今思うと、それは突然訪れた。

「今思うと」である。ターニングポイントを自分で意識できる人は少ない。

それは知らずに訪れ、気がつくとレールは切り替わっている。

今は違うが、当時は信じていた。

世界を信じていたし、目に見えるものが事実だと思っていた。

人は優しく、自分の周りに世界があった。

だが今は違う。

大きな歯車に組み込まれる小さなパーツが自分なのだと

思い知らされる。でも世界は小さなパーツを必要としている。





今から1年半前、2009年1月2日。ツカサ27歳。

元旦は家族で実家で過ごすのが佐田家の慣習になっていた。

箱根駅伝を見ながら日本酒をちびちび。

大学以降ツカサが家を出てからは、数少ない家族団らんの時間となっていた。

父親の義正は短気だ。その日も酒のせいもあり、

「中央大の西崎は登りが弱い。どうして山越えをさせるんだ!」

そう言っては昼間からお猪口を投げつける。

投げられる方はたまったもんじゃない。

義正も家が壊れるのは気にするらしく、決まってツカサに投げつける。

「いい加減にしろよ、親父!」

「うるさい!たまに帰ったときぐらい、父親の言うことを聞けんのか!」

「聞けるか!」

母親の紀子はそれを隣の部屋で聞きながら洗物をしている。

紀子が登場するのは、お猪口が割れた時だけだ。

と言っても、この10年は割れていない。一種、正月の変わった風物詩のようなものだ。 

「もういいよ!」

そういうとツカサは部屋を出た。よほど腹が立ったのだろう。

ツカサも父親に負けず短気になってきたと紀子はここ数年特に感じていた。

家を出たツカサは、財布がないことに気がついた。

かといって、また家に入って父親の顔を見るのも癪にさわる。

まあ、少し頭を冷やそうと、歩き出した。

午前11時。日は差しているものの、まだ寒い。

佐田家は商店街に近く、比較的街中に家がある。

と言っても、実家のある西和田市は人口10万人。

街中はドーナツ化現象により、郊外型のショッピングモールに客を取られ、

シャッターの下りたまま、テナントの見つからない商店が増えている。

当然、正月から営業をしようという気合の入った商店主も少なく、

折角の正月なのに、人通りもまばらな商店街。

商店街のすぐ近くに小さな稲荷があり、初詣をする人たちがかろうじて、

正月の雰囲気をかもし出していた。

ツカサは同級生がいるかもしれないと、少し身構えた。

急に家を出たこともあり、スウェットにジーンズという、

久しぶり人に会うには残念な格好だ。

なるべく、顔が見えないように稲荷の前を足早に通り過ぎた。

「すいません~」

その時、若い女性から声を掛けられた。

年はツカサと同じぐらいだろうか・・・ツカサは思った。

(ああ、やっぱり見つかったか・・・気まずいな。)

ただ、顔に見覚えがあるような、ないような。ボブカットで目がクリッとした栗毛の女の子だ。

「すいません~、今、O型の血液が不足してまして。」

 献血にご協力いただけませんか?」

「え?」

ツカサはようやく気がついた。稲荷の方を向かないように通りすぎたが、

稲荷の2軒隣りが、献血ルームだった。

正月から献血ルームはやっているのかと驚いたと同時に、まあ、正月だから血が必要ないということも

ないなとも思った。

正月は逆に病院は忙しいという話も聞くし。

「30分ほどで終わりますので、献血ご協力いただけませんか?」

栗毛のボブカットの女の子が寒い中、声がけをしているのだと思うと、

ツカサは急に協力的な気持ちに変わった。

これまで、一度も献血なんてしたこともなかったのに。

男なんてそんなものだ。

案内されるまま、献血ルームの自動ドアが開いた。

その瞬間、

(しまった!)

今度こそ、見覚えのある顔がそこにあった。

鼻筋の通ったキレイ顔に二重の大きな目、9頭身はあろうかという、スタイルのよさ。

髪は肩までの黒のストレート。

誰もが認める美人だが、ツカサにとっては、天敵だった。

ツカサは後悔した。

財布を持って、スウェットを着てなくて、さっき声をかけた娘が

ホンコンみたいな顔で、正月だからって献血でもして、

1年の始まりを美しく飾ろうなんてことを考えなければ、

献血ルームなんかには、間違っても入らなかったのに。と。



第4話「再会」へ つづく。