安楽を求めることに罪悪感を感じたりするのは、疑似インテリの悪い癖だ。
どんなに安楽を求めたところで、それが必ずしも得られるわけではないのだ。
一生遊んで暮らしたいと、どんなに願ったってできやしない。
一生遊んで暮らしたいと、心の奥ではずっと考えていたのに、「働きバチ」というアダナをつけられて大実業家になってしまったなどという人だって、きっといるだろう。
つまり、私などにしたって、寒いのはイヤだ、暖かく寝ていたいと思って求めていたはずなのに、「デロンギヒーター」に出合うまでは、それは叶えられていない願いだったのだ。
冬の寒い寝室で眠ることは、とてもイヤなことだけれど、それにもましてイヤなのは、冬の寒いはずの寝室を暑すぎる部屋に変えて眠ることだ。
寒さを冬の部屋から追い出してしまうことは、難しいことではない。
熱を発生させればいいだけだ。
そういう、いわゆる暖房器具は山ほどあったのである。
だが、眠っている人問を安楽にしてくれるような「寒くはないし、やや暖かいくらいかなあ」といった微妙なぬくもりを生み出す種類のものは、やっぱリデロンギ登場前には存在していなかったのだ。
その微妙なほんわか具合について、苦心して語るのはよそう。
いままでにも飽きるほど何回も、さまざまな愛用者たちによって語られてきたからだ。
そのかわりに、寝室以外でのデロンギの使い方を、十年以上のデロンギ・ベテランとして語っちゃおう。
ひとつ、大事なことは、冬以外の季節に、「デロンギヒーター」をしまっておくときは、「いいかげんに」しときなさいということ。
つまり、まじめに包んだり、わざわざ物置にしまいこんだりしちゃいけませんということだ。
そうすれば、いつでも、すぐに取り出せる。
いつでも、気軽に使えるというわけである。
たとえば、昨日はクーラーさえつけてたくらいの暑い時期でも、ほんのちょっと肌寒い日もある。
梅雨の季節とか、初秋のころとかに、そんな日が結構あるでしょ。
秋の運動会のシーズンなんて、よくクシャミがでたりするよね。
そういうときに、ささっとデロンギ様を出してきて、コンセントにつないだりすると、家族のみんなの拍手を浴びちゃうでしょう。
温度調節の目盛りを、いちばん小さくしてスイッチを入れたら、もううれしくなっちゃうくらいちょうどいい室温になる。
私は数年前からこれを実行して、世間の皆さまよりちょっと余計に「安楽」をちょうだいしている。