☆頑張る不育症天使ママ日記☆

☆頑張る不育症天使ママ日記☆

2009年5月に臨月で娘を死産しました。同年不育症と橋本病が発覚。地上ママを目指して頑張ります!!

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なんとまた張りが遠のこうとしだしました。

3分くらいまでいってもそこからが縮まらず、それどころか5分と間隔が広がり出す始末。

助産師さんがおっぱいマッサージをして陣痛を促すとなんとか張りが戻ってくる。

でもこのおっぱいマッサージのが痛いという(笑)

だんだん夜もあけてきそうになる。

すーちゃんはずっと元気に動いてくれていてそれだけが救いだった。

どうやら微弱陣痛のようで子宮口も8cmからなかなか進まず、医者から陣痛促進剤を使ってみようという話になった。

それでも進まなければ緊急帝王切開や吸引分娩になることも説明された。

前回の出産でも苦しんだいきみ逃し。

今回も苦しみました。旦那が励ましてくれたり腰をさすってくれたり助産師さんが一緒になって呼吸を整えてくれたので前回よりはマシでした。

何とか子宮口が9cmというところまできて人口破膜をしてもらい何とか全開に。

でも私の体力はすでに限界で足はガクガク震えるしいきんでもいきんでもなかなか出てこない。。。

すーちゃんは2600gもないはずなのにどうして???

と思いながらも呼吸がうまくできずに酸素チューブをつけられ、すーちゃんのためにがんばろうと決めて何度かいきむ。

やっと頭が見えてきたよと言われる。

そんなときにまた看護学生を呼んでもいいかと言われる。それどころではないしもう気を遣ったり集中したいので断った。こんな辛いときに聞きに来るのもどうかと思ったけど。

そしてそしてやっと、、、


すーちゃん誕生。


出てきた瞬間元気に泣いてくれました。それだけで私も旦那も泣いてるよ~と号泣。

よかったね、すーちゃん生きてるよと手を握り締めながら2人で泣いていました。

胎盤を出したり会陰を縫合してもらい、先生に最後のいきみよかったよとほめてもらいました。

すーちゃんはきれいにしてもらったり計測をしてもらっていました。

そして看護師さんから赤ちゃんの体重って聞きました?といわれまだですと言ったら、



3028gでしたよと言われ、耳を疑いました。

そしてもう一度お願いしますというと、やっぱり3028gですと言われた。



先生からずっと小さめと言われていたので3000gもあったことに驚きました。

そりゃなかなか生まれないわけだと納得しました。



前回の妊娠では臨月で死産を経験し、不育症の検査を受け橋本病とプロテインS欠乏症と抗リン脂質症候群グレーゾーンをいうことがわかりました。

甲状腺の薬と高温期にはバイアスピリン、ピシバニールという注射を打ちました。

妊娠してからは甲状腺の薬、バイアスピリン、ピシバニール2回だったかな?、カプロシン自己注射をしてやっと生きている我が子に会えることができました。

これも青木先生や大学病院の先生、芽愛、旦那、友達、ブロ友さんのサポートがあったからだと思います。ありがとうございました。感謝です。

そして頑張って産まれてきてくれたすーちゃん。ありがとう。



すーちゃんの記録を読んでいただきありがとうございました。





終わり。

朝から何度か張りがきていて結構な痛みもありました。

そんなときに大学病院なので看護学生が2人私に着くことになりました。

最初は別にいいかなとおもって同意したのですが、何をするのでもなくただ前駆陣痛に苦しんでる私に話しかけてくるだけ、、、正直気をつかうしとってもストレスでした。

痛いのに我慢しなくてはならなくて、そしてそんな中でも話しかけてくるKYな看護学生。

旦那が面会に来た時も場の空気を読めない看護学生にイライラ、、、

夕方やっと解放された私は夕飯を食べて、旦那を早めにお家に帰らせてたまにくる張りを我慢しながら夕飯を食べて消灯までワンセグでテレビを見ていました。

夜のモニターでも張りは縮まらないので5分くらいまでになるまで様子見といわれそこから痛みと闘うこと4時間。

トイレに行くと出血。おしるしは何日か前にもあったのでまたか?くらいでしたが、消灯された大部屋で痛みを我慢していましたが、トイレでチョロチョロと何か出たような気がしたのでナースコール。

とりあえず内診をしようかということで処置室へ移動しました。

移動するときも痛みで歩けないくらい痛み始めました。

内診をすると今までは2cmくらいだったのがいきなり5cmでした。

立会い希望だったので旦那に連絡するも出ない!!!

メールしても返事が返ってこず・・・何分後かにやっとつながる。

こんなときに、、、と思いながらも時間は深夜12時過ぎ。一度寝たら音が鳴ろうがバイブにしても気付かない旦那が気付いただけでもよしとするか。

モニターをつけるといい張りがきていた。

旦那も1時頃到着する。内診をしてくれた助産師さんは明日産まれてることを祈ってるし楽しみにしてるからと言っていました。

しかしまたここから長い長い道のりになるのでした。



前回から5ヶ月も空いてしまいました。。。

こちらのブログはすーちゃんが産まれるまでの記録として始めたので年内で終了としたいと思います。

なので出産レポ頑張ります!!


毎日のように続く前駆陣痛にゲンナリしていた私。

モニターをつけると毎度遠のいてしまう張りに助産師さんともう付けたくないねと話していました。

夜になると本陣痛につながらない焦りや不安、自己注射を終了していたのですーちゃんは大丈夫なのかな?という不安で涙する日もありました。

こんな日が続きながら、外出したり外出禁止の日は院内の階段の上り下りをしてすーちゃんが降りてくるように頑張りました。

同室の人たちとも仲良くなって色々話すようにもなりました。

7月になってからは部屋の人たちの入れ替わりがなくなったのでみんな自然とカーテンを開けてました。

そして初めて私とおなじような境遇の方とも会うことができました。

その方は私の前に入院された方で、前回の妊娠の時に胎盤が先に剥がれてしまい息子さんを亡くされたとのこと。それを聞いて私も実は前回死産で娘を亡くしていることを打ち明けました。

それも同じ2年前の5月に同じような経験をされていたとのことでびっくりしました。

彼女も私と同じ管理入院で8月に帝王切開で出産するとのことでした。


そしてついに、、、