介護 -2ページ目

大変疲れてます

なんだろうなぁ。

最近ほんとうにやってられないということが多くなりました。


それは父にたいしてではないです。

母にです。


昨日のこと、

私は朝の6時から吐き気と腹痛にトイレに何度も・・・

たべたものがあたったのか。風邪なのかは結局わかりませんでしたが、

大変な状況でした。


そのトイレに行っているときに母が起きてきて、

廊下でうずくまり、

「もうぱぱをそっちのへやにつれってって、一晩中テレビをつけろとかおきてたりして、もう一睡もできないから、こんな状態がつづけば私はたおれる!!」


と、般若のような顔で、いいだした。


朝の6時から主人もまだねているのに、テレビをつけさせ、めんどうをみろといいだす。


日曜日なので、それもできなくはなかったが、私がそのときとんでもない状況だったため、

「私も今具合が悪くてそれどころじゃないの、ちょっとかんべんしてくれる?」というと、、


「あそびすぎだ!!」とすてぜりふのように、母は言う。


本当にゆるせなかった。


遊びすぎ。。。。なにをもってあそんでいるといいたいのだろうか。

前日は主人と二人ででかけたが、それを遊んでいると言って、具合が悪くなって当然だというようなことをいわれるのは、納得いかないし、


それを、自分の母がいっているのだと思うと。悲しい。


せつなかった。


私の具合の悪さは午前中でおさまったのでほっとしたのだけれど、

母は、何かにとりつかれていつかのようだ。


父をリビングにつれてきて、一緒にテレビをみたり、

ごはんをたべたり。

夕方は一緒にスーパーに買い物にいったり。

主人は父をお風呂にいれてくれたり。


母はなんとも思ってないようだ。


いつも父がちょっと様子がかわって、自分のいうことを聞かなくなると

半狂乱になり、もう面倒を見るのはいやだと言い出す。

私はそんな風におもったことなどないのにな。


今日の朝も泣いているような顔で台所にきた母。

もう、この精神状態がおかしい母をみていると

私までおかしくなりそうだ。


私は仕事の合間も家に戻り、ごはんをつくり、また仕事にもどるというような努力もしているのに、

仕事の日数もへらしたのに。

お金だってもちだしていっぱい使ってるのに。。。。

それでも文句を言う母。


私が仕事に行くとこう言う。

「仕事をしてるほうがらくでいいよね。私も元気なら仕事にでたいよ。お前はいいね」


この言葉をきいてどれだけどれだけはらわたがにえくりかえったか。


仕事だけしていればいいのならそれはほんとうにいい。

私は仕事もして、家のことも全部して、父のことも母のこともすべてやっているのに。。

なぜそれがわからないのだろう。


せつないな。。

だいぶご無沙汰

だいぶご無沙汰してしまいました。


なんだか大変疲れてしまって、かくにかけず、、、、っていうかんじでした。


その様子はまた落ち着いたときにかくとします。


今日は、父と母と3人でお散歩です。コーヒーやさんまでいって、パンと一緒に。

父は散歩にいくというと、喜びます。

家で一日中ベットに寝かされてるかんじがほんと、いやみたいです。

母はめんどくさがって私がいないと、そうするんですよね。


私ががんばってなんとか毎日できるだけお散歩するようにしています。


今日は父と二人で行こうと思っていたのですが、母もどうするか聞くといくということ。

あれだけ具合が悪い、めまいがするといってたのに。いくことに。


おいしそうにパンや飲み物のんでいたなぁ。

まあいいんだけど。


その後主人が帰ってきたときに、お土産でお寿司をかってきてくれた。


父も母も満足げに食べる。


母は、父が夜寝なくて困るというのだが、それはそうだ。

一日ベッドによこにさせておいて、夜眠れるはずがない、。。。。

なんでそんなことわからないのかな。


今日は22:00にはベッドに横になりねむくなったと、ねむりはじめた。

適度に体をうごかさないと、。眠れないに決まってる。


明日もお散歩につれだそう。


あれから

あの後ブログを書こうと思ったのだけれど、あまりにも落ち込んでしまい、気力もなくなりなにもできなくて・・やっと回復してきました。


母に言われたことがあまりにも、ショックすぎて立ち直れなかった。といっても今でも完全にたちなおってるわけではないのですが。


こんなこともいわれたなぁ。


「東京になんかきたくはなかった。お前が来い来いというからいやいや来た。そのとき本当にどうしようかと思ったけれど、半ば無理やり強引というかんじだったから、来たけれど、本当は来たくはなかった。」


