ー心に残るみ言ー
「勝利したヤコブとなろう」 御旨と世界 101~102
ヤコブは21年間を闘い抜いて、そして天使を勝ち抜いたあとでイスラエルという勝利の名を受けることができた。神の国を建てようとする人は、みんなこのような道を歩かなければならない。モーセもそういう目的のために、120年の間一人で闘ったのである。神が悪の勢力を打つ以前に、我々がその願望を成し遂げてあげなければならないのが本当である。もし、神がお一人で悪の世界を処理することができるとするならば、人間は何のために必要であろうか!それゆえに我々は、神の身代わりとなって悪を打ち砕き、勝利の一日を迎えなければならないのである。途中で倒れては何にもならない。
もし、ヤコブが天使と相撲をとる時、”あー、やりきれない。誰かが助けてくれないのかな!”というような弱い考えを抱いたならば、どうなったでありましょうか?神は確かにしょうのないやつだ!と嘆いたに違いない。しかし、ヤコブは自分一人で闘い抜いてそれに勝ったのである。それでイスラエルという、勝利という意味の名を受けることができたのだ。
このような勝利を得るためにヤコブは、腰の骨まで打ち砕かれたではないか!
我々は命を懸けて天使と闘ったヤコブの姿を想像してみる必要がある。彼は勝つまで決して相撲の手を放さなかった。我々にもそのような、最後まで頑張る根強いところがなければならない。
天国に入るためには、サタンに打ち勝ったという証明がなければならない。その証明書がなければ天国に入ることができないのである。けれども我々がサタンに打ち勝とうとする時、サタンはそのままいるのではない。最後まで抵抗し反対するのである。このようにサタンがしつこく反撃するために、神はそこに関心をもたなければならないようになるのである。
神の道を歩く時には、ありとあらゆる困難にぶつかる。皆さんは女の人が子供を産む光景を見たことがあるのか?女は歯をくいしばり死を覚悟してある力全部を懸けて産むのである。今、我々統一教会の人たちはそのような立場のもとにいる。