何度も何度も読み返し、その度にじんわり涙がでてきてしまいます。
あなたは 自分を「私はこういう人」と決めていませんか?
自分の生徒やパートナーを先入観で見ていませんか?
昨日までトミー・トンプソンというマスター・ティーチャーが
来日していました
海外からの講師の方は それぞれ独特な背景をお持ちですが
トミーはなんていうか「覚者」のような人です
とても深くて 静かで穏やかな佇まいです
(でも セクシーでもあります☆)
彼がいつも私たちにいう言葉があります
「定義付けを保留する」
「今の場所にいる自分自身」
私は身体が硬いんです
私は緊張しやすいです
この生徒はいつも踊りを乱してしまう
私は「ダンサー」だから・・・
年齢や肩書きや性格や いろんなこと
私たちは 自分に対して 相手に対して
いつもなんらかの定義付けをしています
レッテルを貼っています
先入観を持っています
そして その定義に対する反応として行動しています
トミーはそれを 保留しておきましょう
横に置いておきましょう と言います
私は ただの私 今の私
あなたは ただのあなた 今のあなた
自分に対して「こういう自分」を決めてしまうと
その前提でしか行動できなくなってしまうよ
でも 本当のあなたはそうではないんだよ
もっと素晴らしいんだよ
トミーはいつもそのことを思い出させてくれます
トミーは「私は定義付けを慎む生活をしてきた」と言いました
なんという謙虚さかと 心を打たれました
「私はあなたを知ろうとはしない ただ見ている」
知るということは そこから何らかの解釈をすること
つまり 定義付けすることです
それをしないで ただ目の前の今のあなたを「見る」
深すぎますよねぇ・・・!
だから「覚者」のようなのです トミーは
先生が生徒を見るとき
お教室での仲間同士
ダンスのパートナー
家族や恋人
様々な関係において この考えは大切にしたいですね(^_^)
そして 自分自身に対しても定義付けしていること
お忘れなくですよ
その定義は 自分に力をくれる場合もあるけど
多くの場合は 自分を制限する方向に働きます
自分以外のものにも 自分以上のものにもなる必要はなくて
ただ ありのままの そのままの自分
演奏の方のアクティビティの時 トミーは言いました
「演奏をする その前にあなた自身である」
「あなた自身が今ここにいて 音を奏でる」
「その時に あなただけの音が表現される」
そうするとですね
演奏することに気持ちも身体もとられていたのが
演奏者としての存在感がぐっと増して
その人がいて 演奏している に変わっていったのですね
これは 踊りにも共通していると思いませんか
「ダンサーである 踊る自分を見せるのではなく
そのまえに自分自身がここにいて そして踊る」
ダンサーとして ダンサーらしく自分の身体を使い
ダンサーなんだから ちゃんと踊らなきゃと思い
踊ること 動くことに気を取られていて自分を忘れてしまうと
なんだか希薄になって 動きもバタバタしてしまう
まず自分自身がその場 舞台に存在していて
自分の動きが踊りになる
その時に 踊りは自分自身のものになるのですね
踊りは表現ですもの
「ダンサー」という肩書きではなく その人自身のものです
その人の内側から立ち上ってくるものがあってこそ
踊りに踊らされるのではなく 自分が踊る
定義付けられた何かではなく ありのままの自分自身が踊る
そこにあなたのダンスがあるのですね(^_^)b
こちらからシェアさせていただきました。
ステキなお話ありがとうございます。
レッスン受けに行かなきゃ(*^^*)