役割 | hachiのブログ…from time to time

hachiのブログ…from time to time

今の気分、きまぐれに

コペンハーゲンからの更新を最後に また更新止まってましたね。



SHINeeのツアーが始まって テミンのソロ活動が始まっても

SHINeeネタが一切ないここのブログ

もうSHINeeの看板を降ろさなくてはですね(笑)


SHINeeへの気持ちは 基本変わりませんが

彼らも大きくなりましたし いつまでもうるさいお母さんは必要なくなってますので

一歩下がって 息子たちを見守る母に徹しようと思います。



トップ画像も 一年ほど前から変えてなかったのですが

新しく何に替えるかも思いつかないので シンプルにしてしまいました。

トップページのメッセージボードも変えました。




アクセスもすごく減って 最近では私の店のブログの方がアクセスが多い日もあるほどです。

店のブログはだんだん注目されるようになって来てて

固定の読者様も増えてると実感できます。




SHINeeのことを書いて SHINeeの人気に合わせてアクセスが伸びたこことは

違う手ごたえがあります。

ここと同じく本題(ファッション)以外のことも書くスタイルは同じなのですが

これまた 本題以外が案外人気があり

ブログをきっかけに来てくださったお客様が

「昔からの知り合いみたいな気がする」と親近感を感じてくださってます。



SHINeeのことを書かないなら

もうここも必要のない場所なのかもしれませんが

ここはなんというか私の心のよりどころみたいなところがあって

なにか有るたびに 文章が頭に浮かびます。


でも書く時間と気力ついていけなかったりです。



何度か「書きたい!」記事を書きかけて下書きに入れたままでした。

今それを読み返してみて 私に起きている環境の変化が なんとなく必然なのだと感じました。


やっぱり書いておくものです。


下書きは 読み返してみると 

夜中に書いたラブレターみたいなもので

重たかったり 中途半端だったり もう状況が変わったりで このままになりますが

でも その時の私だったなと思うので これはこのままでいいなと思います。





と・・・また悪い癖で ここまででダラダラ

本題に入らなくてはです。







帰国してから まさに怒涛の日々でした。




かいつまんで言えば


2/6(土) 帰国  自宅に帰って 休んでたら突然の吐き下し 1日で体重が2キロ減る


2/7(日) どうしても出なくてはいけない会があり 根性で出掛けようとしたら ぎっくり腰になりかける。

      でも気合だけで乗り切る


2/8(月) 帰国後初出社  山積みの仕事を片付けながら  

      明後日からのジュエリーイベントの準備をしているときに 

      母が倒れたと連絡があり 病院に駆けつける


2/9(火) ジュエリーイベントの準備と病院と父母の今後の世話について 兄と打ち合わせ


2/10~13 ジュエリーイベント 朝夕は病院と実家通い


2/14(日) 病院と残務処理のため 終日出勤

       一週間まともに食事をとれなかったので 更に体重が1キロ減る


2/15(月) 秋冬物の仕入れ 2軒と主治医との面談 そのあと出勤


2/16(火) 春物仕入のあと店に戻り 決算に向けての事務処理作業


2/17(水) 母のリハビリ病院の見学と面談後 出勤


2/18~19 仕事のあと母の病院 実家の片づけ


2/20(土) 決算報告会のあと通常業務 そのあと病院


2/21(日) 母の転院に向けての準備を実家にしに行き 

       現在入院中の荷物を片付けに病院へ

       午後から仕事関係の映画を見に行く。


2/22(月) 母がリハビリ病院へ転院

       新しい病院で手続きや様々な説明を受けたりで1日終わる

       仕事に行かなくてはいけなかったけど 行けず



2/23(火) 秋冬物の仕入れ2軒 母の病院で使うものの買い物後 

       店に出勤 夜 病院へ

       そのあと足りないものの買い物


2/24(水) 顧問税理士と月次作業 





いや~自分でいうのもなんだけど ほんまによく頑張りました(笑)

