たまに思うことがある。
子どもたちに偉そうに、さも正しいかのように指導する自分はどれだけ完璧な人間なんだと。
言ってることのどれだけを出来ているのだろうかと。
例えば、子どもたちに繰り返し『ポケットに手を入れるな』と伝える。
そんな自分は寒くてポケットに手を入れて帰宅する。
単純な話で言うなら、有言不実行だ。
でももっと深く考えるなら、前提として何故子どもにポケットから手を出させるのか、ということ。
そこには、ポケットに手を入れたまま歩いたりすると、転んだ際に手を付けずに怪我をする恐れがある、という問題を未然に防ぐという狙いがある。
そして自分がポケットに手を入れる理由は寒いからであって、手を入れた際のリスクと寒さとを天秤にかけて選択した結果ということが言える。
子どもが手を入れるのは寒いからなのか?そうなら手袋を着けてあげればいい。
それでも入れるなら、それによって生じるリスクを伝える。
きっとそれでも入れる子がいるだろう。それはその子が選択した結果なんだと思う。だとしたら受け入れ、見守ってあげればいい。
でも、往々にして手を出すことを強いる。それがルールだと。
それは誰のためなんだろう。
子どもが怪我をしないため?もちろんそれもあると思う。
一方で先生としての責任が問われるという問題もある。怪我をさせてしまったと。
結局誰のために言ってるのか分からなくなる。
子どものためなのか、自分のためなのか。
ルールを教えることが教育なのか、選択を与えることが教育なのか。
俺にはまだ分からないけど、後者でないことに違和感を抱いているのは事実。
この感覚は忘れたくないな。
See you Next time☆
Bye-Bye★