だから、今も田舎にいつでもいいから、すぐ帰りたいというのだ。


しかし・・・・・・・・


なぜ東京に私が強引にでも呼んだのか・・・・・・母はなぜそれがわからない、、、のだろうか。

一番は、父の病気を治すためだ。これが目的にもちろん決まっている。


私の田舎の近所の病院ではどこもだめ!!!!!だった。一命はとりとめたものの、完全な物扱いをされ、詳しく調べてくれなく、先生から返ってくる言葉は、「痴呆です!!病院にいてもよくなりませんから、家に帰ったほうがよくなると思いますが」

というものだった。頭の中がどうなっているのか、CTをとれば一目瞭然のはずなのに、そういう部分の詳しい説明はなにもない。ただ痴呆がすすんでいるのでしょうがない。これだけだった。


私としては絶対今よりよくなるはずだと思うものがあり、こんな状態で入院、もしくは家でリハビリ、家にかえってもお先真っ暗とうのは、医者でない私でもわかった。


なんとか父の状態をよくてみてわかってくれる先生がいるはずだ!!と思った。東京になら病院も先生もいっぱいいるからなんとかできるはずだとも思った。それでもだめなら仕方がないが、やらずしてここでとめてしまうのは絶対できないと思った。なんとかもとの父の姿に戻してあげたいと切実に思った。


そうなると病気を発症してから時間がたたないほうがいい、なんとかうごかせるようになったら一刻も早く東京につれてきたほうがいいと思った。5ヶ月目だった。


そのときの母は、父の病気とは関係なく、自宅の近所づきあいのことや、母側の親戚のことでノイローゼぎみになっていた。私は今でもそうだが、母側の親戚には絶対許すことができないことがある。人間がすることではない、、ということを平気でしたのだ。これはまた書くときがあったら後日。

それと、ほとんど母一人で父のことをしていた。私の妹夫婦の協力というのは、一緒にすんでいるにもかかわらず、ほとんど協力がえられなかった。

足の悪い母がタクシーを使い病院にいき、父が寝るまで病院にいて、夜遅くにタクシーでかえってくる。食事もろくにとらずに眠りまた朝病院に行く。そんな生活が5ヶ月間ずっとだった。もちろんお金もかかる。もっと妹夫婦の協力があってもいいはずだと、私は思っていた。体も限界になってたし。


父のことが一番だが、母のそのような状態をほっておくわけにいかず、このままでは完全に母までたおれてしまうと思い、東京に無理やり、強行スケジュールでつれてきた。


私は何かしらそのときより結果が確実にあらわれると思っていた。自信はあった。


東京には私の家の近くの病院を探し転院させて、様子をみた。この期間は私が本格的に病院と先生を探すために。まだ家では父の状態をみるのはきびしく、誤嚥がかなり頻繁にあり、吸引も必ず必要としていたので、自宅ではできず、近所の病院に入院させて、次の病院を探すことにつとめた。このときの病院もまったくだめだった。物扱い状態。痴呆扱い。ひどいものだったが、私の体の負担は格段にへり、週二回新幹線を使い田舎にいっていたときより、いろいろな作業がはかどった。


この病院にいるときに今の病院を探し出し、外出させて検査をうけさせにつれていったりした。

父が倒れたときの(発症時の)CTも借りてきて先生に診てもらったり、実際にCTをとってもらったり。


この先生に診てもらうまでにも、実際に私が受診をしたりした。なんとか理由をつけ予約を取り付けた。そのとき頭が痛かったのMRIもとってもらったりして、、、私自身も同じようにたおれてしまうんではないだろうかとおもったぐらいだったから。

