年を重ねるにつれいろいろ鈍感になっている訳ですが、思い返すとって瞬間に「あぁ、これが懐かしむかぁ」って昨今であります。
いよいよこの長年放置を繰り返しては思い返して延命し続けたgoo blogのサービス終了日がやって参りました。
このひと月は「更新3歩手前で消す」を何度かやっていた訳ですが、最後までグダグダになりましたな。まぁ人生そんなもんです。ブラウザログなので自分の人生とほぼ同じような感じになったな。
特段思い入れがあるわけでもないけど、結構振り返ったりチラシの裏を何となく消化したり、そこそこ更新していた時は思い起こせば丁度手早くまとめるトレーニングとしては悪くない時期だったり、といいこともあった気がする。
しかし先に述べたよう、しょせんは自分の人生のチラシの裏で結局ただの肉塊といいましょうか、オタクがごちゃごちゃキーボードたたくだけのログといいましょうか。
ただ、ログなのである。長期熟成してもそれがなんか価値はないけどなんか良いといいましょうか。
個人的には自分自身を見つめると「だんだん幼稚化しているなぁ」と思う訳ですが、綴り始めた頃やオタク楽しんでいたころの思考は多分今と違う視点で世界を楽しんでいたんだろう、と思える訳で。
人の細胞は7年ですべて入れ替わるんでしたっけね。哲学的にも神経科学的にも自分の存在はちょっと前とは違った意味を持つってのは本で読んだ知識ですが、綴った記憶のないけどなんか自分が綴ったんだろうなって文章は今とは違う熱量を感じる。良い悪いではなく、なんか違う。
その「違う」が何となく見える化されているところに価値があるのかもですねぇ。ちなみにふらっと見てみると20年前は虫歯で苦しんでいたらしい。
しかし今や体重は昔より余裕で減ってるし、ひょんなことから虫歯を根絶やしにして歯医者さんに定期健診に行っている身であったり、何なら居住区も全然違うし。何なら今の方がなんか余裕と言いましょうか、なんかいい感じなのである。
人生わからない面もありますが、思い起こせば大体本当に「ギリギリ」や「実は勝負所だった」というのは後からわかるもので。何となく「こうした方がよさそう」だけで生きてきたリザルトはそんなに悪くない結果である、というような証明にもなっているような面もあるのかしら。
そう思うだけで今後の人生には何の影響もない訳ですが、なんか思い起こせるログがあるのは良いことではありますね。SNSはやってはいる(た?)けど、ふらっと思うことをふんわり気ままに綴る媒体の方が性にあってる気がしている。
お手軽ではない、このちょっとした労力と言いましょうか、気合と言いましょうか、なんか思い立ってなんか綴って「投稿する」で躊躇する、というこの流れ、本当に人生そのものですわ。
初回更新からそれなりに時間が経ちましたが、こう見返して思ったことは「続けて悪いことはそんなになかった」と思える何かだった。
課金して延命している割には更新頻度は相当低い訳でしたが、なんか続けてよかったな。どこかに転生するかね。
転生しても雑魚オタクのままだった、というオチで〆。