明日から田舎帰ります。
祖母の13回忌。
父方の祖父母、母方の祖父が亡くなっているのですが、なぜか父方の祖母の事だけはっきりと思えている。
風邪を引かず、歳をとっても定期健診でしか病院にお世話になったことがない祖母でした。
ある日、肌の色が黄色ぽく咳きがひどいとのことで、親が無理やり病院に連れて行った。
結果末期の窒フう癌父達が相談した結果、祖母には癌とは教えなかった。
入院をして、たまに家に帰ると夜中に起きて朝市に出る準備をしていた。
私おばあちゃん、体調悪いからまだ朝市復帰できんよ。
祖母常連の人がいつでも買ってくれるよう準備してるんやわ。
という会話だけ強く覚えている。
祖母は輪島朝市で名物おばあちゃんだった。
いつも可愛い紫の帽子を被って、お漬物を売っていた。
帽子を被ってるとみんな覚えてくれる。
と言っていた。
商売っけがないおばあちゃん。
お漬物を売っても、おまけや試食のほうが多いそれでも、遠くから来て買ってくれる人の笑顔がうれしい。
前も買ったんです。
という言葉がうれしい。
と、いつも神待ち言っていた。
そんなおばあちゃん。
1年ほど入院をしていた。
私が大学1年の秋頃、月曜日だった。
病院から電話がきた。
危篤状態です。
当時、まだ能登空港が完成していなかった。
小松への、最終の飛行機も間に合わない。
父と私の二人で車でとりあえず向かった。
向かう途中、浜名湖インターでウナギを食べた記憶がある祖母が入院している小松の病院についたのは夜中の1時ごろまだおばあちゃん生きてた。
父に、何かあったら起こして。
と言って病室で仮眠をとった。
バタバタとうるさくて目が覚めた。
祖母が亡くなる瞬間だった。
ジタバタと苦しそうにしていた。
最後に大きくゆっくり息を吐いて亡くなった。
先生に、祖母は苦しかったんですかと聞いたら、苦しみはなかったと思います。
と言われた。
その後、輪島まで霊柩車に祖母と一緒に乗って帰った。
お葬式が終わり、私と父が帰ろうと祖父に挨拶をした。
祖父がちょっと風呂からでるまで待ってくれ。
と。
風呂からでた祖父は、私の目の前で脳梗塞で倒れた。
救急車を呼んだり、村のみんなが集まったりで大変だった。
祖父もその数年後亡くなった。
父が祖父に冗談でおばあちゃんの所にいきたいってきいたら、祖父はいやだ。
こっちで自由にしてると毎回話していた祖母の七回忌の時に、祖母の日記を見つけた。
日記には、孫達があそびにきた。
朝市を手伝ってくれた。
電話をくれた。
成長した。
喧嘩ばかりしている。
高校入学した。
などなど20年近くの思い出が書かれていた。
私はおばあちゃんにとって、良い孫だったのだろうかお葬式でも7回忌でも泣けずに、ただただ黙っているだけ。
無表情だった。
明日の13回忌も初めは欠席しようと思っていた。
父に色々と言われ、日記を預っていた。
日記を読むに連れ、涙が溢れてきた。
止まらない。
13年にしてやっとおばあちゃんに泣けた気がした。
おばあちゃんに会いたくなった。
ちゃんとにお参りして、お線香あげてこよう。
っと、支離滅裂な内容になりましたmmおばあちゃんっこだった事を思い出した。
何かあると決まって、おばあちゃんの作業場にいって、横に座って、おばあちゃんが漬物を作るのをただ見ていた。
一緒にラジオを聞きながら、ストーブの上でお餅を焼きながらただ座っていた。
田舎に帰ると、常におばあちゃんの近くにいた気がする。
朝起きるのも、夜寝るものいつも一緒。
おじいちゃんとおばあちゃんが喧嘩をしても、おばあちゃんの味方。
でも、おじいちゃんも好きよ。
うん。
明日はちゃんとにおばあちゃんに会ってきます。
泣いてすっきりした晴れるといいなー。