そのときに、父の状態をはなして、次回父をみてもらう約束をとりつけた。予約がいっぱいでなかなか見てもらうには困難な状況だったからだ。


先生の診察で父の状態がどんな状態なのかすぐ、よくわかった。私自身も納得のいくものだった。

本当に父のことも理解してくれ、周りの家族のことも理解してくれた。

そのとき本当に心から、よかったと思った。原因がやっとわかったのだ。いままでただ「痴呆です!!」とだけしかいわれなかったものとはわけがちがう。


それから治療にむけ通院が始まった。といういきさつがあったのだ。


それにもかかわらず母は、東京にきたくはなかった。こなければよかったと平気でいう、。

今の、この父の回復をみても、そうはき捨てるようにいう母がまったくわからない。


あのままではたぶんもうどうにもなっていなかった。どんどんわるくなっていき、悪いどころではなくなていたはず。脳が圧迫をうけていたのだから。


私は自分がしたことは絶対間違っていないと思ってる。

それにその成果、結果もでている。


だから母とのいいあいのときにも一歩も引かなかった。


けれどこれ以上いっても母はわからないと、言うのはやめにした。


病院

今日は病院に行ってきた。父の皮膚科。


最近かぶれなのかなんなのかわからないものがあり、いくことに。

しかし私は午後まで仕事だったので、主人が半休をとってくれ父を病院に連れて行ってくれた。


主人も皮膚科に行きたいといっていたので調度よかったのだけれど。でも父のためにそうしてくれたのが強い。私は仕事が終わってその足で病院に行っておちあう。


脳外科は予約をとっていなかったのだけれど、受診することにした。

先生は父の歩き方にびっくり!という感じだった。今日は車椅子を使わずいった。

歩き方も前とは格段に違う。話かたも違うので、。先生も大変喜んでくださった。

入院のときにいろいろお世話になった看護師さんたちも父の様子を、別のところからみにこられた。

みんなびっくりされ、喜んでくださり、、、、私も大変うれしかった。


3人で病院の帰り、西麻布の「バーミヤン」に行ってみた。

今年になって初めてバーミヤンにいってから、ちょくちょくいくようになったのだが、この西麻布の「バーミヤン」は雰囲気がとってもよかった。場所柄のせいか、今まで行った店舗とはがらりと違い、落ち着いていてきれいで、どこかの高級中華?と思うような雰囲気で、とても気に入ってしまった。

専用の駐車場がないのが難点だけど、そばにバーキングもあるのでそれはよしとして。

今日の収穫だった。


昨日、一昨日と母と大喧嘩をして、わかったことなのだが、こんな風におもわれていたのかということが結構あった。私としては大変なショックで、今も立ち直れない。

 数多くあるうちのひとつがこうだ。

7月はじめから8月中ごろまで父が肺炎で入院していたときのことだったが、父が明日退院という前日に、病院で付き添っていた母が、「喉頭浮腫」になり、同じ病院の違う階に入院となってしまったときのこと。

父のそばに誰かいなければ、父が不穏になってしまったりするため付き添っていたのだが、付き添わなければだめだと思うものに、看護師さんたちのやり方に疑問を感じることが多々あった。衛生面とか、トイレのこととか、その他もろもろ。しかし母がそばにいられなくなったため、私がそばに付き添うようになった。

 私の夏休みがもうすぐだったのだけど、まだそれまでには1週間あり、一人で父を家においておくこともできなかたので、病院には延長して入院させてもらっていた。


しかし、私は働いているので母のようにぴったりくっついていることができない。私は、仕事を終えた後、家に帰り、家の用事や父や母の洗濯物、食事、シャワー、主人のワイシャツのアイロンなどを済ませ、車で病院に行き、夜中から朝まで父に付き添う。それを1週間した。夜の9時まで仕事というのがほとんどだったので、家にかえってくるのは22時ごろ、そこから用意をしていると、23時は過ぎる。そこから車で30分から45分。父の病室につくのがだいたい24時。そこからとなりの簡易ベッドで横になり、夜中に何度か父のトイレなどをして、朝8時から食事。8時30分ごろにはすべてを済ませ、母の病室に行き、その後車で自宅までかえり、それから着替えて、仕事に。そんな日が1週間つづいた。


私としてはとってもつらい一週間でふらふらになっていた。それでもそのとき母は、私が車で自宅から病院、病院から自宅へと、夜遅く、朝かえってまた仕事。きおつけてとか、いたわりの言葉など何もなく、それどころか、もっとはなくこれないのかとか、もっと長くいれないのかとか、そんなことばかり私に言っていた。


