
テヴェレ川の河口で、紀元前からローマの外港だったオスティアアンティカの遺跡、実に47年前の1978年に訪れているが、当時は入り口から歩いて10分ほどの範囲で、劇場と、モザイクで取引商品を示す商店が並んだ広場が有ったぐらい。
今回、遺跡公園の範囲は拡大していて、シャトル運転手の広げる地図の向かって右端が遺跡入り口、左の一番奥までシャトルで行って、歩いて戻ると普通に歩いて1時間だと言う。シャトル代€5で一番奥まで。

ポルタマリーナの浴場跡、この先がローマ時代の海岸線

住宅コンプレックス

この付近のテヴェレ川の流路と想像図、大きな住宅コンプレックスが建て込んでいる。ハドリアヌス時代にかなり整備された様子。

3層のインスラ、1階は日本の2階分ほどの高さが有り、その上に2層の床が遺っている。

3層目の床からの光景

インスラに繋がった浴場

建造物の地下にミトラ礼拝所、オスティアには数十のミトラ礼拝所が発見されている。


立派なミトラ像、オリジナルは遺跡内の博物館に収蔵。

個人の邸宅

床は色大理石の組み合わせ

古い時代の神殿地区

東西方向のメインストリートであるデクマヌスマクシムスの西側で、道路が二股に分かれるあたりが紀元前4世紀に造られた方形の城砦の部分。

博物館に収蔵された紀元前5世紀のテラコッタ破片。

ローマ帝政期に建てられたローマとアウグストゥスの神殿。

フォロの近くのインスラ、3層の住宅コンプレックス

テルモポリウム(温かい料理を提供する店)、テークアウェイの他、広い店なら店内飲食も可能。

4世紀後半、初期キリスト教会の会堂、既存の建築物を流用していて細長い変則的な形。

フォロの浴場

床モザイクの有るミトラ礼拝所

博物館に収蔵されたネクロポリの墓に描かれていたタナトゥス(死)、2世紀後半。

博物館の後ろに現在のテヴェレ川の流れ

この広場の回廊に商店が並んでいた。各商店の前に取引商品のモザイク、ここは47年前の記憶。

出口に向かう、結局あちこち見て6時間ほど過ごした。博物館も結構良いものを収蔵しているし、ゆっくり公開されている街区を歩くと面白いものが多い。
ポムペイに次いでローマ都市の姿を良く遺している。
特にハドリアヌス時代に大規模な住宅コンプレックスが整備されていて、1900年ほど前に、これほどの都市生活があったのかと驚く。
公共大浴場に水道、下水道、惣菜店、食堂、消防署も在った。
広がったオスティアアンティカ遺跡は充実している。