自分が
頭の中で考えてる事
心の中で思ってる事

それはよく自分自身を裏切った形になって
自分の外に出ていく

よくある事

ただ、
本当は望んでないのに
誰かを傷つけるのは、

いつまで経っても慣れない

時々思う

外じゃなくて
自分の中が現実なのではないか

そう思いたいだけ

結局
弱さに
変われなさに
嫌気が差してるだけ

弱さを
変われなさを

もし受け容れて
愛せるのなら

どんなに楽だろうか…

それでも歩き続ける
止まる訳にはいかない

そんな
どこかにいる
同じ事を考えてる人達が

自分を孤独から解放して
また前を向いて歩き出させてくれる

最近、甲子園の記事をインターネットで多く見ます。大体直接関係のない人が書いてますが。

今回は、甲子園に対する自分の考えと、インターネットの記事に対する書き込みについての自分の意見を書こうと思います。

あくまで個人的な意見です。
同意出来てもそうでなくても、楽しんで読んで頂けたらと思います。

まず、甲子園に対する自分の考え。
特に好きではありませんが、野球をしていた時期もあってか、時間が空いてる時にやってたら観ます。

今年のボーク、スローボール、盗塁は動画やテレビのニュースで観ました。

別に、何やってもルールに則ってればいいと思うんです。

真っ向勝負出来なければ、他のスポーツもそうですが、甲子園を目指したり、出場してはいけないのでしょうか??
ましてや高校野球はアマチュアに分類されます。
給料が出る訳でもなし、ルール以外は誰も口を出せる事はないはずです。
最も、給料をもらってるプロにすら口を出す事はないです。
変な事をすればファンが減り、観客、視聴者が減り、給料が減り、最終的には野球で給料をもらえなくなるからです。
だから、自分は誰かを公共の場で批判する事はしません。

暗黙のルールなんて、大人のグレーゾーンを子供に押しつけているものに思えて仕方がないです。

堂々と言えるのであれば、ルールに加えればいいだけです。点差ならば、コールドのルールを作ればいいだけです。

ガッツポーズにしても、馬鹿にするにしても、自分としては、構わないと思っています。

それがスポーツという実力社会であり、もっと言えば社会だからです。

そうやって社会を学ぶ事も、大事な事ではないでしょうか?

スポーツ、野球で言えば、結局誰よりもいい人であろうが、実力がなければプロにはなれません。さらに、プロになれる確率を単純に想像しても、大多数の競技者は挫折や諦めを経験し、プロにはなれません。

馬鹿にされた人は、見返すまで頑張るのか、潔く自分の力を認めて他の道に行くのかを決めればいいと思います。変に勘違いしたまま実力がないのに続けるよりは、未来は明るいと思います。
実際自分も補欠で、自分より上手い人をたくさん見て諦めて、今は野球より好きな事を見つけ、幸いそれで仕事をしています。今の仕事も実力ありきの少し特殊な世界ですが…。

馬鹿にされるのは観ている側ですら気持ちいいものではないですが、じゃあ一生そういう人に出会わないのか、と言われたら、そういう人とも上手くやりとりをしなければいけない状況もあるでしょう。
少なくとも、そういう人も世の中にはいる、という事は学べます。

馬鹿にした側は、散々な批判を浴びるでしょう。嫌われてしまうかもしれません。
でもそうやって学んでいけばいいのではないでしょうか?

経験に勝るものはないと思っています。
周りの大人が、守り過ぎているのではないかな、と思います。

失敗も大切な経験の一つです。
むしろ何も失敗せず、成功しかしてない人は見た事ないです。
失敗をさせない事ではなく、なぜ失敗したのか、その失敗を生かすかどうか、どう生かすか、それを教えるのが本来の大人のするべき事だと思います。

そうやって子供たちは分かるのではなく、解っていくのではないでしょうか?
理解をしなければ、それを抑える存在が居なくなった瞬間、繰り返すと思います。

不満や疑問があるなら、こんな公共のインターネット上に載せず、高校野球連盟に問い合わせる。ルールを決めているのは高校野球連盟で、選手たちはそれを守ってやっているだけです。ルール違反かどうかは審判が判断します。審判の判断含めて問い合わせれば、もしくはルールを読めば分かる事です。

甲子園は観て楽しむ、応援する、さらに大人なら全て含めて見守る。

これが自分の考えです。

勘違いされるといけないので、先に補足しておきます。
私的な場であれば、その場にいる人が全員そうであれば、あーだこーだ言いながら観るのも楽しみの一つですね。

次に、インターネットで記事でもブログでもいいですが、誰かが書いた事に対するコメントについて。

まず、自分は、もう2度とコメント欄は見ないと思います(笑)

言いたい放題ですよね。
ルールを知らないコメント、それに賛同者が多数いる事、これには苦笑いです。
ネットはネットの世界、ではないと思います。
知らずに書き込んだり、コメントを信じて賛同した場合、最終的に損をします。
ネットは誰でも見れるものが多く、公共の場で自分が無知という事を言ってしまっています。

