1986年


FIFAメキシコワールドカップで
ディエゴ・マラドーナは2つの歴史をつくった


「神の手ゴール」と「伝説の5人抜き」
と言われる2つのゴールである


マラドーナの残した偉業は
サッカーファンの中では未だ語り継がれる伝説だ


と同時に彼は母国アルゼンチンで
神と呼ばれる存在になった


実はこの2つのゴールの裏側には1つの歴史がある


1982年


南米大陸南端から500km沖(アルゼンチン沖)に
200余りの小島で構成されたフォークランド諸島がある


この小さな島々の領有を巡り

アルゼンチンとイギリスは3ヶ月にわたって
戦争をすることになる


いわゆる「フォークランド紛争」である


短い期間ではあったものの
両国ともに多くの命を犠牲にして
アルゼンチンの降伏というカタチで終止符が打たれた


当然ではあるがアルゼンチンの国民の心には
イギリスへの抑えきれない感情が残った


そして4年後......


サッカーワールドカップという別の舞台で
アルゼンチンはイギリスと再び戦う機会を得た


冒頭でのマラドーナの2つの伝説

これはまさしく対イングランド戦での偉業なのだ


マラドーナが何故母国でヒーローなのか.....


そこには単にサッカーがうまいというだけでなく
敵国イギリスを倒した「英雄」という
もうひとつの大きな意味があるからだ


補足ではあるがサッカーの国際大会では
「イギリス」ではなく「イングランド」を耳にする


ご存じの人も多いと思うが


イギリスは4つのカントリーからなる国家である
「イングランド」「ウェールズ」
「スコットランド」「北アイルランド」


サッカー発祥の国「イギリス」だけは
この4つのカントリーそれぞれに
出場する権利を与えられているのである


即ち「イングランド」は「イギリス」ということだ


話をもどすが


イングランド戦でのマラドーナの果たした2つのゴールは
アルゼンチンという国家のプライドを取り戻した
歴史に残るとても重要な出来事なのだ




4年に1度のこの大会は

国家の威信をかけ


それぞれの歴史や想いの中

自分自身の未来を信じて

90分という限られた時間の中

さまざまな想いを持って戦う


その中では無数の物語が生まれる



国歌斉唱の時
そこに行くまでの苦労を想い涙する選手


不調と言われる中
プライドを捨て命懸けで1点を守り切った強豪


終了間際の猛反撃も及ばず

まさかの予選敗退にうなだれる前回チャンピオン


残り数十秒で決勝トーナメント出場を決めた大国


試合終了のホイッスルが鳴るまでは
勝負の行方は誰にもわからない


戦いに敗れた場合.....


国に帰ると収容所に送られると噂される国があったり


帰国後に選手が凶弾に倒れるという悲劇もあった


ここまで来ると単なるスポーツではなく

まさに命懸けの「戦い」である


「死闘」という言葉はこの大会のタメにあるのでは.....

そう感じさせられる事すらある



そして


6月25日未明.....


新しい歴史が刻まれた


私はその瞬間に立ち会えた事を幸せに思った


青いユニフォームに身を包んだサムライが
27人チーム全員の力で素晴らしい勝利を掴んだ


たかがサッカー


されどサッカー


信頼する仲間と一緒に
夢に向かって確実に進んでゆく人達


一瞬の喜びの後の
次の勝利を見据えた眼差し


私も同じ感覚を味わってみたい

そう思った瞬間でもあった



この祭典を観る度に思うことがある


次回の開催は4年後.....


その時は少し成長した自分として
この祭典を見ていたい


今と変わらない仲間に囲まれて
それぞれの「幸せ」な生活の中で


我々の国を大声で応援していたい


私にとってこのイベントは一つの「区切り」にもなっている


これから決勝トーナメントが始まる


今まで以上に白熱した戦いが繰り広げられる


当然のことながら日本には勝ち進んでほしい


とはいえ試合の結果はどうであれ
我々の心に残る試合を見せてほしい


眠い目をこすりながら仕事をしている人が多い今日


そんな中


昨日よりも希望を持って頑張っている人も多いと思う


数時間前に青い「英雄たち」が見せてくれたのは


サッカーの「ゲーム」ではなく

全力で戦うことで得られる


限界のない可能性と

明確に見えてくる希望だ 


まだまだ続くスポーツの祭典


気の合う仲間と一緒に試合を見ると同時に


そこに.....


