昭和52年、当時僕は建築デザイン系専門学校の2年生、学校内でつるむ相手は社会の落ちこぼればかり、皆暇だから学校に来てるだけ、授業に出ても教室の一番後ろで先生の話など聞くわけでもなく、ただぼーっとしているそんな仲間達だらけだった。
授業が終わると誰となく喫茶店に誘い合い貴重な時間を何の価値も無いくだらない会話に費やし、お腹がすくと家に帰るという半分小学生の様な生活を送っていた。
2学期になり就職活動に焦り始めた時、学校側から成績により卒業見込みが立たない事を知らされ、慌てて周りの友人達に聞いてみた。
僕の周りでは誰一人として卒業見込みがたっておらず、それにもかかわらず誰一人として慌ててる奴も居なかった、どんだけ馬鹿な奴らなんだろう。
そこから僕はやっと、こいつ等と一緒に居たら自分がもっともっと駄目な人間になると気づき
勉強に集中しだした。
同時にどんな会社に入ろうかとも考え始め学食に張り出された各会社の募集案内に目を通してみた。
そこには僕が目指していた建築デザイン系の会社は1社もなく建築系の募集で有るのは小さな施工会社くらいであった。
元々施工関係や営業関係には絶対に進む気が無い僕は会社案内の中から一つ気になった事務所を見つけた。