『ふゆのまほうつかい』
ジュリー・モンクス、代田亜香子訳
『ふゆのまほうつかい』
個人的お気に入り度:★★★
- ジュリー モンクス, Julie Monks, 代田 亜香子
- ふゆのまほうつかい
家の外に真っ白に雪がふりつもり、
雪の日は、なにもかもが魔法にかかったよう。
子どもたちは外に出て、雪だるまを作ったり、
木の枝をシカの角に見立てて影の下にかくれてみたり。
そして大きな白クマの背中のような丘。
子どもたちは白クマの背中にのって、うちに帰るのだった。
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すっかりあたたかくなり、桜も満開だが、雪の絵本を。
雪の降る町、雪がつもって何もかも白く覆われた町は、
たしかに魔法がかかっているみたい。
雪の降る町は、まるで雪が音を吸い取ってしまうように静かで、
気がつくと、町じゅうに白い毛布がかかっている。
そんな雪の日の魔法を切り取ってみせたような絵本で、
たわいもない雪あそびのひとときを、
かけがえのない、すてきな場面として描いて見せている。
ほとんどのページの雪が
アイボリーというか、淡いクリーム色で描かれていて、
独特の温かみのある雪景色になっている。
『どうしたの』
シャーロッテ・デーマートンス、小池昌代
『どうしたの』
個人的お気に入り度:★★★
- シャーロッテ デーマートンス, Charlotte Dematons, 小池 昌代
- どうしたの
nao-yuuka-ayuchan5さんのブログで知り、読んでみました。
ありがとうございます^^
naoさんの記事はこちら → ちょとした優しさが素敵。
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ぬいぐるみのくまたち(中にはパンダやコアラなど
厳密にはくまの親類だったり、くまでないのも含む) が、
夜明け前のおもちゃ屋さんの店内で、ぐっすり眠っているが、一匹だけ、
眠れずに目をぱっちりあけている子ぐまがいた。
せんたくぐまが彼の赤いセーターを洗うからぬぐよう声をかけても、
白くまがあたためてあげても、
はちみつぐまがお腹がすいたのだろうと蜂蜜を分けてあげても、
彼は不安そうに座ったまま、口を開こうとしない。
蜂蜜がこぼれて大さわぎになるが、
おおくまたちが怒り出して、みんなは静まり返る。
静寂の中、キャラメル色のちいさなくまが
あの子ぐまのところにやってきて、
不安な気持ちをときほぐそうとしてくれるのだった。
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寒いのでも、お腹がすいたのでもなく、
ただなんとなく不安で、やりきれない。
そんなときに一番救いになるのが、
「きゃらめるぐま」 が見せたような、さりげないやさしさ。
100%わかったみたいに言うのではなく、
「ちょっとだけわかるんだ 」 という、あのひかえめさがすてき。
また、子ぐまの不安を和らげることはできなかったが、
どのくまも子ぐまのことを気づかう様子が感じられ、
それぞれ親切にしてあげているのにも好感がもてた。
ぬいぐるみに生まれ変わることがあったら、
こんなお店に並びたいなあ。
絵もすてき。
棚全体の絵が3回登場し、
ぐったりして正体もなく眠りこけている様子、
(あの子ぐまだけは目をぱっちり開けている)
怒るおおくまの大声に、迷惑顔をしたり、見て見ぬ振りのくまたち、
開店直後の営業スマイル(?)のくまたち、
と、ずいぶんようすがちがっていて面白い。
『絵くんとことばくん』
天野祐吉、大槻あかね絵
『絵くんとことばくん』
個人的お気に入り度:★★★
不意に頭の中で「だったらぼくにまかせなよ」と声がする。
いつも優太の頭の中でことばで考える担当の<ことば>である。
<ことば>は
「自分ばっかりつかわないで、こどものこづかいふやせ!」
というコピーを提案。
すると、頭の中のもうひとつの声、<絵>が、
もっと面白くするべきだと主張し、
「ふやせ!」 を「ふやしたまえ!」 に書き換え、
鼻の穴に靴下をつっこんでヒゲに見立てた「ぼく」(優太)を
描いてみせる。
<ことば> と <絵> は次々にアイディアを出し合い、
新しい標語やデザインを生み出し、
何種類ものポスターができるが、
最後には、やっぱりすなおにお願いしようということになって、
比較的無難(?)なポスターに落ち着くのだった。
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「広告批評」 の編集長だった著者(ことば担当)が、
おこづかいアップのための効果的な広告、
というかお母さんへのアピールを、
絵とことばを駆使して多彩に表現しようとしていて面白い。
十数種類のポスターが登場したと思うが、
ばくだんの絵が描いてある脅迫半分のもの、
世間の同世代の子が平均いくらもらっているかの統計に基づいたもの、
500円玉より1000円札の方が軽いじゃん、と感覚にうったえるものなど、
どれを見てもふむふむと感心してしまう。
