断捨離してても、これは捨てれませんでした。

ずっと思ってたことがあります。

聖書そのものはベストな書物。

神もいるって思います。

その人なりの解釈の神はいると思う。

歴史学、哲学、法学を読んだりした私なりの

理解からすると、それぞれの解釈でよいのでは、ないかと思う。

エホバの証人の解釈は一律な人間的な解釈が付与されすぎ、もう少し、一人一人が解釈する時、タイムを与えたらいかがでしょうか?特に日本のエホバの証人の長老のみなさん。

私は詩篇56篇を行ったり来たりしています。

振り返ってみると、まだ歴史的理解が、自分の中では足りなかったな、と反省しています。