―10月。

残暑が厳しいい四国にも、徐々に秋の空気が感じられるようになってきた。この時期は本当に季節の変わり目といった感じで、ある日を境に街ゆく人々は半そでから一気に秋の装いに変化する。先週までクーラーをつけていたのに、寒くてこたつを出した、というのも珍しくない。



早々に就活を終了させ、東京の商社に就職が決まっていた僕は、先日内定式を迎えたばかりだった。当時は今では考えられないくらい売り手市場で、10社近くも内定をもらった、という友人の自慢話も珍しくなかった。

僕が東京の会社を志望したのは、「都会に出てみたい」っていう、ほら、田舎モンが抱く憧れみたいな単純な理由が一番だった。支店は全国に展開していて、もちろんここ高知にもあったのだが、僕はあえて関東、それも首都圏を志望していた。来年から始まる都会での生活に期待を抱きながらも、日々目の前の生活に追われていた僕は、内定式を迎えたこの時期に至っても正直あまり実感が湧かなかった。



初めの方はよく絡んだものの、美緒とはあまり顔を合わせなくなっていた。深夜中心に入っていた僕に対して美緒は日中に働いていたため、会っても入れ違い、という感じだった。24時間営業の店では、一度も顔を合わせたことがない、といった人が居ることも珍しくないだろう。無論アルバイトリーダーの僕は全くの例外だったが。

美緒にはほとんど会っていなかったものの、彼女の成長ぶりは他のバイトからよく耳にしていたので、きっと最初のコーチ―即ち僕ーの教えがよっぽど素晴らしかったのだろう、と豪語していた。豪語しながら、久しぶりに美緒と話したいなあとぼんやり考えていた。あの滑舌の悪い、舌足らずな彼女の声を求めていた。



そんなある日。定時で学校を出た僕は家に寄って荷物を入れ替え、いつもの様に出勤してMGRデスクのパソコンを立ち上げた。デスクの端に目をやると、プリントアウトされたA4の紙が、ホチキス止めもされずに無造作に置かれていた。読み込むと、来週から新メニューが導入されるとの本社から通知とそのマニュアルがだった。全国に何百店舗もあるのに同じ味が提供できるのは、こういったハード面・ソフト面が完備され、運用されているからだろう。今や売上管理や資材管理、採用までパソコンで行っている。こういったデジタルにすっかり馴染んでいる僕ら世代は全く抵抗がないが、ベテランの店長や古いMGRには苦労していると聞くのも珍しくない。


「うーん、これは俺にキッチンのトレーニングやれっていうお達しか・・・。しゃあねえ。」


ユニフォームに着替え、いつもよりも早くシフトに向かった。もちろん新メニューのマニュアルを右手に握りしめて。



下に降りていくと、濱田が指揮をとっていた。僕よりも1コ下の学生で、県内の中心にある私大に通っていた。ぽっちゃりした体つきと黒ぶち眼鏡が特徴的な男子学生で、優しくて人懐っこい性格だ。先日チーフに昇格し、社員や僕が居ないときはシフトを任されていた。うちの店に入ってきたときはとてもなるとは思っていなかったが、最近では新人にトレーニングしたり指示をしている姿もだいぶ板についてきた。


「おはようございます!」

「おはよう。新メニューのマニュアル、見た?」

「あー…あのメンチカツサンドですよね。ちらっと見て放置してました(^_^;)」

「おーい、頼むぜチーフ!俺がやんのかよー」

「すいませ~ん、だって揚げ物なんですもん汗あ、資材だけは搬入して準備しておきました」

「よし、じゃあ免除してやらあ。上がっていいよ!」

「ありがとうございます!じゃあお疲れさまです~チョキ



濱田とシフトを交代し、他のバイトの入れ替えも終えた僕は、キッチンにいた柴田を捕まえ、新メニューのトレーニングを開始した。



「えーっとタイマーは3番にセット、っすね・・・」

「そうそう、んでその間にパンを準備するってことだな」

「なんか思ってたより簡単っすね」

「そうだな、揚げ物って結局時間どおりに揚げて終わりって感じだしな」



うるさいタイマーを止め、揚がったメンチカツをパンに挟み、皿に盛りつけた。できたてのそれを、僕と柴田はほおばった。



「うめー!!思ったよりボリュームありますね!」

「そうだな、見た目のインパクトは少ないけど、一回食べたらリピーターは多そうだな」

「これ絶対売れますよー!」



あつあつのメンチカツサンドは噛むと肉汁が口に溢れ出し、肉のうまみがダイレクトに感じられる商品だった。晩飯を食い忘れていた僕にはよりいっそう美味しく感じられたのだ。試作はめんどうなのだが、作った後に新メニューを誰よりも早く口にできるという特典がもれなく付いてくる。僕らの前には失敗作も含め、相当数のサンプルが余った。



