自慢じゃないが人を見る目がない。

 

芸能人のような距離のある人であれば、

優しそう、いい人そう、かっこいいと好感を持つ人に限って、

逮捕される、不倫がばれる、性格に難があるエピソードを知る。

 

異性であれば、

誠実そうで優しそうかっこいいと一目ぼれで好きになった人ほど、

とんでもないクズだったりする。

 

職場の人間関係や友人関係でも、

初対面で仲良くなれそう、優しそうと思う子ほど

あとから本性がめくれて嫌いになる

 

逆に、

不愛想で一見感じの悪い人が実は本当の優しさをもっていたりする

 

こんなことが往々にあって、私は自分の第一印象を信じないようにしている。

ただ、見る目がないのは困るので、これを私の欠点のひとつだと思っていた。

 

以前の会社の上司なのだが、

このエピソードにぴったりの人がいた。

 

はじめましての挨拶をした時の第一印象は、笑顔が素敵で、感じが良く、明るい雰囲気で、

私は直感的に「この人とは仲良くなれそう」と思った。

 

その上司は、いつも笑顔で、口角が上がっており、

明るく張りのある声で、鈴の音のような声でよく笑った。

ネガティブなことは全く口にせず、常に明るくポジティブで仕事の出来る上司だった。

 

まさに「ポジティブ」「元気」という形容詞を地でいっている彼女は、

一見すると何もマイナス要素がないのだが、

結果からいうと、私はその上司を心底嫌いになり、絶交に近い形でお別れをした

 

私だけではなく、彼女の部下は何人も彼女を理由に仕事を辞めたし、

ポジティブで仕事が出来、上には媚びるタイプの彼女は上層部に気に入られていたが、

徐々に周りから聞く彼女の被害から、冷めた目で彼女を見るようになった。

 

いまでも彼女を思い出すときに、

あれはなんだったんだろうと不思議な気持ちになる。

 

合わないのだ、

言葉と表情と行動が。

 

自分は部下の幸せや周りの幸せが一番と口では言うのだが、

威圧的でマウントをとり、配慮のない言葉で周りを傷つけ、そんなつもりはなかったと弁解するがその実

全く反省していない事は行動を見ればすぐにわかった。

 

出世に興味がなく、上司にやってみたらと言われたから今のポストをやっていると再三言っていたが、

彼女の行動には他を蹴落としてでも出世したいという欲やとてつもない承認欲求がすけてみえていた。

 

とにかく、言っていることとやっていることが全く違う。

口からいくらでも嘘をつむいで、自分に都合のいいように人を動かそうと仕向けた

 

こういう人間のことを最近ではサイコパスと呼ぶらしい。

 

彼女はサイコパスだったのかと思うのだが、

それにしても関心するぐらい、他を欺き最後まで本性を出すことがなかった。

 

過日。

某選挙にて勝ち上がったあの人の口元や表情が、

その元上司によく似ておりぞっとした。

 

あれは平気で嘘をつく顔だ。

 

某氏をはじめて見たとき、私は「優しそう、感じのいい人」と思ったことも同時に思い出した。

 

人は見た目が9割とは、

人間は相手が何を言っているかどんな行動をするかではなく、

視覚情報で9割決めている、という本だ。

 

ほんとうにそうだな、と思った。

 

そう考えると、

私が人を見る目がないということに悩むのは、全く本筋ではなくて、そんなことはどうでもいい。

 

ここから得られる人生の教訓は

「人は見た目ではわからないから、言動や行動を見ろよ」ということなのだ。

 

勝ち上がった某氏の「優しそう」な印象にまだ騙されている人がいる。

 

某氏の行動に目を向けて、騙されていたことに気付き、別の人物に鞍替えした人もSNSなどで見かけるが、

「〇〇氏は爽やか」「誠実そう」「キラキラしている」

などの文言が飛び交っているのをため息ついて眺めている。

 

いやいや、

おんなじ騙され方してるやん。

全く学んでねえな。

 

正直、選挙において、その人個人の性格なんてどうでも良くないか?

政策を見たうえで、+αで個人の性格、見た目に言及するならまだわかる。

 

私生活はとんでもなくても(限度はあるが)、仕事でやることやってくれたらいい。

 

そういえば、youtubeのコメント欄を見ていても、

動画の内容は二の次で

「イケメン」とか「ブス」だとか見た目の批判しか書き込まない層も一定数いるよなぁとよく思う。

 

自分がクリエイターならがっかりする。

 

まずは内容について触れて、+αで見た目だろうにと思うけれども、

そう考えるとあらゆる面で「人は見た目の9割」しか見ていないんだなと気付かされる。

 

サイコパスを作り出しているのは、もしかしたら

「この人いい人そう」と勝手にジャッジしている私たちなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たまに「自分が書いたかと思ったw」という本に出会うのだが、

すずひらさん著の「会社を辞めて生き方を変えることにした」

はまさにそれだった。

 

この本は、

すずひらさんの学生時代から約10年に及ぶ会社員生活と、

そこから会社員という生き方を辞めるまでの軌跡が描かれている。

 

私は全てのエピソードに思い当たることがありすぎた。

 

そもそもの学生時代に、朝起きられず遅刻を繰り返していたこと。

受験勉強も夏期講習などすべてサボり、独学で勉強して大学に受かった事。

やっている仕事の意味や自分の存在意義を深く考えてしまう事。

人に指示されるよりも自分で考えて自分で計画を立てて動きたい事。

など、社会の歯車になるにはあまりにも自我がありすぎて、扱いづらい人間だった

 

それでもなんとか社会に喰らいついて頑張るのだが、必ず燃え尽きて退職。

つぎこそはとまた再就職をするエピソードなども一緒だ。

 