未来の「自分達」を想い描くのはいかがでしょうか


               
                   フランキーの主人





フランキーのひとりごと

以前紹介した私の残念な親友が
再びプロとして音楽活動を再会する


その昔『モダンチョキチョキズ』というバンドがあった


濱田マリちゃんがメインキャラクターのこのバンドは
当時なかなかの人気だった


マリちゃんのヨコで 歌もロクに唄わず
ふざけたマネをしていたモヒカン頭のロクデナシこそ
我が親友の『ヌルピョン』である


芸能界を追放処分?された後

約10年余り 普通の生活を試みたが飽き足らず
42歳にして復活を遂げようと再び走り出す


いつも隣にいるこの男が動き出すまでの一部始終を
最短の距離から見ていた私には


この男の持つアウトローな哲学がたまらなくカッコ良く思えた


年頃の子供を3人抱える中年男が

自分の持つエネルギーのすべてを投げ出す覚悟を持って

夢と挫折が渦巻く世界に向かって走り出したのだ


そしてこのプロジェクトは
割と早い展開で現実のモノになってゆく


先に復活ライブの日程を書き記したい



8月10日
東京 吉祥寺 MANDA-LA2
http://www.mandala.gr.jp/man2.html


8月23日
大阪 なんば BEARS
http://home.att.ne.jp/orange/bears/




私もガキの頃ミュージシャンに憧れて
音楽に夢中になった時期がある


365日スティックを握り


『将来は音楽で.....』などと
たいした志も覚悟もないくせにホザいていた


ヤツは私がそんなカワイイ音楽ごっこをしていたのも知っている


先日一緒に海外に行った時の事


真夜中に突然ヤツは私の部屋に現れた


『今度のライブ、バンドだけはめちゃめちゃカッコいいのよ!
 特にドラムが.....  
 あんたに一流のプロの音を聴かせてあげたいから
 スペシャルなドラマーを用意した.....』


ヤツはドラムをやっていた私に
どうしても最高の音を聴かせたいという


そのドラマーはプロのミュージシャンとして
どんなビッグネームと共演させても
引けをとらないだけの「超一流」らしい


その方の凄さに関しては何となくわかる気がするが


この男が以前その偉大なドラマーの方と関わっていた事に驚いた


「ヌルピョンがやるなら行くよ」と
 いとも簡単に忙しいスケジュールを割いてくれた事や


「◯◯は(ドラマー) 昔と違い売れっ子だから
 簡単に呼べる存在ではないよ!」と他の人から聞かされた時
 心の中で『簡単にOKしてくれたけど.....!?』
 とつぶやいた事


昔お世話になったライブハウスのオヤジさんが

「おかえりなさいヌルピョンさん!
 うちで良かったら好きに使ってくださいよ!」と
 気持ちよく場所を提供してくれたという話


とにかくその時のヤツの話しは


よくあるサクセスストーリーの台詞のような
ステキ極まりない話だった


なにより私には特別で


私のタメだけにその一流のドラマーに声をかけてくれたのだ


私は未だかつてこんな粋なプレゼントをもらった事がない


この事は私の人生を振り返る時
いつまでも色褪せる事なく永久に輝き続けるモノになる


カタチあるモノはいつか壊れてしまう
しかしカタチのないモノは時として永遠を約束される


最後にヤツのガキの頃の話しを紹介したい


当時のバンドのメンバーが


「大人になったらちゃんとした会社に就職したい」と言った時


『じゃあ、なんでバンドなんかやってるの?』と


『それなら、良い会社の就職試験に合格するタメの勉
 強に必死になれば?』


その後ヤツはこう吐き捨てたらしい


『俺は、死ぬまで歌を唄ってたいから音楽をやってる!
 お前がサラリーマンになった時
 俺は間違いなくプロのミュージシャンという仕事をしている!』と


そして晴れてヤツは目標を達成し有言実行を成し遂げた


今回の復活に際して
こんな昔の出来事も背中を押したという



何はともあれ....


