歌:Palette Parade
動画:YouTube
公開日:2023年
作詞:mimimy
作曲:古屋葵
楽曲「未来図」は Palette Parade の2周年ライブで初披露された。
運営側としても思い入れのある曲のようで、2024年7月加入の2期生のオーディションでは歌唱審査の課題曲として採用されている。
疾走感のある聴きやすい曲だが、歌詞がやや難しい。
描いた未来が 光景がたとえ叶わなくても
この曲にはイントロがほとんどない。
印象的な出だしにはタイトル「未来図」を暗示する言葉が並ぶ。
その未来は実現が困難であることも併せて表現されている。
同じ光景が広がる明日を何度繰り返し見て来たのかな
「同じ光景が広がる明日」とは、何度変えようとしても変えられない未来のことだろう。
これは主人公が理想とする「未来図」とは異なる現実である。
白線に立ってピストルが鳴り響く転んだってゴール目指し何度も走り出す
見かけ上は陸上競技のスタートが描写されている。
実際は暗喩であり、「ゴール」すなわち「未来図」に向かって主人公が努力を始める様子を表している。
(後悔なんてもうやめにしよう)ハードル飛び越え(明日を夢見ているから)地面を蹴ると風に溶け込む(ダサくてもまだ足掻いてみるよ)さあ 未来を変える起点だ
括弧内はバックコーラスであり、地の文が主旋律である。
ハードル走を写実する歌詞であるが、その暗示するところは、困難をまさに乗り越えようとする主人公の姿である。
僕が目指した未来だ笑顔で掴み取れるさ今度は誰にも もう負けないから
勝利を「掴み」取るという言葉があるように、陸上競技とのダブルミーニングが継続している。
「誰にも」「負けない」という相手には、主人公自身も含まれているように思える。
間髪を入れず曲はサビへと続く。
平行世界を越えるほど高く飛べたなら誰よりも速く羽ばたいて夢が叶うかな
ここで重要な単語「平行世界」が登場する。
作者は〈並行〉ではなく「平行」という漢字を敢えて選んでいると思う。
前者は単に並んで存在する様子を表すのに対して、後者は空間的に交わらないという意味も含む。
現実世界からは届かない「未来図」の理想の高さを表しているのだろう。
「越える」や「飛べた」といった表現は直前にも出てきているが、ここでは遥かに大きな意味、すなわち、本来は行き来することができないパラレルワールドへ跳躍するという意味も加わっている。
一人じゃないくせして 独りきりで抱えて砂時計を返し やり直した
ここでも「一人」と「独り」で漢字が使い分けられている。
前者は単に数量的な意味であるが、後者はそれに加えて孤独という意味が強調される。
「砂時計を返し」という言葉はタイムリープを連想させ、SF的な描写に一役買っている。
成功描いた未来図は理想的だけど悔しさが消えなくてめちゃくちゃに塗りつぶす
「成功」は「平行」と韻を踏んでいる。
「めちゃくちゃに塗りつぶす」とは、夢を諦めようとする主人公の比喩であろう。
君のためにだなんて 君がいるからなんて人に委ねる夢はもうやめにしよう
ここで初めて「君」が現れる。直後の「人」とは同義だと考えて良いだろう。
サビの最後を飾る「人に委ねる夢はもうやめにしよう」という文には、この楽曲の主題が最も直接的に表現されている。
「委ねる」とは主体性の欠如であり、続く2番の歌詞でそのことが詳しく述べられる。
なんとなく夢を追いかけてたら君と歩けると思ってたんだ
この部分は「君」をどう解釈するかによって歌詞の意味が変わってくるように思う。
今はひとまず、周囲に同調しながら惰性で生きる、といった意味だと捉えておく。
プライドなんて最初から見ないふり弱虫で負けた時の言い訳探してた
「プライド」も一種の主体性だと考えられるだろう。
また、「言い訳」には「人」からの評価ばかりを気にする主人公の気持ちが表れている。
これは前半の「ダサくてもまだ足掻いてみる」とは対極の姿である。
繰り返し繰り返し巻き戻してはまた結末を変えられず後悔が重なるいやだよ どうして 自問自答に涙が滲む
「巻き戻し」は「砂時計を返し」の言い換えであり、「後悔が重なる」は「悔しさが消えなくて」に対応する。
主人公の置かれた現状が改めて提示され、その感情が慟哭で表現されている。
平行世界で泣いている僕の手を掴み目の前の壁を飛び越えて明日へ踏み出そう誰のせいでもなくて 誰にも救えなくてその手を握るため強くなるよ
この楽曲の中でも特に鮮明で感情に訴える部分である。
曲調が静かになる効果もあるが、もう一つ重要な要素がある。
実はこの部分だけ視点が現実世界から理想世界に移っている。
「未来図」すなわち理想世界は現実世界よりも上に平行して存在しており、「平行世界で泣いている僕」は下の現実世界にいる。
しかし、その「手を掴み」「明日へ踏み出そう」と導く主体は、上の理想世界にいるのだ。
その主体とは「強く」なった「僕」に他ならない。
主人公はこうしてようやく主体性を獲得する。
成功描いた未来図は手が届かなくて眩しくて純粋で痛いほど真っ直ぐで
「手が届かなくて」「真っ直ぐで」のいずれの言葉も「平行」を連想させる。
「眩しくて」「純粋で」はどちらも理想の高さや尊さを象徴している。
スタートライン蹴れば ゴールテープを切れる人に委ねる夢はもうやめにしよう
前半の「未来を変える起点」が「スタートライン」という言葉で再掲され、続けてこの曲の主題がもう一度提示される。
直後に同じメロディーで主人公の決意が表明される。
僕の夢は僕にしか叶えられない
この曲にはアウトロもない。
最後に残るのはバックコーラスだけであり、聴き手に印象的な余韻を残す。
(後悔なんてもうやめにしよう)僕は越えるから(明日を夢見ているから)(ダサくてもまだ足掻いてみるよ)(終わらない日を 飛び越え)(後悔なんてもうやめにしよう)(明日を夢見ているから)
ここでもう一度次の箇所を振り返ってみる。
一人じゃないくせして 独りきりで抱えて
独りで悩むことを否定的に捉える文脈である。これは
僕の夢は僕にしか叶えられない
と矛盾しないだろうか。
私の解釈は以下の通りである。
作者は人に夢を「委ねる」ことを戒めているが、人を〈頼る〉ことは否定していないのだと思う。
前者には主体性がなく、後者には主体性がある。
〈頼る〉とは、困難な状況を打開するために他人の力を借りるという主体的な行為だ。
誰の力を借りるか、その人の助言を採用するかは、最終的には自分で判断することになる。
これは、自分の判断が介在しない「委ねる」という行為とは明確に異なる。
自分の人生には自分で責任を持て、そう諭されているように感じる。
さて、2番の歌詞の冒頭に出てくる「君」について、先ほどは漠然と周囲の他人だと解釈した。
多くの人にとってはその方が自然に感じられると思う。
しかし、一緒に夢を追い求めるライバルのような存在がいるとすれば、より直接的な解釈も可能になる。
そうだとすればこの曲は、過酷な環境で魂を燃やす者達へ向けた、作者からの熱いエールとなろう。