ローイエット市の郊外、空港の在る東に向かって10キロほどのところ。ここはローイエット国立博物館のローイエット県内の祠堂図ではプランクーと示されていた。
池の右手に現在の僧院
ここも池が良く遺っている
真東のエントランス部、外周壁東門の前にも構造物の遺構、前室ではなくナーガの橋だったか。
東門ゴープラ部にリンガのようなもの。もともとの形と位置は不明。
現在の祠堂内部、仏陀像は後代のものだろう(ラオス様式?)
祠堂後方から
色の違う石材は後代の補修なのか?門扉部の白色も元はこの色だったのか?
これは標準プランの主祠堂南東に西側開口の経堂、奥は盲窓だったのか?
この遺跡はコーラートやコーンケンの施療院に比べ少し異なる小さい石造構造物基礎のようなものが祠堂の北と南後方に見られる。また主祠堂前面にも石畳が在り、これが本来のオリジナルなのかどうか。
コーラート、コーンケンに続いて3つ目の施療院ではあるが、基本プランは同じながらこのローイエットのものは色々考えさせられる要素が有る。
ローイエットの市内に戻って
ワットクランミンムアン、イサーンに在るラオス型のシム(本堂)として重要らしい
内部、結界を堂内に設けている。やはりシムとはシーマ(sema、結界)のことだったか。
この僧院はトンブリー王朝以後に造られた現在のローイエットで、高僧が止住する僧院らしい。あのローイエットタワーの最上部に祀られた仏陀像は、この僧院で崇敬を集めていたものを招来したとのこと。