最近、甲子園の記事をインターネットで多く見ます。大体直接関係のない人が書いてますが。
今回は、甲子園に対する自分の考えと、インターネットの記事に対する書き込みについての自分の意見を書こうと思います。
あくまで個人的な意見です。
同意出来てもそうでなくても、楽しんで読んで頂けたらと思います。
まず、甲子園に対する自分の考え。
特に好きではありませんが、野球をしていた時期もあってか、時間が空いてる時にやってたら観ます。
今年のボーク、スローボール、盗塁は動画やテレビのニュースで観ました。
別に、何やってもルールに則ってればいいと思うんです。
真っ向勝負出来なければ、他のスポーツもそうですが、甲子園を目指したり、出場してはいけないのでしょうか??
ましてや高校野球はアマチュアに分類されます。
給料が出る訳でもなし、ルール以外は誰も口を出せる事はないはずです。
最も、給料をもらってるプロにすら口を出す事はないです。
変な事をすればファンが減り、観客、視聴者が減り、給料が減り、最終的には野球で給料をもらえなくなるからです。
だから、自分は誰かを公共の場で批判する事はしません。
暗黙のルールなんて、大人のグレーゾーンを子供に押しつけているものに思えて仕方がないです。
堂々と言えるのであれば、ルールに加えればいいだけです。点差ならば、コールドのルールを作ればいいだけです。
ガッツポーズにしても、馬鹿にするにしても、自分としては、構わないと思っています。
それがスポーツという実力社会であり、もっと言えば社会だからです。
そうやって社会を学ぶ事も、大事な事ではないでしょうか?
スポーツ、野球で言えば、結局誰よりもいい人であろうが、実力がなければプロにはなれません。さらに、プロになれる確率を単純に想像しても、大多数の競技者は挫折や諦めを経験し、プロにはなれません。
馬鹿にされた人は、見返すまで頑張るのか、潔く自分の力を認めて他の道に行くのかを決めればいいと思います。変に勘違いしたまま実力がないのに続けるよりは、未来は明るいと思います。
実際自分も補欠で、自分より上手い人をたくさん見て諦めて、今は野球より好きな事を見つけ、幸いそれで仕事をしています。今の仕事も実力ありきの少し特殊な世界ですが…。
馬鹿にされるのは観ている側ですら気持ちいいものではないですが、じゃあ一生そういう人に出会わないのか、と言われたら、そういう人とも上手くやりとりをしなければいけない状況もあるでしょう。
少なくとも、そういう人も世の中にはいる、という事は学べます。
馬鹿にした側は、散々な批判を浴びるでしょう。嫌われてしまうかもしれません。
でもそうやって学んでいけばいいのではないでしょうか?
経験に勝るものはないと思っています。
周りの大人が、守り過ぎているのではないかな、と思います。
失敗も大切な経験の一つです。
むしろ何も失敗せず、成功しかしてない人は見た事ないです。
失敗をさせない事ではなく、なぜ失敗したのか、その失敗を生かすかどうか、どう生かすか、それを教えるのが本来の大人のするべき事だと思います。
そうやって子供たちは分かるのではなく、解っていくのではないでしょうか?
理解をしなければ、それを抑える存在が居なくなった瞬間、繰り返すと思います。
不満や疑問があるなら、こんな公共のインターネット上に載せず、高校野球連盟に問い合わせる。ルールを決めているのは高校野球連盟で、選手たちはそれを守ってやっているだけです。ルール違反かどうかは審判が判断します。審判の判断含めて問い合わせれば、もしくはルールを読めば分かる事です。
甲子園は観て楽しむ、応援する、さらに大人なら全て含めて見守る。
これが自分の考えです。
勘違いされるといけないので、先に補足しておきます。
私的な場であれば、その場にいる人が全員そうであれば、あーだこーだ言いながら観るのも楽しみの一つですね。
次に、インターネットで記事でもブログでもいいですが、誰かが書いた事に対するコメントについて。
まず、自分は、もう2度とコメント欄は見ないと思います(笑)
言いたい放題ですよね。
ルールを知らないコメント、それに賛同者が多数いる事、これには苦笑いです。
ネットはネットの世界、ではないと思います。
知らずに書き込んだり、コメントを信じて賛同した場合、最終的に損をします。
ネットは誰でも見れるものが多く、公共の場で自分が無知という事を言ってしまっています。
どうでしょう?
外国に行って、外国人同士が話をしています。
聞いてみると、片方は相当日本に詳しいと話し、さらにその人が自慢気に、日本では皆着物を着ていると話していたら…。
現実とインターネット上という違いはありますが、同じ事です。
違いは、顔や名前が見えているか見えていないか、それだけです。だからといってその人が言った事に変わりはないです。
これはモラルの問題です。
言葉遣いもそうですが、顔も名前も分かんないし、適当でいいや、と思えばそれまでです。でもそんな人が増えたら、インターネットは全く信憑性のないものになってしまいます。既にそうなりつつある気もしますが…。
ブログなんてその人の主観なので、読みたくなければ読まなきゃいいんです。
記事なんて、コメント数や、閲覧数が増えたら優秀になってしまう世界なので、気分を害するならほっとけばいいんです。
どこのブログも記事も綺麗ごとで統一されてたらそんな事は解っているので何もおもしろくないですし、なら記事は一つでいいです。
その違いを楽しめるかどうか、読む側にもかかっていると思います。もちろん書く側にもかかっています。
記事のコメントでも、記者は問題提起をしただけだったり、その事を肯定してないのに記者に向けて批判している方もいました。これは内容以前に完全に読む側のミスです。
考えが違ったり、極端な考え、人とは違う考えであっても、ブログや記事を書く人にも言論の自由があります。
しっかりとした読解力を持って、自分の考えと違う考えも、考えの一つとして受けとめて楽しめれば、もっと楽しいインターネットになると思います。
叩くだけなら誰でも、何にでも簡単に出来ますよ。叩く事だけを考えれば。
自分のブログだってなるべく自分が経験した事を書いたり、なるべく多くの方に配慮しているつもりですが、叩こうと思えば自分でもいくらでも叩けます。
対人関係に至っては、肯定する事の方が難しいです。特に自分とは違う部分が多ければ多い程。
書く側と読む側がお互いに配慮し、肯定、もしくは、一つの考えとして受け容れられれば、インターネット上にも素晴らしい世界が広がるのではないか、そうなって欲しいと思います。
こう考えると、
甲子園の問題とインターネット、
実在する世界と空間の世界、
違いはありますが
結局のところ、
使う人側に全てがかかっているという事に思います。
野球もインターネットも、狭い世界にしていくのではなく、広い世界にしていきたいですね。