その会話が、その喧嘩のときにでたのだ。


母曰く、パパのところにくるといっても、お前がくるのはいつも夜中。もっと早くくればこれるはずなのに、こないから、私は絶対安静だというのに、お前がくるまでパパのそばにいてそれでもこないから自分の病室に戻った。早くこれるはずなのにこない。アイロンだって毎日かけてるわけじゃあるまいし、そういう時こそ、私に協力してくれればいいのに、協力もしてくれない。あの病院の看護師たちはまったくやる気がなく、オムツがびしょびしょでぬれていても半日も交換してなかったし、それを私が全部やっていたのに。仕事仕事ってなんなんだ。・・・・・・・・・


こういったのだ。


主人のワイシャツのアイロンなどは毎日してる。必要であれば、スーツも。そんなことを母にはいわれたくないし、家に帰ってきてからの1時間で家の中のことを全部して出てくるのが限界なのに、そこまでいうんだな、これが。


なにをどう説明してもわからない母。自分が一番くるしいんだとか、一番いろいろやってるんだとか主張する母。母から言わせると、私は何もしてないに等しいらしい。


こんなことを聞いて、やりきれなくなってきた。


いわれたことはこれだけでなく、また書こう。


私の一人の時間はこんな風に夜中にしかとれない。


いえばわかると思って色々言った私だったけど、もうほんとにだめだと確信してしまった。・・・





疲れと嘆き

本当になんともいえないなぁ。

疲れすぎ。


今日は朝から、母は父にこういわせるようにした。


父「今日は俺リハビリやらない。断ってくれ。」


いきなり仕事に行く直前にいいだした。


すぐにわかった。隣にいた母が父にそういえと言ったのだ。


父に問いただすと、、俺がそう思ったからというだけ。

だけど、なぜ今日はやらないのと聞くと、特に理由はないという。


隣にいた母に私は言う。

「自分の都合で父の大事なリハビリをキャンセルするのやめて!!!」


母「今日は具合が悪くて、相手ができない。それに出すお茶や飲み物もないし」

とふてくされていう。相手がでいないとは、リハビリの先生にあいてすることができないというのだ。


私は激怒。


「自分の勝手な気持ちだけで、パパのリハビリをやめさせるような勝手な行動はやめて!!!飲み物なら、みんなに小間使いのようにされてる私が、今仕事に出る直前だというのに、、遅刻してもいいから買ってくる。」


そう私はいい、コンビにでかってきた。


仕事に出るときに、父に、「いってくるからね、リハビリはちゃんとしてね」といった。


素直に「うん」と、父は言う。


私が小間使いと母との会話で言ったのは、母も私の妹も私に対してそうだから。

また詳しいことはあとで。


母が急にリハビリを今日はやめるといったのも、昨日のよるにした大喧嘩が原因。


あまりに情けなくて、やってられない。・・・・・・


父を私がみるのはなんということもないのだが、逆に母の看病がつかれる。足を引っ張る。

**

***

最近

8月21日(日曜日)

今日は午前中に主人と二人ででかける。

しかし、また。、、、、

母は何時にかえってくるのかうるさい。

お昼ごろとは思っても正確にはわからない。

そういうとまた不機嫌に。

そして、具合いが悪いといいだす。

困ったものだ。ほんとに。

夜は近所にラーメンを食べにでかけた。

歩いていった。

家にかえってきて、今日は主人が父をお風呂にいれてくれた。

主人は父とは倒れる前からとても仲がよく、父も主人のことをとても

かわいがっている。

主人は父を少しでもよくしようととても努力してがんばってくれている。

とても感謝してる。



8月20日(土曜日)

午後から車の洗車に主人と二人でいってきた。

やっと二人でなのだが、母は何時にかえってくるかと

いちいち時間にうるさい。

ご飯をつくるのがいやなので、私が何時にかえてくるのかとてもきになるよう、

それぐらいやってよってかんじ。



8月19日(金曜日)

今日は姪と甥が帰る日。一週間は短かった。

父も喜んではいたが、どれくらいわかっているのかなぁ。



8月18日(木曜日)

今日は姪と甥に誕生日のプレゼントを買いに新宿にでかける。

ニンテンドーDSにソフト。

あ~~~~

私がほしいくらいだ。

今日の夜は車で。かるび屋という焼肉やさんにはじめていってみた。

おいしかった。が、私はお肉は最近たべないので、野菜と海鮮で。

食べ過ぎた。

食べ過ぎる今日このごろ。



8月17日(水曜日)