「この会社が辛い」のだとばかり思い込んでいたが、違う。

「会社員であることが辛い」のだった。

 

「会社員が向いてない」とはうすうす感じていたが、

向いてない「だから辞める」の決断まで私は20年近くかかってしまった。

 

会社員を辞められなかった大きな理由は、

会社員を辞めた先が

「フリーランス」か「経営者」の2択であると思い込んでいるからであった。

(すずひら氏もそう記述していてここも同じだ)

(器量の良い女性であれば、ここに専業主婦やパートの主婦など、誰かに養ってもらうという選択肢も加わる)

 

経営者になる自信もなければ、フリーランスでやっていく自信もなく、結婚願望もなかった私は、

しかたなく会社員にしがみついていた。

 

が、実は隠されたもう一つの道筋というのがある。

 

それは

「生活費を抑えて、ゆるく働きながら暮らす」というものだ。

 

たとえば都心を離れて郊外に住み、家庭菜園なんかで野菜を育てて、

本当に必要なものだけに囲まれた生活をし、生活費を10万円以内に抑える。

そうすると、月に15万円の手取りでも、5万円の貯金が出来る。

 

社畜正社員で稼ぎ、ストレス発散の為に散財する生活よりもよっぽど豊かである。

 

この道を選ぶにおいて、

「非正規雇用」への偏見や、会社員へのプライドは捨てる必要があるし、

あらゆる価値観(お金があった方が幸せ、や正社員は安定しているなど)もアップデートする必要がある。

そして周りの反対の声に決して耳を貸してはならない。

 

「なぜ、今の僕が、存在するかも不明な将来の僕のために我慢して生きなければならないのか、

まず大前提としてそこが全く納得できない。

今の自分が納得できる生き方をする。

それだけの話ではないのか?

将来のことなんて、将来が今になったときに、やっぱり今の自分が納得できる生き方をすればいいのではないか?

その連続でやっていくしかないのではないか?」

 

「しんどさや違和感を持ちながらも「週5日働くのが当たり前」な空気に沿って働いて、

「他人に管理されながら他人の事業への労働力を提供する」という自分の気質には向かない働き方をして、

生活の大半を支配される状態を10年以上も続けてきてしまった。

そのことを僕は大いに反省しなければいけない。

そして反省するとは、同じことを繰り返さないという意味であり、

つまり会社を辞めるということだ。」

 

もう、まるっと同意。

 

運動が得意、絵を描くのが上手、歌が上手い、

と同様に「会社員が得意」「会社員が苦手」も立派な個性だ

 

凡人の私は

「自分のような人間が他にも居るんだ」と知れた事が最も僥倖だった。

 

「会社員がむいていない」と思う全ての人に読んでもらいたい本である。

 

 

 

ミッドライフクライシスという言葉を知る。

 

40代になり、

気力体力、モチベーションやパフォーマンスの低下

アイデンティティの崩壊

将来への漠然とした不安

に陥り、中高年のうつになる人が多いのだそう。

 

今思うと会社を辞めるまでの数年間は確実にそれだったなあと感じる。

 

自分の能力の限界を見て、私はそんなに出世するタイプじゃないと理解することで収入の先が見える。

収入を上げるには努力をしなければならないのだが、決して今までもサボっていたわけではない。

体力も気力もモチベーションも低下した状態で「もうこれ以上頑張れない」となる。

そんな状態で、まだまだ若い後輩達にどんどん追い抜かれていく。

どんどん辛くなり毎日の出勤が憂鬱で仕方ない。

これがあと何十年も続くのかという絶望。

気を紛らわせたいが、周りはみんな家庭を持ち、誘える友達もおらず、休みはだらだらして一日が終わる。

生きているのが辛い。

そもそもこのように正社員として気力を削られながら生活を維持していくことや、

頑張り続けていることが本当の幸せなのかと疑問を持ち始める(アイデンティティの崩壊)

 

これらを経過し、私は会社を辞めた。

田舎に帰って、最低限だけ働いて自給自足のような生活をすることも選択肢のひとつではあったが、

それは東京ですべての希望が絶たれてからの、最後の一手にしようと決めた。

 

そして自分で仕事を始めて、改めて仕事を愛していたんだと実感することが出来た。

毎日、仕事が楽しかった。

 

また、先日収入の底上げのためアルバイトも始めた。

 

これも信じられないくらい楽しかった。

 

仕事内容も好きだし、先輩方が全員優しいという稀有な職場だ。

 

「覚える事沢山だから大変でしょうけど頑張ってね」と励まされるのだが、何の苦もない。

覚えた仕事を行うと、「えっ!もう覚えたの!すごい」と大げさに褒めて頂けて、自己肯定感が爆上がりである。

 

至極簡単な仕事を行い、褒められる。

 

何十年もそんなことがなくなっていたが、褒められることがこんなに力になると思わなかった。

転職したとて、経験者なんだから出来て当たり前、が常だった。

 

明日もバイトだ楽しみだな、と眠りにつく日々。

 

ミッドライフクライシスのおかげで私は本当の幸せを追求することになり、

これまでの人生を捨てて、新たな方向に舵を切った。

 

将来への不安はもちろんあるが、

気力や体力やモチベーションが息を吹き返している。

 

それだけで見える世界が全然違った。

 

だからここを同じ中高年に乗り切ってほしいなと思う。

 

電車に乗っていても、不機嫌でキレてる中高年が怖くて仕方がないから、

そんな顔で世間に不満をまき散らすよりはさ、辞めちゃいなよ、そんな会社と言いたい。

 

一生安泰はないし、将来のことは、考えても仕方がないんだから。

 

あなたが幸せになることであなたの周りの10人は幸せになるよ。