私はこの男の「無謀」なチャレンジを心から応援してる


そしてその姿をしっかり目に焼き付けたい


あなたからもらったプレゼントのお返しが出来るとすれば


それは私自身があなたのようにしっかり前を見据えて歩んで行く事と


あなたが私に『好きな事をやり抜く強さ』を見せてくれたように


今度は私が周りにいる人達に


『夢』や『希望』を持つ大切さを伝えて行く事だと思う


素敵なプレゼント....


楽しみで....

楽しみで....


今から興奮しっぱなしです



               フランキーの主人






フランキーのひとりごと

スポーツにおける実力の差は
レベルの高い大会になるほど小さい

実力をどれだけ発揮できるかが勝利を左右する

頂点を目指すものと初戦突破を目標にするものでは
戦う前から明らかな差がある

先日のセンバツ(選抜高校野球大会)で
沖縄代表の興陽高校が優勝した

私のイメージかもしれないが
沖縄のチームは常に強い

その根底にある沖縄県民の強い思い....

 
1959年6月30日午前10時40分頃
アメリカ空軍の戦闘機が操縦不能となり
民家35棟をなぎ倒し現うるま市立宮森小学校の
トタン屋根校舎に衝突したのち校舎を直撃した

この事故により17人(小学生11人)の尊い命が失われた
そのうえ負傷者は210人に至った

また

2004年8月13日午後2時15分頃
アメリカ軍普天間基地所属の大型輸送ヘリコプターが
訓練中にコントロールを失い沖縄国際大学に墜落炎上した

消火作業が終わった後にアメリカ軍が現場を封鎖し
現場での沖縄県警の現場検証は拒否された


どれほどの怒りと悔しさなのか


沖縄の人のハートの強さは
皮肉にもこの怒りや苦しみの賜物なのだろう

 
私は沖縄県民の苦しみや悲しみを理解できない
なぜなら沖縄県民ではないから

たとえ自分に置き換えて考えても所詮想像の範囲であり
それを経験した人の感情を知ることはできない

軽い気持ちで同情するべきでもない

 
以前 普天間基地移転についてのインタビューで
意外な意見を耳にした

「基地を移転してほしくない」仕事がなくなるから.....

意外な意見だった
 
沖縄における米軍施設の占める割合は県土面積の10.7%
在日米軍の軍人 軍属 家族の総数は94217人
うち沖縄所在が44963人 実に半分である

その約4万5千人がいなくなれば
仕事や収入に影響がある人が少なくないのも当然だ

不本意ながら経済的な理由で在日米軍を頼っている
沖縄県民がいるのも事実なのだ

同じ日本であってどこか独特の空気が漂う場所.....


日本にはアメリカに押しつけられた厄介な憲法がある
しかも他国から押し付けられたそれをご丁寧に守り続けている

むろんマッカーサーにしてみれば講和条約締結後に
独立国家として当然新しい憲法を作ると思っていたらしいが
 
69年の日米首脳会談でアメリカ大統領リチャード・ニクソンが
日米安保延長と引き換えに沖縄返還を約束しての結果

1972年5月15日 沖縄はアメリカから日本に返還された

沖縄が日本に返還されて38年が経つが.....

ここに簡単に書き記す事が出来ないほどの事案が
沖縄という特別な場所を現在もがんじがらめにしている
 
日本の街角で女子高生に日本は平和か?と聞くと
おそらく「超~平和~!」と言うだろう

それはとても素晴らしいことだ

しかし沖縄県民も平和と思っているのだろうか?

日々戦闘機の爆音を耳にしながら
果たして平和を実感できるのか

そういう環境下で生活する人がいるその場所も
間違いなく日本だということを忘れてはいけない

 
先日からタイで前首相派がデモを繰り返している
内容や思想は別にして自ら国を変えようとする姿勢は悪くない
 
デモが活発化し現地での仕事に支障が出た時
迷惑を被りながらもそんなに腹は立たなかった

希望のない生活の中にある僅かな光をたどって
己の命も惜しまず戦い続ける
 
私はそんな人たちが思いのほか好きみたいだ
どこかスッキリした気分になったのも事実だ

生まれた国を愛する気持ち

異国の地でその素晴らしさを改めて思い知らされた

 
我が国沖縄に平和が訪れる日はいつのことなのか.....