それなのに、優太の中のふたつの声は結構シビアで、
「500円ずつ貯金したら年間6000円たまる」
というようなアピールをしようとして、
いやいや、どうせ全部使っちゃうよ、と思い直したりするなど、
自分のことをわかっているのが笑える。
絵もシンプルで、かわいいと思う。
『あいうえおの本』
安野光雅
『あいうえおの本』
個人的お気に入り度:★★★
子どもの頃に持っていた(絵)本。
表紙のひとつひとつに50音一文字ずつ書かれている
ひきだしに「何が入っているんだろう」ととても惹かれて、
家族の誰かに買ってもらった。
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50音の1文字1文字を、
木でできたひらがなの絵と
その文字で始まる物たちの絵で紹介した、
図鑑+辞書的な絵本。
左ページに木のひらがな、
右ページに物の絵があり、
そのどちらも枠で囲まれており、
枠もまた、その文字で始まる道具や動植物でてきている。
「日本の伝統的な形と、ことばとを結びつけたかった 」
(あとがきより)
というようなコンセプトのもと、
かとりせんこう、うなぎ、御輿、家など、
日本独特の物や、
あるいは外国に同じものがあっても日本独特の形をもつもの
(たとえば家なら昔のわらぶき屋根だったり)
などが、意識して描かれている。
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精緻でリアルに描かれた絵がすばらしい。
そのくせ、遊びの要素が随所に盛り込まれているのが楽しい。
リアルなおみこしの中にリアルなみかんが入っていたり、
安野氏お得意の騙し絵になっているものも。
やきいもやぬけがらなど、
メインのモノを選ぶセンスもおもしろくて感心。
また、たぶん子どもの頃読んだときには気づかなかったが、
「か」の文字にかすがい、「く」にくぎ、
「さ」の表面にさるすべり、「し」はしばってあるなど、
木でできた文字にも、その文字で始まるモノが使われたりして、
どこまでも楽しませてくれる。
サービス精神旺盛な本なのである。
ほとんどの登場するものの名前は巻末の「てびき」に載っているが、
載っていないものもあるので、さがす楽しみもある。
『ずら~りカエル』
松橋利光写真、高岡昌江文
『ずら~りカエル ならべてみると・・・』
個人的お気に入り度:★★★
- 高岡 昌江, 松橋 利光
- ずらーりカエル ならべてみると…
18種類前後のカエルの前足・後ろ足やオタマジャクシ、
後ろ姿や鳴き声などをならべ、較べてみる写真絵本。
日本にいる43種のカエルを一覧できるページや、
巻末には43種についての簡単な解説つき。
ならべてみると、日本にいるカエルだけでも
ずいぶん種によって違いがあるのがわかる。
バラエティに富んではいるが、日本で43種とは、
多いようで、思ったよりは少ない。
よくいる種類を集めたのか、これしかいないのかは
よくわからなかった。
著者2人のプロフィールには、
それぞれのお気に入りが記されていて、
こんな絵本を出すだけに、さすがにカエル好きな人たちだ、
と感心。
私は、緑のきれいなアマガエルやアオガエル類がかわいいと思う。
『しっぽのきらいなネコ』
南部和也、いまきみち絵
『しっぽのきらいなネコ』
個人的お気に入り度:★★★
- 南部 和也, いまき みち
- しっぽのきらいなネコ
自分が黒いことを気に入っていた黒猫が、
ある日、しっぽの先が黄色くなっていることに気づく。
黄色い部分はどんどん広がり、じきにしっぽ全体が黄色くなる。
「おまえなんかきらいだ。きいろのシッポなんておかしいよ」
と黒猫がしっぽに言うと、しっぽはしっぽで
「わたしもくろいネコなんてきらいだわ 」 と答える。
ただ黒くないだけでも黒猫には十分気に入らないのに、
黄色いしっぽはとんだへそ曲がりだった。
あいさつするとき、ふつう猫はしっぽを立てるのに、
黄色いしっぽはだらりと下がったまま。
ネズミをまちぶせしても、
しっぽが目立つ色なのでネズミに逃げられてしまう。
そのうえおしっこをすると、しっぽが動いて
ガールフレンドの白猫にもかかってしまうというしまつ。
黒猫が注意しても、
「わたしはうごきたいときにうごくのよ」 と、どこ吹く風。
頭にきて追い掛け回しても、つかまえられるわけがない。
なにせ敵は自分のお尻に生えているのだから。
堪忍袋の緒が切れた黒猫は、
友だちに頼んで、しっぽにかみついてもらうことにする。
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黄色いしっぽがどうしてもゆるせなかった黒猫が、
最後にはお互いに受け入れあい、
折り合いをつけて生きることを学ぶお話。
黄色いしっぽは黒猫にとって、
自分自身の一部のようでもあるし、まったくの別人格のようでもある。
しかし、黄色いしっぽと黒猫は一体なので、
黄色いしっぽが痛ければ、自分も痛いのだ。
今思いついたのだが、そうすると、
もし痛くなければ、しっぽを切り離すことを選ぶ、
という選択肢もあったのかな?
