コトノハ通信  カウンセラーの日々の想い

コトノハ通信  カウンセラーの日々の想い

吉祥寺で女性専門のカウンセリングルームを開いています。
 日々のこと、好きな映画、芝居、文楽、そして猫の話など思いつくまま綴ります。

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 11歳の男の子、湊は父親の死後、母親と二人で暮らしています。
通っている小学校ではご多分に漏れずと言うのでしょうか、ひとりの男の子、依里がいじめを受けています。靴を片方隠されたり、机の上にごみを置かれたり。湊はほかの子たちと同様に無関心を装いますが陰では依里と遊んでいました。「みんなの前では声かけないで」といいながら。
 物語はこの二人の男の子を中心に語られていきます。

 湊の母親は明るい性格、夫の死後、懸命に働きながら湊を育てています。
ある日、彼女は湊の靴が片方見あたらなかったり、学校に持って行っている水筒に泥水が入っていることに気づき、「学校でいじめられているのでは?」との想いを抱きます。そして湊の「保利先生におまえの脳は豚の脳だと言われた」と言う言葉を聞き、学校に向かいます。成り行きを話し学校側からの説明を聞こうとするのですが、校長、教頭、保利先生も形だけの謝罪を繰り返すだけ。不信感を募らせつつも帰るしかない母親でした。

 学校では保利先生や校長先生についても噂がささやかれていました。
駅前のビルの火災の時、ビル内のガールズバーに保利先生がいたとか、校長先生の孫が校長の夫の車にひかれたとされているが、本当は校長先生が運転していたのだ、とか。
 なにやら不穏な空気の漂う学校やその周辺です。

依里が保利先生の湊への暴力を証言したため、保利先生への不信感はさらに広まり、保護者会が開かれ、さらにマスコミの取材がはいったり、だんだん大ごとになっていきます。

 そして、ある嵐の夜、湊が部屋から姿を消します。半狂乱で探し回る母親、そして何かに気付いた保利先生。

 いじめ問題を取り上げた作品かと思いきや、その背後にはさらに別の問題があることが見えてきます。、そして校長、教頭、教員たち、母親も子供たちもそれぞれがうそをついていることも見えてきます。

 この作品はは同じ出来事を母親、保利、子供たちの三者の立場から繰り返し描かれます。徐々に見えてくる真実。

 そこにあるのは学校の体裁を繕うためにうそをつく管理職、家庭を守るために母親のついたうそ、思春期の子供のつく、おそらく様々なストレスからのうそ。

さまざまな嘘が出来事を複雑にし、人々を傷つけていくのでした。

ラストは悩みながらも突破口を見つけたらしい子供たちの瑞々しい姿に救いの感じられるラストシーンでした。

 我が身を守るためにつくうその罪深さもですが、ひとつの物語を視点を変えて描くことで、物事を正しく観ることの難しさを思い知らされます。
私たちは自分の先入観や思いこみ偏見から完全に解放されることはできませんが、何かが起こったとき、自分の見方だけが正しいのではなく、ほかにも違う見方があるかもしれないと考えるだけのゆとりや想像力を持っていたいものだと思うのです。
 何かが起こったとき、一方的に物事を見たり決めつけたりせず、いろいろな角度から見直したり、出来事を俯瞰してみるような視点を持っていたいものです。
 監督は「怪物」とはなにも考えようとしない人を指すと言っています。
物事を一面的にだけ見て、他人の考えの受け売りを信じ込んだり、他人を非難したり、そうしたことで他者を傷つける「怪物」
 時に自分を振り返り、そんな怪物になっていないかと考えられる自分でいたいと思います。