       
                  フランキーの主人






$フランキーのひとりごと

私が幼少の頃住んでいた家は
今から思えばひどくお粗末な家だった


当たり前に木造なのだが
耐震強度うんぬんとは程遠いシロモノで
子供の私でさえ倒壊を恐れて暮らしていたのを覚えている


当時ハイカラな家などは
アルミサッシや水洗便所が装備されていた


風呂場には決まって水色の浴槽が設置され
水を張ってつまみを回せば30分後には完成だ


当時のオヤジ達はドリフターズの「いい湯だな」
を口ずさみながら1日の疲れを洗い流していた


一方我が家はというと


俗に言う「五右衛門風呂」というもので
360゜をむき出しの鉄に囲まれ
「げすいた」と呼ばれる板の上で膝を抱えながら入浴し


シャンプーハットと言う訳のわからないモノをかぶり
面倒な「洗髪」という作業をクリアしていた


家の外にある穴からその燃料をくべて
適当な温度になったら火を消す


まさにアウトドアである


しかもこれが毎日行われるとなると
風呂嫌いになるのも仕方のないことだ


こんな話を聞いても意味がわからない人も多いと思うが
1970年代の当時ではさほど珍しい話ではなかった


貧乏な家庭が当たり前に多かった時代だ


ラッキーなことに我が家にあったゴエモン風呂だが
名前の由来は当然「石川五右衛門」である


五右衛門についてはいくつものエピソードがあるが


安土桃山時代に徒党を組んで盗賊を働き
京で処刑されたという事実は間違いないらしい


その石川五右衛門が釜ゆでになった大釜が
後に五右衛門風呂の名前の由来となった


そして五右衛門が京都三条河原で処刑された時
子供と一緒に釜ゆでにされたと伝えられている


最初五右衛門は可愛いわが子を熱湯に浸けてはいけないと
必死に頭の上に持ち上げて熱さに耐えていた


しかしあまりの熱さに耐えられなくなった五右衛門は
最終的にわが子を自分の足の下に敷き
沸き立つ熱湯から我が身を守った


この話が事実かどうかはわからない
おそらく迷信だろう


遅かれ早かれ自分もわが子も死に至る状況と理解していても
人間は一瞬の苦痛に耐えきれずに
眼の中に入れても痛くないはずのわが子をも盾にする


人は自分の限界点を超えた状況に遭遇すれば
冷静な時には考えもしないような
時として恐ろしい行動をとってしまうのだ


ひどい......


と思う人も多いと思うが
人間とは所詮そんなモノなのだ


人は自分一人では生きていけない

最近このことが身にしみてわかるようになってきた


誰しも数の多さに関わらず「人」に支えられて生きている

どんな人間に埋もれて生きるかによって
人生そのものが大きく変わってゆく


信頼している人にがっかりさせられる事があるかもしれない
期待もしていない喜びを与えられる事もあるだろう


そのうえ予想以上に頼もしい自分も存在するし
自分自身に裏切られた経験がある人も多いと思う


自分ですら気づいていない別の自分が存在する


良くも悪くも........


