1945年 無残にも美しい青春があった。 | 二宮優樹の「ハクナ・マタタ!」

1945年 無残にも美しい青春があった。

「止めることもできもはん。
慰めることもできもはん。
ただただ、あん人達の魂の平安を
祈ることしか出来ませんでした。」 

鹿児島県知覧の商店街で、

「富屋食堂」を経営し、
若き特攻隊員達から常日頃母親のように慕われており、
彼らの熱く、哀しい思いを最も良く知る人物、

「鳥濱トメ」さんの言葉である。


このトメさんの数々の証言を元に、8年も前に
「石原慎太郎」氏が執筆したと言われる、

「俺は、君のためにこそ死ににいく」

を見に行ってきた。


「特別攻撃隊(特攻隊)」
によって若くして死んでいった若者達の姿が描かれている。

殆どの軍人が、負けるとわかっていながら、
国体の為にこの作戦を実行していた。

<国体>とは、
天皇制の事。
天皇の為、お国の為に死ぬことこそ誉だという考え方だ。

そんな考え方の為だけに特攻は行われていた。

勝ち目のない負け戦とわかっていても、
7割3分で負けるのか?、5割5分で負けるのか??

「負け方にこだわれ。」そんな言葉が出てきた。

自分がそん時代に生きとったら果たしてこんな風に死ねたろうか??


表面上は、
「志願」とされているこの特攻も、

将校の前に並べられて、
「特攻兵として、国の為に命をなげうつ覚悟のある者」

と通達を受け、志願すれば、直ちに死が待っていて、
しなければ卑怯者、裏切り者など、不名誉な罵声が待っていた。

事実上、ほぼ断れないものだった。

この映画の中で、
1人の軍曹が、トメに出撃前夜に会いにきてこう言う。

「俺まだ19だから、俺の残りの30年の寿命をおばちゃんにあげるで、長生きしてな!!

俺が死んだら、、、、蛍になってここに帰ってくるから、、、、、。」

わずか19で死に赴く気持ちが、
明日自分が死んでいくという気持ちがどういうものなんか、
今の俺らには理解しようとしても出来るはずがない。

二度と同じような事を繰り返さぬ為に、
戦後62年が経とうとする今年。

戦争を知らない自分達に一体何が出来るのか??
考える時がきているのかもしれない。

トメの言葉にこういう言葉もある。

「ひとつしかない命を擲げ捨てて散って逝った若者の事・・・
忘れてはならない。」