11月27日

大好きなぴぃちゃんが虹の橋を渡りました。



今年の春先に、目尻の横に出来物らしきものがあることに気づいたのが始まりでした。

ちょっと膨らんでるような?
もしかして放鳥しているときに、とうふとやりあって怪我したのかな?

そのときはそんなふうに思っていました。



病院に連れて行き、診察してもらいました。

今まで体調を崩したことはなく、とても健康だったぴぃちゃん。
きっとお薬が処方され、すぐ治るものだろう、と思っていました。


それが、腫瘍で、おそらく、治らない。と言われるまでは。





レントゲンを撮っていただきました。

そこには白い影が見えました。

ちょうど、目尻の、頭のところ。

先生曰く、どうやら骨のように硬い、らしい。

柔らかい出来物だったらまた話が変わってきたみたいなんだけど、骨のように硬い。


いわゆる腫瘍、なんだって。

お薬を飲んでも治らないんだって。

手術もできないんだって。

どんどん大きくなるかもしれないんだって。


とてもショックでした。

治ると思って、病院に行ったのに、治らないと言われました。



そこから、ステロイドの入った、きついお薬を飲むかどうか、提案されて迷ったのだけれど、そのときは、お薬は飲まないことを選びました。

その腫瘍があること以外、ぴぃちゃんは今までと何も変わらず、とても元気、に見えたからです。

ステロイドって、私のイメージは、きつい、長期間に渡っての使用はあまりよろしくない、、、
そんなかんじ。

なので、この、いま、元気な子が飲むことで、弱ってしまうんじゃないか。

そんな心配があり、やめました。

でも今思うと、この時から使用していたら、何か変わっていたのかも?
腫瘍の成長を、止められたかも知れない。
もしかしたら、治ったかも知れない。
腫瘍が消えたかも知れない。

そう思ってしまいます。




腫瘍が発覚してから、通院が始まりました。

最初は、1ヶ月に1回の通院。

腫瘍の状態を見てもらいました。

毎回行くたびに、すこーしずつ、大きくなっていっている。
でも、ぴぃちゃんは変わらず元気。

とりあえず、様子見の状態が続きました。




夏頃かな?

ぴぃちゃんが、手の中で寝るようになりました。

たぶん、今思えば、しんどかったのだろう。

人の手の中で寝るなんて、滅多になかったのが、放鳥のたび、手の中に入ってくるようになったのです。







この頃は、ステロイドの入っていない、漢方で作られた、身体に優しい?お薬を服用していました。



そして、そのお薬も、途中でやめました。

理由は、薬を飲んでも変化がなかったから。

治るわけでもない、悪くなるわけでもない。
腫瘍は少しずつだが大きくなる。。
飲んでる意味があるのか、疑問に思ったのです。


この判断も、今思えば、やめるべきではなかったのかな。

どうだったのかわかりません。

飲んでいたから、悪くならなかったのかも。
そうかも知れません。






徐々に、放鳥しても寝ることが多くなりました。






大人しくなったというか。
甘えん坊になったというか。


うん、しんどくて、甘えたかったのかも。





秋が始まる頃だったかな。

突然、飛べなくなりました。

だんだん、足が弱くなってきたのか、うまく止まれないことが多くなってはいましたが、

ガクっと

体調の変化があらわれたと、記憶しています。


もう、今にも、死んでしまいそうな。

もう、ダメかも、、

それほど、突然、弱ったのです。


それから、普通のケージではなく、お出かけ用のキャリー生活になりました。


大好きなブランコにも乗れなくなりました。

飛べなくなりました。

お水浴びもできなくなりました。

お歌も歌わなくなりました。

鳴くことも少なくなりました。



ぴぃちゃんが過ごすキャリーは、
バリアフリーを心がけ、
ぴぃちゃんが、
少しでも、
生活しやすいように、
先生からのアドバイスなども参考に、
下の網は外し、ふわふわ、もこもこの、タオルを敷いて、、、
こけても大丈夫なように。