このもう一人の自分こそが
人間の本質というモノなのだろう


そしてもう一人の自分を「正義の味方」にしようと
人は努力し強くなろうとするのではないだろうか


この例え話は少し残酷で暗い話になったが
もう一人の五右衛門が正義の味方だったとしたら
素晴らしい「美談」になっていたわけで


即ち


人間の本質や潜在能力は想像も出来ないもので
ありとあらゆる可能性を秘めている


故に人間という生き物は愛すべきモノであると同時に

興味深い存在なのだろう


人間には本質という別の姿がある事

それは決して醜いモノではなくごく自然な姿であること


我が子を殺めてまでも己の身を守ろうとした
石川五右衛門という人間を


 蔑むことは誰もできない



            フランキーの主人





フランキーのひとりごと




私の親友であるK氏の営んでいるショップ(LOCAL BOYZ)
で「TOSHI」という男が働いている


奴は一流のスケーターで
「Seekens」というチームのメンバーである
 
http://seekens.seesaa.net/


当然奴の周りには大勢のスケーターが集まる
私から見ると奴らはまだまだあどけない少年達だ


故にスケートにかける思いは壮大なものだ
当然近い未来に自分がスケート雑誌の表紙を飾ると
心の底から信じている


私もガキの頃に音楽にハマりスターを夢見た
20歳を過ぎたころには波乗りに夢中になり
その後の10年間を海で過ごした


奴らの気持ちは痛いほど理解できるし
心から応援している


奴らが本気で滑るのを初めて見たのは
Tommy Guerrero の野外ライブの時だった


正直予想以上にうまかった
私は Tommy Guerrero の演奏はそっちのけで
奴らのセッションに目を奪われた


誰もがそれぞれのレベル限界まで攻め続け
ライブが終わるころには奴らのカラダは
傷だらけでボロボロになっていた


そんな奴らの仲間達で
「TIGHT BOOTH」というチームがある
 
http://www.tightbooth.com/top.html


彼らは大阪のスケーターで
Seekens との交流も深いらしい


先日いつものように LOCAL BOYZ に立ち寄り
何気なくスケート雑誌をめくっていた時
TIGHT BOOTH が載っている記事に目がとまった


奴らの想いを込めた文章をそのまま紹介したい




 短い人生の中で好きなことを見つけ、
それに熱中するってことは素晴らしいことだ。


何にも変える事の出来ない掛け替えのない物
世界には自由を奪われ、人権を無視され、
それでも誇り高く生きようとしている人間はたくさんいる。


その中で俺たち日本人は選ぶ自由があり、
挑戦する自由があり、努力する自由がある。


だから俺たちの人生を豊かにしてくれた
スケートボードにシラケたり、さげすんだりしないでほしい。
自分が心から楽しいと思えることが
スケートじゃないならそれでいい。


俺が言いたいのはちっちゃいことで悩んでても
しょうがないから、もっともっとやりたい事をやりまくって、
それぞれが豊かになって行けば良いと思う。


あともう一つ声を大にして言いたい事は、
あんまりアメリカナイズされんな。


俺たちが国際人として世界に出て行く時は、
絶対に日本人としてだ。


アメリカやヨーロッパで活躍しようが、
日の出ずる国、日本代表だ。


かつてアジア諸国が植民地支配にさらされている時、
俺達の住むこの国は唯一武器を持ち、
立ち上がった国だという事を忘れてはならない。




自分より一周り以上若い彼らの思いが
現在の世の中で燻ぶってうずもれていく事が無いよう
私たち大人がしっかり受け止めなければならないと思う


「今どきの若い奴らは...。」と嘆く大人が多い
しかし私の周りには素晴らしい輩が大勢いる


私が声を大にして言いたいのは....


くだらない事を嘆く暇があったら
しかっり目を開いて大切なモノを見ろ!


そうする事で自分自身もそこに近づくし
「素晴らしさ」を認めることで己も成長する


そこに歳が上であるとか下であるとか
男であるとか女だとかは関係ない


少なくとも奴らはしっかりと天を見据え
シャンと胸を張って生きている


私は奴らを心から尊敬している


当たり前のように明日を待つ人間よりも....

  
  世界中の素敵な奴らへ


 Merry X'mas & Happy New Year !


             フランキーの主人






 2010年が皆様にとって素晴らしい1年になりますよう
お祈り申し上げます


そして来年も GYPSY BROS. を
どうぞよろしくお願い致します。


㈱GYPSY BROS.スタッフ一同

  http://www.gypsybros.com/








フランキーのひとりごと-toshi

2010年


南アフリカ共和国でサッカーワールドカップが開催される


1994年まで「アパルトヘイト」と言われる
合法的な政策で人種差別が行われていた国家である


一方 鉱物資源に恵まれ 金やダイヤモンドの世界的産地であり
民主化後の経済発展も注目されている


南部には「喜望峰」や「テーブルマウンテン」で有名な
ケープタウンという都市があり人口は約295万人


これを日本で例えると
2番目に人口の多い横浜市(350万人)と
3番目に多い大阪市(260万人)の中間に相当する


そしてこの国最大の都市は「ヨハネスブルグ」
ここでは390万人もの人々が暮らしている


同時にここは世界一危ない街である


ヨハネスブルグ中央駅から半径200mは強盗にあう確率が150%と言われ
これは一度襲われて その後再び襲われる確率が50%という意味だそうだ


ヨハネスブルグにおける殺人事件による死亡者は1日平均120人
そのうち約20人が外国人旅行者だという


アパルトヘイトの廃止後 それに伴い居住区の移動制限が撤廃された
中心部に住むことを禁じられていた貧困層の人たちが郊外から移住してきた
また 貧困や戦争などの問題をかかえた周辺諸国からも多くの人が流入してきた


