信じるものはすくわれる・・・足を

信じるものはすくわれる・・・足を

人生はやり直せる・・・はず?

生き急いでは立ち止まり、歩いた道を振り返る。人生色々あるから面白い・・・?
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何年振りか、オッカケをしている。今なら推し活動と言うべきか。

 

最後に追いかけたのは、もう20年以上も前だ。

当時中学生だった自分は、そこそこ売れ始めていたアイドルのオッカケをしていた。

きっかけはローカルラジオ、そしてそのイベントに参加した事。

一目見て奇麗な人だと思った。歌は・・・そこまで上手い訳ではなかったけれど。

 

1990年代後半はアイドル不毛時代で、数多のアイドルと呼ばれた人達が現れては消えていった。

自分がおいかけた人も、そのうちの一人だった。

 

アイドル(偶像)とは、人の一面でしかない。

そしてそれは作り物の可能性すら否定できない。

若かりし日の自分は、その意味を理解出来ていなかった。

奇麗な一面だけを切り取って憧憬の的としていた。

 

ほどなくして、売れなくなったその人は、あっさりと脱いでしまった。

今でこそそれが取り得る手段の一つとは分かるが、当時の自分には衝撃過ぎた。

あまりにも純粋過ぎた。何かが音を立てて崩れていった。

 

そんな姿を見たかった訳じゃない。受け入れ難い現実を目の前にして、

それまで帯びていた熱はみるみると冷めてしまった。

持っていたCDやサインも全て処分してしまった。

 

二度とアイドルは追いかけまい。そう思っていた。

 

だが、光輝く存在を目の前にして、もう一度だけその軌跡を見てみたい。

自分には無い、選ばれし人達のシンデレラストーリーをもう少しだけ

この双眸に焼き付けたい。そんな思いを持ってしまった。

 

良い事ばかりでは無い世界だけれど、どうか彼女達が歩む道が、

明るい希望に包まれている事を切に願う。

 

10年前に逆戻り。

誰もそんな事は望んでいない。

弱く脆い部分は一瞬にして闇に包まれた。

 

後ろ向きのベクトルは前向きのベクトルよりも強く、

余りにも理不尽な瞬間を瞼に映し出す。

 

自分ではどうにもできない不可視なものを他力本願にどうにかしてくれと

願い、それが叶わない事を誰よりも知っている事に対してひたすらに絶望する。

 

心が痛い。

竹内結子さん、とても好きな女優だった。

 

いま、会いにゆきます で共演した中村獅童と結婚し、一児を設けるも、

その後中村獅童の不倫により離婚。

 

この間再婚して、子供も産まれたばかりだと言うのに。

彼女の内なる部分で何があったのか、本心は誰も知る事は出来ない。

 

自身、死の選択を迫られるほど追いつめられる経験をした事はあるけれど、

その時に現実と繋ぎ止めてくれたのは近しい人の存在だった。

 

そんな存在は、彼女には居なかったのだろうか・・・その存在すら、

考えられない程に追い込まれたと言う事なのか。

 

残された人達は、居なくなった人の存在の大きさを痛感し、その穴を埋める事も出来ず、

哀しみに打ちひしがれるしかないのか。

 

この世のなんと生き難い事よ。

このブログを書き始めた頃は20代の後半だった。

気が付けば40になっていた。

 

時間の経過が恐ろしい。

 

30になったばかりの頃、

自分の限界を超えて業務に取り組んだ結果、心を病んだ。

今なら間違いなくパワハラと言える状況に身を置いていたのも要因の一つだったかもしれない。

 

その後、復活するまでに10カ月を要したのだが、

後遺症として過去の嫌な記憶が頻繁にフラッシュバックで襲ってくるようになった。

 

20年前、更にそれ以前の「あの時ああしておけば」と言う様な事が、頭を過るのである。

どうしようも出来なかった不甲斐無い自分の過去と向き合う。

 

これは一生付き纏う。良い事も、悪い事も、一挙手一投足自らの行動が招く結果だからこそ、

受け止めねばなるまい。

 

 

1年が経過するのをとても早く感じるのは歳のせいか。ただ夜中に文面を書き起こそうと思い立つのは何年経っても変わらない。これと言って書くような内容はないのだが。
波立った自分の気持ちを落ち着けるために文字に気持ちを託し、視覚的に認識させる事によって、客観的に自分の今の状態を把握するという点で、この文面には意味があるのかもしれない。
なんともまとまりのないものになってしまった。
幼少期、虚言癖があった事をふと思い出した。
今思えば、周囲の関心を惹きたかったのだろうと回想するのだが、
結果として嘘つきのレッテルを貼られ、返って孤立すると言う悪循環を
生み出していた気がする。
それでもフカし続けていたのは、自分の自信のなさか。
せめて自分の正面にいる人には、正直にありたい。
これは、虚言ではなくて、戯言かもしれない。
夏が来ると聞きたくなる。そんな一曲は誰しもが持っている。
今年も夏がやってきた。思い出したようにこの曲をプレーヤーで再生。
肌をチリチリと焼く日差しと共に忘れていたあの頃の記憶がよみがえる。
感傷に浸り、現実を愁いつつも、前を向く。
この夏も、また、風のように駆け抜けて行く。
ネットの利便性と恐ろしさを改めて知る。そして、過去の何時何時かにざわついた心を思い出した。
今はただ願うのだ、自分では成し得なかった幸せを。そして、自らの内側に沸き起こっていたこの心のざわつきが二度と起こらぬよう、安らぎを永久に祈るのだ。

A memory is in the oblivious other side.
と思っていたものが目の前に無かった。時の経過の中で廃れ、崩れ、やがて消えていく。残るのは心の中のみ、か。今を生きると腹を括ったはずなのだが、どうにも後ろを振り返ってしまうのが好きなようで。たまにこんな日があっても良いと自分を許してやった方が、気が楽なのかもしれない。
自分の現状に満足しているのかと問いかける。
色々あったが、不満という不満は無い。
過去を振り返らず、先を見据えるならば、満ち足りているとして良いのだろう。