どうでしょう?
外国に行って、外国人同士が話をしています。
聞いてみると、片方は相当日本に詳しいと話し、さらにその人が自慢気に、日本では皆着物を着ていると話していたら…。

現実とインターネット上という違いはありますが、同じ事です。

違いは、顔や名前が見えているか見えていないか、それだけです。だからといってその人が言った事に変わりはないです。

これはモラルの問題です。
言葉遣いもそうですが、顔も名前も分かんないし、適当でいいや、と思えばそれまでです。でもそんな人が増えたら、インターネットは全く信憑性のないものになってしまいます。既にそうなりつつある気もしますが…。

 ブログなんてその人の主観なので、読みたくなければ読まなきゃいいんです。

記事なんて、コメント数や、閲覧数が増えたら優秀になってしまう世界なので、気分を害するならほっとけばいいんです。

どこのブログも記事も綺麗ごとで統一されてたらそんな事は解っているので何もおもしろくないですし、なら記事は一つでいいです。

その違いを楽しめるかどうか、読む側にもかかっていると思います。もちろん書く側にもかかっています。

記事のコメントでも、記者は問題提起をしただけだったり、その事を肯定してないのに記者に向けて批判している方もいました。これは内容以前に完全に読む側のミスです。

考えが違ったり、極端な考え、人とは違う考えであっても、ブログや記事を書く人にも言論の自由があります。

しっかりとした読解力を持って、自分の考えと違う考えも、考えの一つとして受けとめて楽しめれば、もっと楽しいインターネットになると思います。

叩くだけなら誰でも、何にでも簡単に出来ますよ。叩く事だけを考えれば。

自分のブログだってなるべく自分が経験した事を書いたり、なるべく多くの方に配慮しているつもりですが、叩こうと思えば自分でもいくらでも叩けます。

対人関係に至っては、肯定する事の方が難しいです。特に自分とは違う部分が多ければ多い程。

書く側と読む側がお互いに配慮し、肯定、もしくは、一つの考えとして受け容れられれば、インターネット上にも素晴らしい世界が広がるのではないか、そうなって欲しいと思います。

こう考えると、
甲子園の問題とインターネット、
実在する世界と空間の世界、
違いはありますが
結局のところ、
使う人側に全てがかかっているという事に思います。

野球もインターネットも、狭い世界にしていくのではなく、広い世界にしていきたいですね。
難しいタイトルですし、
難しい問題ですね。

毎回読んで下さってる方は、次の段落から読んで下さい。あくまで個人の、素人の考えですし、読むも自由、読まないも自由です。おもしろくない人はこんなブログを読まずに楽しい事に時間を割いて下さい。その方が自分としても嬉しいです。

今回は、アメリカでマイケル・ブラウンさんが警察に銃で打たれ亡くなったと言うニュースで読んだので、この難題に挑戦してみます。

自分の考えですので、正しいか間違っているか分かりませんし、答えはたくさんあると思います。
いや、状況、個々の経験によっても変わってくるでしょう。

自分は小さい頃海外に住んでいた事もあり、ちょっと他人事とは思えないので。

自分の中で導かれた答えは、至ってシンプルです。シンプルですが、説明や、行動に移すのはなかなか難しいと思います。

得てして、シンプルな事程難しいものはないと、つくづく思います。

例えば、最近書いたサッカーの話で言うと、ゴールを多く決めた方が勝つ。

答えはシンプルです。
ただ、相手もゴールを決めにきますし、ゴールをさせまいと守ってきます。

結果、ゴールをより多く決めるというシンプルな答えですが、それを簡単には実行出来ません。

ではなぜ、人間は物事を難しくするのでしょうか?

その方が面白いから、つまり探究心、あるいは好奇心などといったところでしょうか。

簡単な事って、すぐ飽きますよね。

だから難しくしたり、対戦相手を作る、もしくは簡単なものでも記録を競ったりして、状況を難しくします。

…話、戻します💦

つまり、人種なんて、あってないものです。

だって、同じ国の人でも、自分の場合日本人でも、殺人犯や、理不尽な人は居ますよね。でも尊敬できる人もいる。実際自分も海外に居た頃、イジメる人はイジメるし、実際イジメられましたし、優しい人は優しかったです。国籍や人種に関わらず。

他の国でも同じですよね。

ではなぜこうも人種問題がなくならないのか。もう何年生存してるんですかね、人間は。

自分の考えは、


環境と人間1人1人の心、だと思います。


考えてみて下さい。

もし好きじゃない国とか人種がいるなら、その国で生まれたら…。

その時皆さんは今の考えを持っていられるでしょうか?

その日の食べ物を探すので精一杯な場所に生まれたら、
逆らったら何されるか分からない場所に生まれたら、
無理矢理奪ってでもしないと生きられない、家族や大切な人が亡くなってしまう場所に生まれたら…

あなたはそれでも嫌いと言えますか??

そんな事をするぐらいなら、なんて言えますか??

最低だな、とか言えますか??