その結果多くのビルが所有者に放棄され 街はゴーストタウンと化した
特に繁華街において多くの企業・団体が郊外へ移転した


それにより昼間でさえ人影もまばらだという


まさに現代版「北斗の拳」の世界だ



ここで下記に掲載した3枚の写真を見ていただきたい



これは「ポンテシティアパート」通称「ポンテ・タワー」と呼ばれる建物で
高さが173mもあり54階建てでアフリカ最高の高さを誇る住居ビルである


サラトガ通りとハロウ・ロードの交差側に面し
ヨハネスブルグを見渡す絶好の位置にある


1975年に建造され マンションとショッピングセンターを備え
当時メディアでは「地上の楽園」と呼ばれ 白人富裕層のシンボルと言われた



ところが・・・・・



アパルトヘイト終了後の1990年代に治安が荒廃したことにより
かつての住民はほとんどが退去してしまった


その後ビル全体をギャングや麻薬密売人などに占拠されて
ポンテ・タワーはかつての地上の楽園から犯罪の象徴となった


窓ガラスは割れ コア部分は5階までゴミで埋まり
現在では「生存15秒の高層ビル」と呼ばれている


これらは本当の話であって少し不謹慎ではあるが
私は高層ビルを乗っ取ってしまうという発想にロマンを感じた


ブルース・リーの映画で「死亡遊戯」という有名な映画がある
5階建ての建物の各階にいる敵を倒して最上階のボスと決着をつける.....


ヨハネスブルグでは......


5階まではゴミの山をかき分け
それ以降 各階にいるリーダーを倒し
ペントハウス(54階)で待ち受ける大ボスを倒す



はたして何回の人生が必要なのか。。。。



5回目?くらいの人生ではポンテ・タワーに行くふりをして
間違いなく海外脱出を企てているだろう


ちなみにこの「ポンテ・タワー」


『ザ・ビーチ』 『スラムドッグ$ミリオネア』etc 監督の
ダニー・ボイルにより映画化が決まっている


* アパルトヘイト政策の終焉後に 
  ソウェトからポンテ・タワーに移り住み
  カリスマ的な麻薬売買を仕切るボスの支配下におかれる少女の話 *


公開日等の詳細は今のところ不明だが
私にとってこの映画は今後見たい映画のNo.1である


2010年 南アフリカが熱い!

 
                   フランキーの主人



フランキーのひとりごと-ponte 1


フランキーのひとりごと-ponte 2


フランキーのひとりごと-ponte 3

大東亜戦争が終結して64年の時が流れた


大日本帝国のために尊い命を犠牲にした
勇敢な方々に改めて敬意を表したい


平和ボケしたこの国で暮らしていると
わずか64年前にすべてを失い
全国民が失意のどん底にあったことが信じられない


その後日本は高度経済成長期と呼ばれる時期を経て
世界一の経済大国へと復活を遂げた


この「高度経済成長期」とは1955年からの10数年といわれている


日本の国土が焼け野原にされてから
わずか10年後のことだ


日本人以外にこの偉業は達成できただろうか.......


そう考えると自分が日本人であることを誇りに思う


一方 思わぬ形で戦争の犠牲になった方がいる


食糧や物資の不足に伴い
夢や希望を失くした人々は
未だ見ぬ大陸に思いを馳せた


「移民事業」


その先は「ブラジル」「ドミニカ」など.....