餌箱とお水入れも、浅いタイプのものに。

鏡やブランコもセッティングしました。

ブランコは、乗れないけれど、大好きだったから、ぴぃちゃんが息を引き取るその日まで、外しませんでした。

またいつか、元気になって、ブランコに乗れますように。。

そんな日は、来ないと、おもいつつも、
取り外してしまうことができませんでした。

取り外すことによって、ぴぃちゃんが元気になることを、諦めてしまっているかのようで。

邪魔だったかも知れないね。

ごめんね。





ステロイドのお薬も、きついからとやめたのに、結局、頼ることになりました。

こんなことなら、最初に腫瘍が見つかった時にお薬を始めておけばよかった。

こんな、しんどい、辛い状態での投与は、もっとしんどくなるだけかも知れない。

でも、もしかしたら、楽になるかも知れない。
奇跡が起きて、治るかも、知れない。

そんな思いで、ステロイドのお薬を開始。



お薬のおかげか、もうダメかもと思っていたぴぃちゃんの体調が、少し良くなりました。

飛べないけれど、元気になったように感じました。

ぐでっとなってたぴぃちゃんが、少し歩けるようになりました。

やっぱり、もっと早くこのお薬を選んでおくべきだった?





そして、2週間おきの通院となりました。

キャリーでのバリアフリー生活が、長い間続きました。


10月には私の諸事情で、実家に帰ることになり、ぴぃちゃんも一緒に連れて帰ることにしました。
2週間の通院ができなくなるので、2週間分のお薬を2回分、処方してもらいました。

2週間経ったら、精製水で自分でもう2週間分をつくりました。

なくなったら、病院へ行き、様子を見てもらい、またお薬を処方してもらいました。


実家に帰ってから、私はゆっくりぴぃちゃんとの時間を過ごしたかったのですが、入院することになり、会えなくなりました。

母に、毎日お薬を飲ませてもらい、ぴぃちゃんのお世話をお願いしました。

写真や動画も毎日送ってもらいました。





もう、長くはない。

覚悟はできている。


せめて、私が家に戻るまで、待ってて欲しい。

そう祈っていました。



毎日、毎日、

ぴぃちゃんは?
お薬飲んだ?

と、聞きました。


のんだよ、餌も食べたよ。


その言葉で安心しました。



『食べることは、生きること』

たしか、闘病中の文鳥さんの飼い主さんが言っていた言葉。


そう、食べることは、生きること。

食べたら、生きれる。

ご飯食べなかったら、死んでしまう。




そして、いろいろあって、私は1ヶ月ほどで退院。

ぴぃちゃん、待っててくれました。


先生に、
あと1日2日だろう、、

そう言われてから、3週間ちかく生きました。


お薬も、2週間分を2回分お願いしたのに、1回分しかもらえなかったり。
補助の餌だって、もう少なくなってるから、欲しいと言ったけど、次の時で、と言われたり。

なんで?!

と思ったけれど、それは、先生は、ぴぃちゃんが長くないことをわかっていたから。

でもね先生、ぴぃちゃんは1日2日ではありませんでした。
3週間生きてくれましたよ。

息を引き取る直前まで、餌を食べてくれました。

食べることは、生きること。


食べてるぴぃちゃんを見ては、

そうそう、えらいね!
食べることは生きることだからね!

そう声をかけました。


ステロイドのお薬を、初めて処方される時、先生から説明がありました。


黒いうんちが出たら、お薬があってないのでやめてください。


ぴぃちゃんがいなくなる3日前くらいからかな?

黒いうんちをするようになりました。

お薬は、やめました。

漢方が入っているからか、たぶん美味しくないお薬です。

苦かったかも知れません。

嫌々ながらも、毎日、朝晩と1日2回、のんでくれました。

それも、最後は、やめました。



お薬のことでも、悩みました。

まずいお薬を、嫌々ながら飲ませて、果たしていいのか?

治らないとわかっている。

でも、このお薬を飲むことによって、ぴぃちゃんを蝕む悪い奴が、腫瘍の影響が、少しでもましになれば、、、、


腫瘍がどんどん大きくなってから、てんかん発作も始まりました。

目尻の横、脳に近いところ。
なにかしら、影響もあったはず。


急にばたついたり、バランス感覚が取れずくるくる回ったり。
呼吸が荒くなったり。

そんな、辛そうな姿を見て、お薬を飲ませることは果たして良いのか?