今日は午後から病院に行く。

退院後初めての脳外科です。

先生もだいぶよくなった父の様子をみてよかったといってくれました。


本当に少しづつではあるのですが、

記憶がちょっとだけできてきました。

脳が圧迫されていたのがすこしづつよくなり、

会話も前よりスムーズにになりました。

機嫌はいつもよく、何でも言うことを聞いてくれます。

しかし、車をかいかえることにはちょっと反対?してます。

前はそんなんじゃなかった。なんでもはいはいって感じで、

自分の意見はなかったのが、今は言うように。

うれしいことです。


先生にも大感謝です。


先生の手術前と手術あととは顔がちょっとちがっていたんです。

というより、もちろん神経をつかうことだから、目の下がクマでした。

ほんとに世の中の先生ってすごいなぁとおもいます。

きって中をみて、いろいろいじってそれでとじるなんて、、、、

かんがえられない。、、、、


夜はヒルズでお寿司。お気に入りの板さんで、

みんな豪快にたべまくり、史上最高の額でした。

あ~~~~~~



8月16日(火曜日)

今日は家でゆっくりとはいっても、姪と甥が着ているので、

朝からご飯の用意に始まり夕飯まで。途中はおやつを作って。

一日台所にいたような感じだ。


みんなで口をあけて待っている・・・・・(笑)


明日は六本木ヒルズでお寿司。

8月15日(月曜日)・・暑い

今日はとても暑い。暑すぎる。今日の朝ごはんはダイエーでかったカツどんにしてしまった。作り立てなのでおいしかった。


これから病院へ、今暑いから夕方にいこうかな。


夕方病院へ・・・・・・・・・・・・・・


待ち時間もそれほどなく診察を受けることができた。

内科と皮膚科。両方とも特にたいしたことがなく一安心。


その後、ご飯を。


結局病院から近いので「六本木ヒルズ」へ。


何を食べようかと、、、、、

水曜日にはお寿司やさん、予約しているのだけれど、それでも

いってしまいました。


おいしぃ。父も今まではおかゆだったけれども、食べることができた。

とても満足そうにたべてくれて、よかったよかった。

姪と甥も大人顔負けの量をたべた。


その後、スタバでコーヒー。


私も大満足。また水曜日にくるぞおおおおお。


夜は爆睡モード


明日は何をしようかな。

8月14日(日曜日)

今日は朝からごろごろ。


朝ごはん、昼ごはんはすぐくる。


おやつはフレンチトースト。


夕飯はどうしてもつかれたので、外食。ひさびさに「バーミヤン」に。

父も中華丼を全部食べて、コーンスープも。よかったよかった。

お水ものめるようになった。進歩進歩。


かえってきてシャワーで、バタンキュー。

8月13日(土曜日)

今日は待ちに待った花火大会。


東京湾大華火祭。2週間前に思い立ってホテルを予約。ホテル日航東京

食事と花火を見る席が用意される。


申し込んだのがちょっと遅かったので食事を見ながらの花火見物はむりだったので

花火を見たあとで、会席料理のコース。


大人4人子供2人。です。大人一人15000円。子供一人5000円。

結構高い。


ま、父と母の退院祝い。ま、いっか。


天気がどうなるか朝からHPで調べたり、10時には開催する発表。

2時までにはホテルに入る。4時には交通規制ではいれなくなってしまうので、早めに。

フジテレビのお台場ではいろいろ催し物がひらかれていたけれど。車椅子でとおったりするのは

とても大変で、それに暑かった。早めにきりあげ。


はなびは7時からなのでそれまでに、ちょっと軽くご飯。


6時ごろからバルコニーの席のいい席をとろうかとならんだけど、

雨が降り出し、中止になるかと思いながら待つことに。

ホテル側から飲み物のサービスでまつことに。

花火が始まると雨もやんだ。父は母、ホテルの中からよく見えるロビーでみた。

病み上がりだったのでちょうどよかったかも。私たちは外のバルコニー席でみることに。

きれいだったなぁ。

うまく写真はとれなかった。


来年は屋形船でみたいな。


花火のあとの食事も最高だった。会席料理で、私には足りないかも?っとおもったのですが、

おなかいっぱい。大満足。父も全部たべていて、よかったよかった。

母は、おなかいっぱいでたべられないとかなんとかいっていた。


帰りの車の中では私は爆睡。

楽しい一日だった。