批判するなら一部の人であって、その国自体、国民自体を批判するのは違いますよね。

もちろん、そういう場所に居ても幸せな人もたくさんいるだろうし、そもそも、

幸せって何?
そんな事今日生きるのに精一杯で考える時間も労力もないんだよ、

っていう人はたくさんいると思います。

更に言えば、幸せかどうかなんてそれぞれの価値観で、かわいそうとか、そんなん勝手にこっちが決める事じゃないです。

実際、何もない場所の方が心は豊かなのかな、って思う時もあります。

今回の話は、自分としてはこういう言い方したくないですが、分かりやすくするために敢えて言います、黒人問題ですね。

ちなみに、日本人からしたら、黒人とか、ブラックミュージックとか、いい意味でも「黒」を使いますが、人によっては嫌うのでご注意下さい。

前に言われました。
茶色だと。

笑った方もいらっしゃったと思いますが、
考えれば分かります。

日本人を見てyellowと言われて気分が悪くなる方も居ますよね。

黄色じゃないし、って。

自分は気にしませんが。

日本語の意味を考えて正しく使うなら、何色でも、肌色ですよね。

皆がそういう肌色の使い方ができれば、なんと素敵な言葉になる事か。



何故打ってしまったのか、考えてみました。
いくつかありますが、

1.その警官が差別意識を持っていた。
2.誇示、もしくは見せしめ。
3.恐かった。

こんな所かな、と。
1と2なら論外、警官が悪い。

では、3の場合は?

もしあなたが警官、銃社会で生きていて、大柄な男が近づいてきたら。
もしくは、日本が銃社会で、大柄な男が近づいてきたら。

状況は警察側とデモ側で別れているので、その議論は今はしません。予想や未確定情報で物事を言う程恐ろしいことはないです。
ここで銃社会について議論するのもナンセンスです。そういう社会が今実際に在って、すぐに変えられる訳でもないですし、もう起こってしまった事ですから。

自分なら、こわいです。
それも、銃社会で生きてるとしたなら尚更。

銃を持っているかもしれないですし、
大柄な人間であれば一発であの世行きもあり得ます。

更にはそういう社会で生きてきた、自分より腰の座った人なら。

その恐さに1人1人が打ち克つ事が、
人種問題を無くす1番の近道かと思います。

銃や武器、暴力の恐さに克ち、
知らない人に対してフラットで在る事。

つまり、
人間1人1人の心と体の強さ、
これだと思います。

体は、もちろん高圧的、有利に物事を進めるためではなく、それに寄ってある程度ですが、心に余裕が出来ると思うからです。

警官も、もし近づいてきたのが幼稚園児なら、打ってないですよね。まぁ、今はテロ等とあるんですが、基本的には、ですね。

これはもちろん人種問題だけを考えた場合であって、相手が悪ければ取り返しのつかない事になります。

自分だって全然出来てないです。

でも、もし全員が自分に打ち克ち、心の波を穏やかに保ち、相手を受け容れられるなら、人種問題だけではなく、犯罪やそれを助長する行為、原因となる行為は少なくなるのではないでしょうか?

基本的に世の中の全てに絶対はないと思っています。なのであるかもしれません(笑)
絶対はないのに、絶対な物事を作ってしまう人間というものは本当に…、
と思ってしまう時もあります。

自分も人間なんですけどね。

人間からしたら、自然の中で生きてる生き物は野生ですが、他の生き物からしたら家に住んでいるのが野生の人間で、自然の中で生きてる人間が野生じゃない、こんな考え方も出来ます。

人間は、経験則等によって、色々決めつけ過ぎるのかな。

環境が違うから文化も違ったりして、
それがまた興味深かったりするので、統一するのもまた違うと思いますし、そうなりつつある世の中に少し不安があるのも事実です。
まぁ、答えではないのかもしれないですけどねー。

あ、いっときますが、自分は心理学や宗教家ではないですし、いわゆる一般人です。ドラマなら通行人Bぐらいだと思います(笑)
というか、一般とか、普通の定義すら疑問ですが。

理想じゃん。
そうです、理想です。

ただ、理想をしっかり持って、少しでもこの問題を考えて、自分の出来る範囲から実行してみる。
おそらく生きてる間には叶わないでしょうが、
諦めず、次に繋ぎ、継続していく事が、
本来の人間の在るべき姿なのかな、と。

諦めない、継続する、自分の中では最も難しい部類の事です。

でも出来ると思います。
ずっと命を繋いできた人間なら。

これからも繋いでいくのか、
絶滅危惧種になるのか…

それは、これからの1人1人のちっぽけな力に掛かっていると思います。

こんな堅い事書いてますが、
自分としては、せめて自分と自分の周りの世界や人が楽しく生きていけたら、と日々思いながら生活してます。

どう思うかは読んで頂いた方次第です。

全ての読んで頂いた方に感謝、です!
否定的な意見の方でも、読んで考えて頂いた、と思っています。

考え方は自由です。

だから自分も自由に考えてこうやって書けている訳ですし。

ただ行動は責任があり、時に人を巻き込みます。それはしっかり自分も持ちたいので、自分の考えは押し付けません。

自由に考えを巡らせて下さい。

こんなしょーもないモノを読んで頂き、
ありがとうございましたm(_ _)m