なんだか、無理に、生きさせてはいないか??

辛い思いをしている時間が、ただただ、私のエゴで、長くしているだけでは、、、?



お薬のやめ時がわかりませんでした。

本当に、本当に、
ぴぃちゃんに、
もっと生きて。なんて言わないから、
ただただ、この苦しい状態が、少しでも楽になるように。
少しでも楽になって欲しい。
それだけでした。

ぴぃちゃんを蝕む悪い奴、飛んで行け〜
いたいのいたいの飛んで行け〜

そう声をかけました。

何度も何度も。



黒いうんちが出てから、お薬をやめました。

もう、飲まなくていいよ。





そして、それから数日して、虹の橋を渡りました。


朝の4時半ごろ、ぴぃちゃんが動かなくなっているのを確認しました。

母が2時に見た時は餌のところで寝てたみたいです。

私がぴぃちゃんを手の中に包んだ時は、まだ、脚とか柔らかかったです。

時間が経つにつれて、かたくなりました。

だから、ちょっとしか経ってなかったのかな。

ぴぃちゃん、ごめんね。

できることなら、手の中で、見送ってあげたかったです。

その心構えは、できていたからね。


ぴぃちゃんが、いなくなって、とっても、とっても悲しいのだけれど、
でも、それと同時に、ぴぃちゃんは苦しみからやっと解放されたんだ。って思いもありました。

私が変わってあげたいくらい、すんごく、がんばりました。

しんどかったはずです。

でも最後までご飯を食べました。

生きることをあきらめなかったよね?

ぴぃちゃんが生きようとしているのに、止める権利はありません。

見守ることしかできませんでした。




ぴぃちゃん、がんばったね。

ありがとう。

長く辛い思いをさせてしまいました。

ごめんね。


私の帰りを待ってくれてたのに、手の中で看取ってあげれなくてごめんね。

あのとき、寝ずに起きていればよかった。

心残りです。。








11月27日

ぴぃちゃんが虹の橋を渡りました。

7歳でした。


ぴぃちゃんを可愛がってくれた、
ぴぃちゃんと仲良くしてくれた文鳥さんの飼い主である友人にも報告しました。

すると、なんと、友人の大切な文鳥さんの、命日であることがわかりました。

偶然にも?命日が同じ日となりました。

もしかしたら必然だったかも??

ぴぃちゃんが寂しくないようにって、迷わないようにって、お迎えに来てくれたのかもです。

ぴぃちゃん、1人じゃないね。

とても安心しました。

向こうでも、寂しくないね。

お友達と一緒だね。


私は手の中で看取ることができなかったけれど、ぴぃちゃんは1人ではなかった。

そう思いたいです。











ぴぃちゃんがいなくなって、寂しい気持ちが、

最近は、会いたいなって気持ちが強くなりました。


携帯の写真フォルダの中にはぴぃちゃんがいっぱいで。

最近のはもう、元気のない頃のぴぃちゃん。

でも、遡ると、元気な頃のぴぃちゃん。











闘病生活が長くて、元気だったぴぃちゃんが懐かしく、ああ、こんなふうにホッピングしてたな、飛んでたな、鳴いてたな、歌ってたな、私の方見てくれてたな、って、記憶が思い起こされ、

会いたくなるのです。

もういちど、ぴぃちゃんの綺麗なお歌が聴きたい。

飛んできて、頭に止まって欲しい。

キャルルルルって、怒って欲しい。

なんなら噛んでも大丈夫。

ブランコこいでる姿も、とても可愛かったなぁ。。。


どのぴぃちゃんもとても愛おしく、大好きでした。

世界一可愛い文鳥さん!でした。



またいつか、会えるといいなぁ。

生まれ変わったら、私のところに来てね。



ちょっとまだ、心にポッカリ空いた穴は、埋めれそうにないです。。。


大切な子であることは、今も変わりません。



ぴぃちゃんを可愛がっていただき、ありがとうございました。





頬グロだった頃のぴぃちゃん。