冷えとり家族の健康紛争誌

冷えとり家族の健康紛争誌

~家族のための冷えとり健康大作戦~

Amebaでブログを始めよう!

 蕁麻疹が出始めて数ヶ月が経ち、季節は夏真っ盛りになっていた。

お風呂上りだけだった私の蕁麻疹は昼間でも出てきた。 暑さのせいで出歩くだけでも汗をかくからしかたがないけど辛かった。


 人に見られたくないから長袖を着る、、、さらに汗をかく、、、蕁麻疹は悪化する。


 悪循環と分かっていても人目が気になる。


 病院で処方してもらった坑ヒスタミン剤を毎日飲んでいたが、効いているとは思えない状態が何ヶ月も続いた。


 夏も終わり、幸運にも蕁麻疹はお風呂上りだけとなった。 後数ヶ月で結婚。 嫁ぎ先は兵庫県。 結婚したらそうそう静岡に戻ることは無いと思い、地元の友達と会ってはよく飲み歩いた。


 『結婚』への期待や不安があったか無かったか、飲みすぎてどこで転んだか気づいたら唇を怪我していて、流血状態でカバンも持たずにタクシーに乗っていたこともあった。 タクシーが家の近所につくころに、「ハッ Σ(゚д゚;)」 と意識が戻ったが、自転車で出かけたハズなのに手ぶらで流血だったから、そんな自分に焦った焦った叫びあせる


 その日は仕事が休みで、お昼から職場の先輩と蕎麦屋で日本酒を飲んで、夕方からは知り合いの居酒屋で夜中まで飲み続けた。 気心の知れた先輩と飲んで母のことや蕁麻疹のこともいろいろ話したかったが、母のことを話したら絶対に泣いてしまうだろうし、お酒を飲んで泣くなんて周りの目が気になりすぎて出来なかった。

 しかしほんとは誰かに全てを打ち明けたいと思っていたから余計に悪酔いしていた。 酔い過ぎたら危険だと思ってトイレで自分に何回もビンタをしてみたけどダメだった。。。そこからが記憶が無い。o(_ _*)o


 タクシーを家の近所に待たせて、血だらけで家に入り、父と祖母には見つからないように仲のいいお兄ちゃんのお嫁さんを起こしてタクシー代を借りて、再びタクシーに戻った。

 めちゃくちゃ恥ずかしかったからすぐにお金を払って帰ってきてしまったが、あの時恥を忍んで 「私はどこでタクシーに乗りましたか?」 とか 「乗ったところに今から連れてってください。」 とか言えばよかった。


 帰ったら案の定お嫁さんは私を心配して待っていた。 そこには1才半の姪っ子も起きていて衝撃的な私の顔を恥ずかしくなるくらいじぃ~っと見ていた。 姪っ子にとってもあまりに衝撃的だったのかその後2年くらい、私といえば鼻の下に指を当てて、『ここイタイイイタイのおねえちゃん』 といい続けた。


 父にも祖母にも怒られるだろうと思って、出来るだけ事を大きくしたくなかったから、その日は帰って2・3時間寝て朝の5時頃からまた静かに家を出て、一日飲み歩いた街中を歩き回って自分の自転車を探した。 誰かに乗られてる可能性もあるからかなり広めに探したが自転車もカバンも見つからなかった。

 警察にも行ったが、口にマスクをして、 「お酒を飲んで自転車とカバンを無くしてしまってぇ。。。」 と言っても時間も場所も分からない・・・。 居づらくなってすぐに署を出た。


 しかし自転車に実家のお店のステッカーを貼っていたので、次の日には自転車とカバンは見つかったが、現金とケータイは無くなっていた。

 働いていたお蕎麦屋さんも、唇が2倍に腫れてしゃべれなかったので1日だけ休んだ。 前歯も強打したらしく、1本神経を抜いて差し歯になった。 2週間後には嫁ぎ先の兵庫県からだんな様とお姑様が私を迎えにやってくる。 絶対唇の傷は完治していない。 今後は絶対お酒は数杯だけにしようと心に決めた時だった。