でも、黄色いしっぽはそこまでいやなやつじゃないのだし、
悪性の腫瘍というわけでもない。
痛くないとしても、やっぱり同じような結末になったことだろう。
何はともあれ、
自分のしっぽといがみあう黒猫がなんとも可笑しい。
しっぽを追いかけてぐるぐる回る猫を見て思いついたのかな。
『ちびうさまいご!』
ハリー・ホース、千葉茂樹訳
『ちびうさまいご!』
個人的お気に入り度:★★★
表紙がかわいいなと思って読んでみた。
きょうはうさぎの子、「ちびうさ」 のたんじょう日。
ちびうさは「ぼくはもう、おっきいんだ!」 とよろこぶ。
沢山のプレゼントをもらったちびうさ。
その中には、大きな赤い風船と、
前から行きたかった遊園地、「ラビットワールド」のチケットも。
家族でラビットワールドに遊びに行く。
ちびうさは大はしゃぎでどんどん先に進み、
ママに注意されても、もう大きいから迷子になんてならないと言う。
しかし、本人が大きいつもりでも、
乗ってみたい乗り物にはほとんど乗れないばかりか、
ジャングルジムやブランコもまだ無理だとママが言う。
やっとちびうさにも遊べそうな遊具が見つかり、
遊んだあとに、迷子になっていることに気づく。
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まだ小さいんだから無理だよ、いけないよ、と、
小さな子どもは大きな子どもや大人とちがって、
色々な制約がある。
もちろんそれはほとんどがその子の安全のためだったり、
しつけ上必要なことなのだが、
子どもにはそんなことは関係なく、
ひとりでやらせてくれよ!と思い始める。
ちびうさの場合は1人でどんどん行ってしまって
迷子になってしまうのだが、
私の場合は、1人でいきなりできると思い込んだのは、
泳いだり、逆立ちしたりすることだった。
3才のときに長島温泉のプールで、全然泳いだことがないのに
「泳げるから手を放して」 と親に言い、
プールの底に沈んだことがある。
また、小学校1年か2年のときに、
いきなり壁を使わず逆立ちしようとして
畳に頭から崩れ落ちたことが。
・・とまあ、私の場合は単なるバカで、このお話でいう
「もうおっきいんだから・・」とはちょっとちがうかもしれないが、
そういう子どもだったのもあってか、
ちびうさの、早く大きくなりたいという気持ち、
もうこんなに大きいからひとりでできるんだ、
という気持ちはよくわかる。
絵がかわいい。
ラビットワールドは、ジェットコースターや植木なんかもうさぎで、
ボートが人参だったりするのがそれらしいし、
ちびうさの着ている淡い空色のつなぎっぽい服も
赤ちゃんみたいで
(というと本人は「ぼくもうおっきいのに!」と怒りそうだが)
かわいらしい。
『おっきょちゃんとかっぱ』
長谷川摂子、降矢なな絵
『おっきょちゃんとかっぱ』
個人的お気に入り度:★★★
- 長谷川 摂子, 降矢 奈々
- おっきょちゃんとかっぱ
おもしろそうだなあと思って読んでみました。
ありがとうございます^^
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川で遊んでいたおっきょちゃんを、
かっぱの子ども、ガータロがおまつりに誘う。
おっきょちゃんは浴衣に着替え、
庭にできていたきゅうりをお土産に持っていく。
ガータロに連れられて川の底にもぐっていくと、
にぎやかな祭りが催されていた。
大人のかっぱたちに取り囲まれるが、
ガータロがお客だととりなし、
おっきょちゃんがきゅうりを出すと歓迎してくれる。
かっぱたちにもらった祭りのもちを食べると、
地上での記憶が消えていき、
おっきょちゃんはガータロの家で家族として暮らすことに。
しかしある日水の上の方で自分の人形を見つけ、
おっきょちゃんは家のことを思い出し、
帰りたいと行って泣く。
しかし一度かっぱの世界にきた人間はもう帰れないのだ。
そこでガータロはおっきょちゃんを連れ、
「ちえのすいこさま」 に何とか帰れる方法がないか、
たずねに行くことにする。
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どこか死後の世界を思わせるような、
川の底のかっぱの世界。
