「私」という個性体は
どこまでも復帰摂理歴史の所産である。
したがって
「私」は
この歴史が要求する目的を成就しなければならない
私なのである。
それゆえに「私」は
歴史の目的の中に立たなければならないし、
また、そのようになるためには、
復帰摂理歴史が長い期間を通じて、
縦的に要求してきた蕩減条件を
「私」自身を中心として、
横的に立てなければならない。
そうすることによって、
初めて「私」は
復帰摂理歴史が望む結実体として
立つことができるのである。
……………………………『原理講論-緒論:復帰摂理歴史と「私」-より』
最近、よく訓読する箇所です
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