SUKUNA事務局長さんの本日ブログです。

事務局長さんは

あのマザーテレサの質問
の中に「ありがとう」の反対

は何だと思いますか?という
有名な質問があるのをご存じ
でしょうか?

その答えは「当たり前」です。
色々なことを当たり前と感じて

いるとありがとうという心が
芽生えにくくなります。

だから人に対して思いやりを
もっと持ちたいのであれば

まず当たり前という心を離れて
ありがとうって色んなことに

思えるようにようになるといい
ですねっていうメッセージなの
です。

確かにいろんなことをしてもら
っても、生きていることもそれ
を当たり前だと思っていれば


色んな事を細やかに思いやりを
もって接することができない。

逆にいうと当たり前のことに
感謝できるようになってくると

細やかな気遣いが出来たり、
細やかな思いやりや配慮も

出来るようになっていく
のかもしれないです。


特にコロナで今まで当たり前
であった世の中の生活が一変し

当たり前が当たり前でなくな
ったことも全ての国民が実感
したと思います。

そして我々はこの当たり前と
いう言葉に支配されています。

この国はとても豊かな国です
ので、食べることに関しては

非常に「当たり前に対する
基準が高い」のです。


例えばお正月に実家でみんな
集まって食事をするとして

「はい、できたわよ」ってパン
の耳だけならどうですか?

「え?これ何?これだけ?」
ってなりませんか?

怒りはしないですが当たり前

を下回ると我々は不平不満が
生まれます。

その当たり前ゾーンを上回ると
喜びや感謝が生まれます。

世界中には内戦や貧困で
苦しんでいる国がたくさん
あります。

例えば今、ロシアに侵攻された
ウクライナの人たちは戦火に

塗れ日々の食べ物にも苦労

しています。


その国にパンの耳とかをたくさん
持っていけばその人たちは大喜び
で「久しぶりにこんな美味しい

ものを食べた」といって笑顔で
食べてくれるかもしれないのです。

要はあたりまえの基準が日本は
かなり高いということになります。


だからパンの耳だと不平不満

が生まれるのです。

そんな当たり前の基準って
結構日常でもあるのです。

例えば小学校くらいになれば
トイレくらい自分でいくだろう

とか幼稚園児くらいなら自分
で、ご飯くらい食べれるだろう
と考えます。

でも時に自分自身で問い
かける必要があります。

「それって本当に当たり前
ですか?」って。

例えば子供に対してもちょっと
自分の思い通りに行動しないと

「何やってんの!」とか「どう
しようもない子ね!」とか時に

きつく叱ったり子供に対しても
普通に学校へ行って夕方には


家に帰ってくるのが当たり前で
あると親は思っていませんか?
ということです。

子供が元気に帰ってきたら
「今日も元気に帰ってきて
くれてありがとう」とか

「今日もご飯一杯食べてくれて
ありがとう」とかそんな感謝を

子供に伝えるようになれば、
我々の思いやりとかやさしさが

ますます深まっていくのでは
ないかと思うのです。

元気に帰ってくるのが当たり
前だ、ご飯を一杯食べるのは

当然だ、子供だし食べ盛りなの
だからと思うのは「当たり前」
の気持ちなのです。

また我々は毎日毎日、食事が
出来ることが当たり前だと


思わずに一品、一品がどこから
きたのかということを少しでも

いいから考えて生産者に思いを
馳せることも大事なことです。

牛や豚ならそれを飼っている人
がいて、それを食用に加工して

流通してスーパー等に並べて
くれる…

同じく米や野菜や魚も同様です。
1年中、農家の人や漁師たちが

一生懸命に育てたり漁で獲ったり
してきたものを仲買人の手を経て

流通されて我々の食膳に並ぶ
のです。

その間、どれだけの人の手を
通ってきたのか?ということを

少しの間でも、そう考えながら
食べる前に「いただきます」と


心から感謝することも大事な
ことだと思うのです。

その習慣を続けることで心は
安定し、プラスの気が増えて
いくのです。


      (下略)
と綴られています。
自分を取り巻く全てにありがとうです。

幸せ者です♪

今日も大爆笑とありがとうを
繋ぎます♪

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