娘と離れるといつも思う。
娘に「会いたい」「会いたくない」「会いたい」
先生や知人が「ママのことが大好きなんですね」と言われると、「私はただの奴隷か御用聞きだと思われているだけです」と本気で心で思っている。
本も読む元気もなくなって、空を見上げてため息を吐いては涙が溢れる。
昨日は娘の好きなYouTubeじゃなかったら、携帯を投げつけられた。
娘の一生懸命な喜怒哀楽も、私には突発的、一方的過ぎて、ただ能面のように冷静に受け止めるだけになっている。
投げつけられた携帯を拾い、前は「壊れるでしょ!」と突き飛ばし、怒鳴りつけたこともあったなとふと思う。今は、黙って拾いあげ、「見たいのが見れなかったんだね」と声かえをして落ち着くのを待つ。
次は本が飛んでくる。
泣いて暴れる娘を見て、ポロポロと涙が溢れる。
「誰も悪くないのにどうしてこうなってしまったんだろう」
障害ってほんと辛いなと思う。
娘がティッシュで涙を拭くたびに、私に一つずつ渡す。
私が差し出した右手のタオルはずっと無視されている。
「この子は自分が泣いている」ということを知って欲しい。だけなんだ。
私は差し出したタオル床に落とす。手に丸まったティッシュが3つ、床に落ちたタオルを見て、「自分が望んでいることは無意味なことなんだろうか」、「こんな簡単なやりとりさえ成立しないのに、あと何年向き合えばいいのだろうか」と。
娘はさっきの癇癪が嘘のように遊び出す。床に落としたタオルには目もくれない。
「良かった。終わった」とタオルをしまう。
そして、また泣けてくる。明日が来るのが辛い。
私が産んだ娘はどんな意味があるのだろう。と思ってしまう。
自分軸で生きていいですよ。と頂いた言葉が支えだ。