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h-bobのブログ

重症うつ病で経験した人でしか分からない事を書き込みして自殺未遂、社会のクズと周りに思われる経験をした事を書いて同じ様に苦しんでる人の生きるヒントになれば良いと思ってます。

また、久しぶりに書き込みします。

今回は自分の幼い頃の体験を書き込ませていただきます。

私の実家がある所は町から7キロ離れてる小さい地区に住んでいて保育園・幼稚園・小学校・中学校は町の中心部にあって小学生の頃は朝はバスで(バスは朝6時と夕方7時の二本しか通ってませんでした。)小学校が終わったら歩いて平坦ではない一山越える様な感じの道のりを帰ってました。

なので仲の良い友達は町に住んでいて地元の地区には仲の良い友達は一人もいなくてどちらかと言うとその地区ではイジメられてました。

小学校が終わって町から離れるとカバンを二つ~四つ持たされて歩いて帰り、休みの日はサッカーのPKごっこでゴールキーパーにされてシュートを決めるのではなく誰が私にボールを当てられるかという遊びや、年上の家に無理矢理遊びに行ったらお前は帰れと言われ一人で帰されたりしてました。

実家の地区には子供が十人居てその中の五人がよく私を遊びに誘うと言うか無理矢理連れて行かれる感じで親が共働きしていた為家に私しかいなくて断れば殴られて、いつの間にか無抵抗で連れ出される様になり地区的に山のなかにある地区で町から孤立していたため人口も少なく山の中でイジメにあってました。

酷い時はケンカの練習相手にされて顔も含めて殴る蹴るで泣いてもそれは続き無抵抗だと相手にならないので川に落とされて「お前反撃しないと練習にならないから反撃しろよ‼」と暴行をうけてました。

その五人さえいなければ明るい性格に育っていたと思いますが、自然に無口になり笑顔は無くおとなしい性格になってました。

ケンカさせられたりした時は家の親は「ケンカしたのか負けたらいかんぞ‼」とイジメられてる事に気が付かない鈍感で親も親で私は遊んだ事はありません。
遊びに何処か行った思い出もありません。

もしかしたら子供の頃もうつ病みたいな感じだったのかもしれません。

中学校・高校と学校に行くのが苦痛で休みが多く高校も出席率ギリギリで卒業しました。

大人になり携帯電話が普及して来た時も友達から電話があっても居留守する事が多く人と関わりたくなかったので一人で居ることが好きになり始め、たまには町の人から電話がきて一緒に飲み会にいやいや参加してまして今振り返ると精神的に何かしらあったと思います。

でも子供の頃は自殺とかは考えなかったです。

それは、大阪にいた近い年の従弟が居たことが大きいかったと思います。

夏休みになったら地元にいたくなかったので大阪に行ったりして二ヶ月以上おじさん、おばさんにお世話になって大阪の人は考え方が陽気で小さかった私にはイジメから凄く離れた所で笑える事を楽しく感じてその経験が生きる力になってたと思います。

子供の頃も余り良い思い出はないですが、重症うつ病になって薬を飲むようになったら人と関わる事が楽しくなりました。

今も振り返ると環境が変われば、笑顔になれる所が生きる力になってたんだなぁと、シミジミ思います。

今現在、私はドン底人生を過ごしてますがまた笑顔になれる日が来るんじゃないかなと思っています‼

今回はこの辺で終わります。