭和43)年に盗難、現在も未発見のようです!)



■仁王門から100Mほど先の駐車場に車を止め、穴太寺へ向かいます。

■仁王門

 



穴太寺の仁王門は道路に面して建てられており、門の直前を車が激しく往来していました!

17世紀中期頃の建造といわれ、京都府の登録文化財に指定されています。


■仁王門をくぐると直ぐ右手に鐘楼が建っています



 「鐘楼」は宝暦9年(1759年)の建立と言われ、京都府の登録文化財に指定。

■多宝塔

 


 「仁王門」をくぐって直ぐ左手に「多宝塔」が建っています。(京都府の文化財に指定)
現存の「多宝塔」は文化元年(1804年)に建てられたものといわれており、亀岡市では唯一の木造塔で、内部の須弥壇には釈迦如来と多宝如来の二体の仏像が安置されていそうです


■手水舎



■本堂
 「仁王門」をくぐって、参道の真っ直ぐ先が「本堂」になります。



寺は何回かの火災にあっており、現存の本堂は享保20年(1735年)に上棟、再建されたものといわれています。



「本堂」は古寺の風格を醸し出しています。(京都府文化財に指定)

内陣の厨子の中には本尊の薬師如来と札所本尊の聖観世音菩薩が安置されています

札所本尊聖観世音菩薩は縁起で言われている平安時代の本尊とは異なるようで、胸に矢の傷あとがつけられた模刻の仏像だそう!
(初代の聖観世音菩薩は昭和43年に盗難に遭い行方不明になっていると言われており、その後発見されてはいないようです!)



本尊の薬師如来は厳重な秘仏であり開帳されたことはないとされ、札所本尊聖観世音菩薩も秘仏であるが、三十三年ごとに開帳されるようです。

■御朱印