ちなみに体重は 3キロ強減ったままで そこんところは 嬉しい限りです。

秋~冬にかけて ちょっと増えかけていたので 

それがスッキリ落とせて また服もゆるくなりました。

これはこのまま維持し さらに運動して絞るつもりです。




ジュエリーイベントは 1年一度の最大の行事だし

扱うものがものだけに 緊張もしますし 責任も大きいです。



正直 元気だった母が倒れるのは想定外で

糖尿と心臓に持病を持つ父が先に倒れるもんだと思ってたので

連絡を受けたとき 「順番逆!」と不謹慎にもつぶやきながら病院に駆けつけました。



でも 気が張ってたおかげで 精神的に崩れることなく

一番しんどい一週間を乗り切れましたし

「今週だけは なにがなんでも私は倒れられない」ので 頑張れたなあと思います。




ジュエリーイベントも実績 内容ともにとても良かったので すごく嬉しかったですし

内心 昨年がすごく好成績だったので 

今年はうまくいくかどうか自信がなかったのですけど

気合が逆に入ったので すべて上手くいったのかも?とも思います。




母は 脳出血でした。

高血圧でもないのですが やっぱり寄る年波

こういうこともあるんだそうで。



被殻出血というタイプの出血で 量も少ないので手術にはならず

自然吸収を待つとのことで 倒れて12時間後には リハビリが始まりました。




現段階では 右半身が動かず ブローカ失語症という

こちらのいうことはすべてわかるけど 発語ができないという状況ですので

すごくもどかしそうです。



逆のタイプの失語症だと 介護する方が大変なんだそうですけど

このタイプは本人がすごくしんどいそうです。


イエスノー以外の質問には返事できないので

上手に話してあげないといけないけど まだ慣れなくてお互い戸惑ってます。



でもリハビリの成果の上がりやすい症例なので 母次第の頑張りで

回復は期待できるそうです。


細かいことはできないかもですが ある程度手足も回復するようですし

言葉もでるようになるそうです。



骨折の時もそうでしたが

ほんとに頑張り屋の母なので おそらくすごく頑張るんだろうなあと思います。



春休みの娘は 午前中は時間があるからと

弟のお弁当と夕食作りをやってくれています。




3年前に私が入院したときには なんにもしない娘のことを母が

「17歳にもなってなんにもできないのは あなた(私のこと)の

躾がなってないからだ」と怒ってたのですが

それを覚えていたのか その後全く料理などしたことないのに

今はクックパッドがあるので 毎日いろいろ頑張ってくれてます。




母が居なくては何もできない父ですが

2年前に母が骨折で40日入院したときに 

「これからのことを考えて お父さんにはしっかりしてもらうので

あなたはお父さんの面倒を見なくていいから。私の頼むことだけして」と言って


父には 毎日病院に来させて自分の洗濯物を持ち帰らせて 

父のものと一緒に洗濯をさせて

毎日新聞を届けるのを日課にし、

糖尿病なので どんなものを買って食べたらいいかを事細かに指示して

コンビニ通いをさせて自分の食事は自分でやらせてましたので

今回も父は何も言わずに 同じようにやろうとしてくれています。



独身で気ままに暮らしている兄も 2年前の母の骨折の時は

連絡したら「またお見舞いに行くわ」といって 私をキレさせたのですけど



あの時の経験からか 今回は率先して 父の今後のこととかを考えてくれていますし

近くに住んでいないので 日々は妹に負担がかかることをわかっていてくれて

父に何もかも妹に頼らないようにと話してくれたり 帰った時にはできることを全部してくれて

毎日メールで 私の愚痴を聞いてくれたりしていて

長く兄妹をしていますが これだけ連絡とってるのは 人生初めてのような気がしています。



母は外出先で具合が悪くなり 

どうやってどこから帰ってきたのかはいまだにわからないのですが

自力で帰ってきて ろれつが回らない状態で救急車を呼ぶなと言いつつ

着ていた服を下着から全部着替え 

カバンに入院準備を詰め込み 

自力で私の店からも近く 実家からも行きやすい病院に行こうとしていたそうで。




そんな非常事態でも 母はやっぱり母だったなと。


そして母のおかげで 父や兄や娘が変わっていってくれてるので

おかげで私は なんとか毎日仕事は出来ていますし

これからもやっていけそうです。


母が話せないので 母が週三回やっていたボランティア活動の仲間への連絡や

親戚などへの連絡もすべてやらなくてはならなかったのですけど

もう何年も話をしていなかった叔父叔母やいとこに電話をしたら

私が連絡したことを心から喜んでくれて そして慰められました。



家族を思いやったり 親戚とつながったりと 本来この歳になったら出来ていないといけないことを

「忙しい」ですべてを済ましていた私ですが

人として生きて行くうえで大切なことを そろそろちゃんとしなさいよと教えてもらえて

私のやるべきとことをするようにと 導かれているような そんな気がしています。




娘というものは 母の存在が大きいもので

母がいなくなる日を考えたくもなかったし その日が突然来たら

耐えられるかなという危惧感がずっとありました。



今回のことがあって まず 命の危険がなくてよかった

そして 今は話すことができないし動くこともできないのですが

でも 母が生きていてくれて 私が救われました。


人間の命には限りがあるので いつかは見送らなくてはいけないけど

私が悔いなくその日を迎え その後も元気でやっていけるようにと

やるべきことをしなさいねということなんだなあと感じています。



娘も20歳になり 親の役割がひとつ終わった ちょうどそんな時期の出来事で

ひとつ荷を下ろしたので また次の荷を持てるようになったので

新しい役割ができたのだと素直に受け入れています。



お客様方からも 介護やリハビリについていろいろ教えて頂いたり

バイトをしてくれている友人も力になってくれています。



たくさんの方々に助けられていることがほんとにありがたいし

自分は幸せだなあと つくづく感じています。




新しい役割を頑張ろうと思えることに感謝です。