はっぴーたんです。ヾ(o´∀`o)ノ
なかなか開けなかったブログを久しぶりに開いたら9月で止まってました。
10月
母の訪問診療が始まりました。
初日から背中にできた腫れ物の膿を出しました。
もうこの時は脚のむくみが酷くなり、皮膚には湿疹が出て痒くてしんどくて思う様に動かない身体に辛い思いをしていました。
訪問リハビリにも来ていただきました。
部屋の中を移動するのも手押し車がなければすぐに転けてしまう…
11月
介護認定が降りました。
要介護1でしたが、9月末に調査に来てもらった時より1ヶ月後の状態は悪く要介護1どころではなかったです。
食欲も落ち、ペットボトルのキャップも開け辛くなり、不安で度々電話をかけてきてました。
12月
緩和ケアに面接に行き翌日から入院しました。
レントゲンと血液検査をして、結果が出るまで父と昼食に出掛けて戻って来たら先生に呼ばれました。
何を言ってるのかわからなかったです。
パニックになり何の感情なのかわからない涙が溢れて止まらなかった。
母を連れて帰りたい。
こんな所に連れてきて間違いだった。と思ったけど、『母は帰らない。』と決めて来た様だった。
それから私は毎日泣きながら祈りながら病室に通ってました。
今日も生きていてくれてありがとう。
明日も来るから元気でいてね。
『うんうん』といつもうなずいてくれた。
何となく今日は帰りたくない様で帰りたいそんな12日目『明日もくるから頑張って待っててな』毎日掛けた問いかけに、何度問いかけても応える事がなかった日、病室を出て扉が閉まるその瞬間まで母のうなづきを待ったけど返事はなかった。
日付が変わって10分も経たない夜中に携帯が鳴った。『最期の時が』きたんやな。
病院へ向かうその日の夜中の信号は一生変わらないんじゃないかと思うほど長く感じました。
入院してたった14日でこの世とお別れした母は、どれだけの苦しさや痛さや辛さを入院するまで我慢していたのかと思うと申し訳なかった。
たくさんの花に囲まれて、最後は花に埋もれる様にこの世を去って行きました。
私の独身の後半は母が死んだら私も死ぬわ。と話していたくらい母に甘えて生きて来た。
気がつけば結婚して子供を産んでも甘えて生きて来た。
これからもこの先もずっと一緒やと思ってたから癌なんて、余命なんて、受け入れたくなくて向き合わなかった事にどれだけ後悔したか。
人生で初めて苦しいくらい後悔した。
毎日泣いて泣いて泣いて過ごしたけど、泣いても戻ってこない事が1ヶ月たってやっと受け入れられた。
そして今は出来なかった事ばかり考えるより、出来た事やしてあげれて良かった事を大切にしようと思える様になりました。
まるまる2ヶ月振りに職場にも復帰する事になりました。
話し合いで退職の方向で動いてたけど、同僚達の働き掛けで残る事になり休職扱いになってました。この歳でこの器量なしな私にありがたい話です。
気がつけば日も少し長くなり、病室の窓から眺めていた日暮時間とは違う時間が流れて季節が巡って、もう2月なんやね。
クリスマスもお正月も本当に流れていくのを立ち止まって見てた。
振り返って時間を遡って一生懸命に探してた。
振り返って2か月前に生きていたとしても、昨日生きていても、今日温かい手をにぎりしめて話が出来ないなら振り返っても意味がないよな。
受け入れなな。
って
今の私はそう思えるここまで辿り着く事ができました。
順送りで何十年も一緒におれた私は本当は幸せなんやけどね。って。
誰にでも親との別れが来る。
それを頭では世の中の人全員が理解してるんやけど、魂では理解できてないからこれを読んで間に合った人は、是非、すぐに会いに行って温かい手を握って話をして来て欲しいです。