「じゃあ残りのやつ、ホールの子らに配りましょうか?」

「そうだな、頃合い見計らって順番に食わせてあげて」

「了解でーすアップ

「あ、ちょい待って」


僕はメンチカツサンドの山から見栄えのよろしい1個をラップに包み、紙袋に包んで冷蔵庫に入れた。


「んじゃ配ってきて!よろしくー」

「はーい(^-^)/」



その日の休憩中。僕はいそいそ携帯を取り出した。美緒にメールをするためだ。

「冷蔵庫のチルド室の紙袋に、俺特製のメンチカツサンドが入ってるから、こっそり持って帰れよ。」

しばらくすると、美緒からメールが返ってきた。

「お疲れ様です(^O^)わーい、明日楽しみにしてますね!ありがとうございます音譜



久しぶりにメールしたな、と思いながら彼女の顔を思い浮かべていると、思わずにやけてしまった。もっとポーカーフェイスになれたらいいのに、としばしば思う。












週明けの月曜日―。

今週一週間教授が学会でいないのをいいことに、僕は平日にもかかわらずバイトをしていた。平日の昼間は主婦のアルバイトが殆どで、いつも入る時間帯とはちょっと違った雰囲気なので、たまに入ると良い気分転換になる。しかし話の節々でジェネレーションギャップを感じてしまうので、さすがに毎回はいいかな、という気もする。


昼のピークも無事終了。思ったよりも客足が伸びなかったので、特にキッチンは余裕があったみたいだ。いつもこれくらいの生産性なら良いのになと思うが、利益主義の会社の方針は変わらないみたいだ。

午後3時前―初めてユニフォームを身につけた美緒がホールに現れた。エプロン姿がよく似合っていた彼女は、恥ずかしそうにこちらに歩いてきた。


「よろしくお願いします」

「えーっと、シフトに入るのは何回目になるのかな?」

「あ、今日が初めてです・・・」


え?てっきりマネージャと既にシフトに入っているものだと思っていたが、どうやら最初のシフトは僕が教えることになりそうだ。もちろん全然煩わしくはないけど、事前に言ってくれりゃあいいのにな、と思った。


「じゃあまず店の中を案内するね」

「はい、お願いします」


こうして3時間ほど美緒にホールの仕事を教えることになった。初めてのシフトを教える子に対し、もちろん仕事そのものを教えることも重要なのだが、それ以上にできるだけ学校やサークルなどのプライベートな話をして、コミュニケーションをとることを意識していた。とりわけ美緒は可愛かったしもちろん興味もあったから、僕は教える立場をいいことに、散々彼女と無駄話をしていた。


「前はどこでバイトしてたの?」

「商店街の中のドーナツ屋です。知ってますか?」

「あー俺もあそこよく行くよ!うまいよねー、プレーンが一番好きなんだ」

「私もですよ( ´艸`)一番人気はやっぱプレーンですね!」


今まで何人もの新人にホールを教えてきたが、その中でも美緒は1番と言っていいくらい覚えが早かった。わずか3時間のシフトの中で、最終的にレジを打てるまでに成長した。


「いやー、覚えるの早いね!フツー初回でレジ打ちなんかできないよ」

「前のバイトのレジと操作が殆ど同じなんで音譜

「じゃあ6時だしあがろっか!俺も休憩だから一緒に行くわ」


入れ替わりに入ってきた子に引き継いで、僕と美緒は事務所に向かった。



「おつかれー」

「お疲れ様です。店長いらしてたんですか」


事務所の奥のマネージャー室では店長が来週のシフトを作成していた。現在35歳で奥さんと子供が2人いるうちの店長は、いいお父さんといった感じの人だった。仕事や社員に対してはすごい厳しい人だったが、アルバイトである僕らにはいつも優しくざっくばらんに話しかけてくれた。今日は確か休日で家族サービスもしなくちゃいけないのに大変だよな、と思った。