その場所では人間世界の記憶を失い、
この世に戻ってくるときにも、
赤ちゃんの誕生を思わせるような手順で、
まっさらな状態で帰ってくる。
別世界に行って、何かを得て、帰ってくる物語。
物語のツボが押さえられていて、楽しくて、ちょっと深い。
連れてきたことへの責任感からか、
ガータロが最後まで面倒見がよいのに好感が持てた。
絵もかわいい。
赤いカッパもいいなと思った。
『おばけのジョージーおおてがら』
ロバート・ブライト、なかがわちひろ訳
『おばけのジョージー おおてがら』
個人的お気に入り度:★★★
- ロバート・ブライト, 中川 千尋
- おばけのジョージー おおてがら
ホイッティカー夫妻の家の屋根裏に住み、
毎晩家の階段を「みしっ」、居間の扉を「ぎいっ」 と鳴らすのが習慣の
小さなおばけ、ジョージーは、
恥ずかしがり屋で、人をおどかすなんてとてもできない。
しかしある晩、夫妻の不在中に泥棒が入り、
古くてすてきな家具や道具、つまりアンティークを
ごっそり盗み出し、トラックに積んで逃亡。
ジョージーはネコのハーマンとふくろうのオリバーと
力をあわせて泥棒を追跡、潜伏先の牧場にたどり着く。
泥棒をおどかすにはやさしく、小さすぎるジョージーだが、
干し草の山にかけてあった大きな布が目にはいり、
ジョージーは大きなおばけになるアイディアを思いつく。
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おばけが大きなおばけにばけようとするなんて、
ちょっと愉快。
ジョージーがもともと小さくて、やさしいおばけなのにも好感。
訳者あとがきでもふれられているが、
後日、ねずみたちを相手にジョージーがどろぼうごっこをする、
というエピソード、私もなんともほほえましくて好き。
夫妻はジョージーのことを知らないままなのだ。
このお話はシリーズの続編らしいので、
最初のお話も読んでみたくなった。
『消えたモートンとんだだいそうさく』
ラッセル・E・エリクソン、ローレンス・D・フィオリ絵、
佐藤涼子訳
『消えたモートン とんだだいそうさく』
個人的お気に入り度:★★★
「ひきがえる とんだ大冒険」シリーズの第2巻。
第1巻はこちら → 『かようびのごちそうはひきがえる』
そうじ好きのウォートンと、料理好きのモートンは、
ひきがえるの仲良し兄弟。
ウォートンの思いつきでキャンプに出かけるふたりだが、
初日の晩に大雨で増水した小川の水に流され、
モートンが行方不明に。
ウォートンはいかだを作ってモートンの行方を捜す途中、
ジャコウネズミのきょうだい、ハイラムとオービルと友達になり、
彼らの村へ。
ジャコウネズミの村は祭りの真っ最中で、
ウォートンはモートン捜しのためにいかだの帆を
2人のお母さんに直してもらったりしつつ、
祭りのジャンプコンクールにも参戦し、
ジャコウネズミとすっかり仲良くなる。
その晩、去年から同じ沼に住みついたビーバーたちが
作ったダムのせいで、沼が増水し、
ネズミたちの家は水びたしに。
ジャコウネズミたちによると、ビーバーたちは相当のワルらしい。
ジャコウネズミの祭りに遅れてやってきた亀に、
モートンがそのビーバーたちと一緒にいると聞き、
ウォートンはモートンが危険な目にあっているのではと、
大あわてで救出に向かう。 ところが……。
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コミュニケーション不足から生じた、ご近所のいがみあい。
(というか、お互い嫌っているだけでほとんど接触はなかったようだが)
2匹のカエル兄弟が関わったおかげで、
誤解がとけ、沼に平和が訪れる。
いやなやつらだ、悪いやつらだと決めつけて、
迷惑なことがあっても伝えもせず、陰で憎しみをつのらせていく。
ジャコウネズミたちは決して悪いひとたちではないけれど、
ビーバーたちとの関係を始めるときに、
ほんの少しまちがえてしまったのかもしれない。
そしてそれは、人間にも起こりやすいことなのかもしれない。
お話全体的にはテンポのいい冒険もので、
消化不良を起こすことなく、楽しめる。
ラッセル・エリクソン, 佐藤 凉子, ローレンス・ディ・フィオリ