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596番のブログ

6500双祝福を受け、統一教会信者として真のご家庭を愛し続けていきたい。真実を求め、理想の実現を目指し、幸福を世界人類と分かち合うために小さな声をあげていかなければならない。

ヤシの木(実?「ヤシの木」さんの呼称に統一させていただきます)さんから当ブログの過去記事についていくつかのコメントをいただきました。

まず、現役の統一教会員の方からご意見をいただけたことを感謝いたします。当ブログは、考えを同じくする食口の方たちの為だけではなく、現役の教会員の皆さんにもご覧いただいて、神様の創造理想実現に向けて歩んでいけたらと思って書いています。

 しかしながら、現役教会員の方からご意見をいただくというのは少なく、とても貴重なことです。

ですから、ヤシの木さんのご意見は今の教会を象徴する代表的なご意見として取り上げさせていただきました。

教会では、「見ても聞いてもいけない」と指導されていましたからどれだけの情報がヤシの木さんと共有できているのかはわかりませんが。

とにかく是非、現役教会員の方には、ヤシの木さんのように勇気を出して、ここにご参加いただきたいと心からお願いいたします。

さて、本題に入りたいと思います。

ヤシの木さんから当ブログの過去記事にいくつかのコメントをいただきました。個人的な意見として回答いたします。全文はそれぞれの記事のコメント欄をご覧いただければと思います。


「宮崎教会!天運は祈願書に乗ってやってくるのか」に対するコメント

*朱文字がヤシの木さんのコメント

このブログ自体、また批判的に教会をみている人には、ことの本質も見えなくなってしますのでしょうね。私からすれば揚げ足取りにしか思えません。原理も自己中心的に解釈すれば神様の悲しみにつながります。

 

本質を見極めるにはより多くの知識なり情報が必要です。情報統制を強いている教会の方が食口に対して本質を見極める道を閉ざしています。統一教会ブログ村をくまなく見てみられたらいいと思います。賛否両論の中から結論として「統一教会は正しい」とおっしゃられるのなら、それでいいのです。それが、本来の責任分担です。

ですから、何がどのように「揚げ足取り」なのかわかりません。

 

教会の動きや教会の責任者を批判したところで、みなさんの個性完成と何の関係がありますか?
神様が願っていることで正しいか正しくないかはとても 大切ですが、自分たちが正しいといって教会を批判し、同じ食口を非難すること、ご父母様が立てた原理的位置を非難することは、すでにアベルを殺したカント 同じことをやっているとを悟ってください。正しいといって批判することは神様の悲しみです。

 

個性完成とは大いに関係があります。単なる批判をしているのではなく、間違いを指摘して、お互いに正しい方向に向かおうとしているのです。アベルとカインは兄弟です。殺してしまっては元も子もないのですが、喧嘩をしたとしても愛の心でお互いの壁を乗り越えていくときに成長していくのではないでしょうか?四大心情圏に関係するので実はとても大事なことなのです。批判=悪ではなく、内容が問題です。

 

本人がかわらなければ個性完成しません。

 

その通りですね。意味の無い祈願書、無理な献金、やめましょう。

 

堕落性を脱ぐためには、堕落性を脱ぐために蕩減条件が必要です。原理講論にそう書いてありますよね。堕落性を脱ぐための蕩減条件の中心人物は、誰ですか?アベル側ですか?カイン側ですか?アベル側ですよ。

 

もう一度読み返してみましょう。そうは書いていないはずです。堕落性はアベルもカインも持っていました。堕落性を脱ぐための条件ですから、二人とも立てないといけませんね。

 

原理講論 第一章 復帰基台摂理時代 第一節 アダムの家庭を中心とする復帰摂理

(一)信仰基台

・・・(略)神がその供え物を取ることができるような何らかの条件をカイン自身が立てない限りは、神はそれを取ることができなかったからである。神はこれによって、サタンと相対する立場にいる人間が、神の側に復帰するには、必ずその人自身が何らかの蕩減条件を立てなければならないことを教示されたのである。それではカインは、どのような蕩減条件を立てなければならなかったのであろうか。・・・

 

とあります。

 

