もう、1年程両親と会っていない。
最後の電話は、「ふざけるな、それならもう七五三は行かないからな!」という怒号で終わった。
このような脅しは、これまでに何度もあった。
大学のお金を出さないぞ。
この家に住まわせないぞ。
結婚式に参列しないぞ。
その度に私は泣きながら、「ごめんなさい、私が悪かったから許してください」と赦しを乞う。
だから今回も、両親は私から謝ってくると思っていたのだろう。
ただ、今回は初めて、「はーい。」と返事した。
娘の七五三に、私の両親が参加しなくても別に困らないから。
脅しに屈しなければならない、そんな環境ではなくなったのだ。
そして、1年近く経った。
その間に私たちは引越しをした。年賀状も出さなかった。私たちがどこに住んでいるのか、両親は知らない。
プライドの高い私の両親は、自分から下手に私にアクションを取ることはないのかもしれない。
向こうから歩み寄ってくれば、私は応じてもいいと思っていたが、そんなことはなかった。
あっけなく、「絶縁」状態になった。
こんな簡単に、長年苦しんでいた関係が途切れた。
私が思うほど、両親は私に執着していなかったのだろう。
自分達に媚びない、可愛げのない娘なら別に要らないのかもしれない。
あんなに干渉してきたのに、それはやはり愛情故では無かったのだ。
というより、愛情故であるならば、さすがに娘の私にも伝わると思う。
私はこれまでの干渉に対して、愛されているからだとは全く思えなかった。
だけど、「お前を思って言ってやってるんだ」という言い分を、少しでも信じたかった。
それがあまりに的外れで私の希望を全く無視した提案、押し付けだとしても。
1年親と接することが無くなったことで、見方がどんどん変わってきた。
これまで、私が親に「これは嫌だ」と伝えると、親がトンデモ理論を言い出して、それに対して「やっぱり私が間違ってるのかな?」と思い直し、変にリセットされ続ける人生だったのだが、
謎の矯正リセットが無くなったことで、本来の自分の考え方が見えてきた。
恐らく、来年にはもっと変わっていると思う。
人間関係も円滑になってきた。
母はすぐ勝ち負けで評価するのだが、自然に私も同じ考え方をしていた。
だから、すごく疲れたし、周囲に対しても刺々しかったと思う。
今は、ありのままの自分を認めてくれる夫がいて、かわいい娘達もいて、それだけで毎日が幸せだ。
それ以上も以下もなく幸せで、他人と比較する必要がない。
だから穏やかだ。
こんな穏やかな日々は、物心ついてから一度も無かった。
間違いなく、私の人生の中で、今が一番幸せだ。
次、親から連絡が来るのは、親族の葬式だろうか。
今からその時を怯えている。
不謹慎だが、ずっとコロナが流行していれば、冠婚葬祭の欠席も許される時代が続くのだろうかと期待してしまう。
電話番号とメールアドレスさえ変えてしまえば、本当に絶縁できてしまう。
葬式の情報すら、私に伝えられないだろう。
この穏やかな日々が、ずっと続きますように。