しばらくして更衣室から出てきた美緒と僕は、事務所でくつろぎながら二人きりでいろんな話をした。彼女がここ高知出身であること。先日公務員試験に合格し、高知県庁に就職が決まっていること。サークルはクラリネットをやっていたこと。実家は大学から車で2時間ほど離れた場所にあるので、近くで一人暮らしをしていること。そして大学で知り合った彼氏がいること・・・すでに知っている情報を交えながら、彼女のことをいろいろと聞きだした。もちろん店長には聞こえないように。


「就職も決まってるし、あとは遊ぶだけだね!」

「はい!・・・あ、あと卒論ですよ!めんどくさい・・・(;^_^A ちゃんと卒業できるかな?」


時計をみると1時間近く経っていた。どうやら僕は休憩時間いっぱいまで美緒を独占してしまったみたいだ。


「あ、こんな時間までゴメン!気をつけてな!」

「いえ、今日はどうもありがとうございましたアップおつかれさまです!」


ゆるめたネクタイを再び締めながら、僕は急いでホールに向かった。





当時の僕には付き合って3か月ほど経つ、千里という彼女がいた。色白のきれいな肌に、すっと通った鼻筋が印象的な九州出身の女の子だった。同じ学部で以前からよく友達数人を含んで遊んでいたのだが、今年の春に大学の軽音サークルのコンサートに二人で行ったのをきっかけに、急接近した。告白したのは僕の方からだった。


「付き合おっか」


二つ返事でOKしてくれた。週末の夜の電話口でのことだった。次の日の夜、千里が僕の家に初めて泊まりに来たときは当然のようにエッチをした。ガリガリだと思っていた千里は脱がせると思った以上に女らしい身体つきで、興奮したのを覚えている。



別々のゼミに入ってからは授業で顔を合わせることもなくなったので、僕らは週1・2回のペースでデートをしていた。僕の愛車で千里の家まで迎えに行き、平日ならご飯を食べ、休日ならそのまま遠出をし、どちらかの家に泊まる、というのが定番のコースだった。軽四のくせに愛車、とかは思わないでほしい。これは僕が半年間バイトで貯めてやっとの思いで手に入れた、宝物なんだから。


「今日は何食べに行く?」

「うーん、圭ちゃんの好きなものでいいよ!」

「僕か・・・じゃあ1・パスタ、2・お好み焼き、3・回転寿司!」

「んー・・・バスタ!」

「よし、決まりだな!」


飯の行き先の決断を迫られたとき、こうやって僕は大概選択制にする。『何でも良い』は優柔不断だし、かといって勝手に決めて相手の嫌いなモノだったりするとそれもデートがシケる。・・・と自負して実践してるんだけど、コレって正しいよな?


「そういえばこの前話してた温泉だけどさ、露天付きの部屋取れなかったんだー。休日はいっぱいみたいで。1ランク下のを申し込んじゃった」

「そっか、けど大きいのはあるんでしょ?なら全然いいよ(^-^)予約ありがとう、今から楽しみだね!」


来月9月の末に、僕らは隣県の山奥の温泉に行く計画をしていた。高速で1時間ほどの場所にあり、それほど有名ではないのだが、県外からも足を運ぶリピーターがいる程度の人気はあった。

千里はどちらかといえばおとなしい方で、わがままなんか殆ど言わない子だったから、露天付きの部屋が取れなくても文句を言わないことは初めから分かってはいた。


「卒論進んでる?そっちのゼミ相変わらず忙しそうだね」

「うーん、なかなか有意差が出そうになくって・・・教授と相談してテーマ変えようか迷ってる」

「そっかー、院に行っても今の続きをやる感じになるんでしょ?」


千里はうちの大学院に進むことを決めていた。彼女の教授は厳しい人で有名だったが、彼女はその教授のもとでどうしても勉強したいらしく、他大学の院試は一切受けなかった。

一方の僕は、東京に本社がある会社に就職することが決まっていた。全国展開をしているのだが、首都圏に行ってみたいという安易な動機から、希望地を東京で出していた。つまり、半年ほどすればお互い遠距離になることがわかっていた。しかしそのことについては割り切っているのか、千里は全然口に出さなかった。僕の方も特に意識はしていなかったし、別れたらそれはそれで仕方ないのかな、と思っていた。


「まぁ焦らないでゆっくり決めなさい、って教授には言われているんだけどね」

「ならよく考えて決めたらいっか・・・」

「あ、電気・・・」

「ん?あぁ・・・」


一度千里を押し倒して横になった僕は再び起き上がり、部屋の電気を消してベットに滑り込んだ。ちょっとくらい明るくたっていいじゃん、という僕の願いは千里には届かなかったみたいだ。