追伸!あのメール見て原理を知っている人ならおかしいと思うと書いておりましたが、その通りだと思います。字面だけ読めばそうです。でも、原理の本質を知っている人なら理解できたはずです。
パラダイムシフトです。神様の心情からみれるなら見えてきます。

 

私もおかしいと思いました。
それと申し訳ありませんが、原理の本質を知っている人なら何をどう理解できたのでしょうか?何が見えるのか教えていただきたいと思います。抽象的過ぎて私には理解できないし、見えません。

 

「神山先生は真のお母様を愛していらっしゃいます(1)」に対するコメント

 

お父様派とかお母様派とかなぜ線引きしますか?その考え方がおかしいと思わないのでしょうか?
お父様は言われました。真の父母は一つだと。
一つの意味は分かりますか?唯一だということですよ。

 

hide6500さんのコメントに対するご意見ですね。
線引きするのはおかしいと思います。ですが、「分派」と言い出したのは教会側からではないでしょうか?郭グループとか何とか、実存しないグループを捏造してますよね。つまり線引きを始めたのは教会側です。私もおそらくそのグループ分けの中に入れられるのでしょうか・・・?でも、郭先生から何か指示を受けたとかは一切ありません。

hide6500さんが教会はお母様派だと言われた理由は、ブログ村を読まれるとわかると思います。

それから、真の父母は一つだと。「一つ」「唯一」の意味が符合してないと思います。始めの「一つ」は存在形態を表しており、「唯一」はその存在の独自性を表しており、「一つ」=「唯一」となり得ないのではないでしょうか?

ちょっと揚げ足とりな言い方になりました。すみません。
言いたいことは何となくわかります。
しかし、真のお父様のレガシーを継承していない教会の現状はお母様派だといわざるを得ません。

 

しかし、真の父母様は変わりません。み言は一つです。○○派というのは真の父母様の思想にはありません。堕落圏の考え方です。

 

み言は永遠不変で間違いないと思います。前述しましたように、結果的に教会は「お母様派」と呼べるほど真のお父様のレガシーは蔑ろにしてしまっていますよということです。そのような思想を教会が作り上げてしまいました。ヤシの木さんの言う「堕落圏の考え方」にあるのは教会なのです。

 

残念です。神山さんがはやく自分の中の愛の減少感に気づくことですね。

 

愛の減少感から派生してくる思いは妬みや嫉妬、恨みなどですね。神山先生のお話は教会に対する警告だと言われました。警告というのは、このままで行ったら大変なことになる。そうなってほしくない、という思いからするものです。妬み、嫉妬、恨みなどではないと感じました。誤解です。だから、聞けば済む話だと言ったのです。

 

愛とは主体から対象に向かう情的衝動!

「神山先生はお母様を慕ってらっしゃいます」が正しいのでは?

お母様に謝りなさい!

 

子供が親に対して、「愛してます」と言う事はおかしいですか?私は子供からそんな風に言われたら、涙が出るほどうれしいです。

 

「神山先生講演会―勇気ある参加者の声」に対するコメント

 

20年も前の話ですよ。私の記憶に強く残った言葉は「たとえメシヤが私の行動を否定しても、自分がメシヤの為で正しいことを思えばすべきだ。」と。
本当に強い印象と違和感を感じました。
メシヤに否定されたら認めるのが正しいことじゃないのかなって。

 

前後の話がわからないので神山先生のこの一言でどうとは言えませんが、一理あるのではないでしょうか?

例えばですが、100%邪まな思いが全く無く、神様、ご父母様、人類のために行ったとするなら、誰が責任を持つでしょうか?私は、神様が責任を持ってくださると思っています。

ヤシの木さんも食口なら、真のお父様が原理を解明したときの証を何度も聴かれていると思います。
堕落論を解明されたとき、神様は三度否定されました。
もしそれで、お父様が神様の言われたことを認め、納得していたら・・・。

神山先生は、そういうことを言われたのではないかと推測します。

以上です。

ヤシの木さん、ご意見ありがとうございました。自分に問い直したり、確認したりするよい機会になりました。同じ食口として、同意見もありました。私が、間違っていることもあると思います。お互いの情報が精査され、共有し、共通目的である天国実現に向けて頑張りましょう。




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