夢のような うたい文句に
外務省の窓口には応募者が殺到した


15歳以上で数人の家族を構成することが条件だった


豊かな大地での穏やかな生活
家族全員が笑顔で食卓を囲む


わずかな希望だけを一心に抱き
地球の反対側へ向かう船の中で
応募者は例外なくそんな光景を思い描いていただろう


しかし実際は「移民事業」とは名ばかりの
戦後の食糧難に端を発した「棄民政策」だった


アマゾンの奥地に入植さされた人たちは
「広大な大地」というモノとはかけ離れた
「ジャングル」を目にしたとき一瞬目を疑った


酸性の強い土壌は開墾すらできず
「獣」同然の生活を強いられた


さらにはマラリアや黄熱病などの風土病に冒されて
血を吐き 苦しみ もがきながら死んでいった


そんな地獄のような運命を背負わされた人を
「アマゾン牢人」というらしい


終戦の日を迎えた今日
改めて戦争の悲惨さを思いしらされる


戦地で命を落とした方々はもちろん
ちがうカタチで戦争の犠牲になった方々


すべての犠牲者の方々のご冥福をお祈りします


われわれが当たり前に生きている「今日」は
当時必至に生きたいと思いながら亡くなった方々の「明日」


私たちは有意義な人生を送る義務がある


「運命」というモノに翻弄された人たちのタメに.....


      フランキーの主人



* 参考文献 *

 垣根 涼介著 「ワイルド・ソウル」幻冬舎文庫




フランキーのひとりごと

「タクラマカン砂漠」


という砂漠がある


サハラ砂漠に続き
世界で2番目に広い砂漠だそうだ


中国最大の内陸盆地
タリム盆地の中にある砂漠だ


そしてその中国最大の内陸盆地があるのは
「東トルキスタン」という
中国に属する地域である


こんな書き方をすると非常にややこしい


ここには珍しい話がたくさんある


良いことも悪いことも....


まずこの地域には油田がある


タリム盆地全体の石油の埋蔵量は1200億バレルにのぼるとされ
これは世界最大の産油国サウジアラビアの確認埋蔵量の半分にあたる


豊かなエネルギー資源が自分たちの住む土地に埋まっている
それが独占的に漢民族によって開発され
パイプラインや鉄道によって中央に運ばれていく
東トルキスタン住民にすればたまったもんじゃない


この「東トルキスタン」とは
俗に言う『 新疆(しんきょう)ウイグル自治区 』である


先日の大規模暴動では1230人超の死傷者が出た


中国政府発表の死者の数は156人

実際は何人が亡くなったのだろう


平和なこの日本では到底想像できない出来事が
必然的に起こっているところだ


こんな話もある


中国が新疆ウイグル自治区で実施した核実験による被害で
同自治区のウイグル人ら19万人が急死した


急性の放射線障害など甚大な影響を受けた被害者は129万人に達し
その多くの人々が死亡したとみられる


これは札幌医科大学の高田純教授によってまとめられた結果だ


高田教授によると中国の核実験は1996年までに爆発回数で46回


これは広島に投下された原爆被害の4倍を超える規模だという


世界規模で見たら小さなこの地域には
とてつもなく大きな問題がある


テレビやラジオのニュースで得る程度の情報では
この地域にこれまで何があったかが詳しくわからない


民族と民族のあいだにはさまざまな歴史がある


そんな歴史を知れば知るほど
納得できない事実がある事も教えられる


少し話を変えよう


下の写真はウイグル人の少女だという

すなわち中国人の少女だ


この少女が中国人だと言われても
私にはどうしても違和感が付いて回る


しかし


「ウイグル人」と言われれば
それほどの違和感はない気がする


民族同士の対立には
当然の事ながらお互いの言い分がある


この対立しあった2つの民族に
今まで何があったか私には詳しくわからない


もうすぐ日本では裁判員制度がはじまる


先日のウイグル民族による大規模暴動


もしあなたがこの裁判の裁判員なら


「guilty?」


  OR


「notguilty?」


            フランキーの主人



フランキーのひとりごと-guilty

今日 久しぶりにバイクに乗った

天気もよく相変わらず気持ちいい

バイクでぶっ飛ばすと何故かスッキリする


「こんな天気もあと少しかぁ~」


すぐそこには鬱陶しい梅雨が待っている

そしてその前に海外出張がある


その国に住む友人が言っていた

「最近 毎日雨が降っている」と


結局のところ八方ふさがりということ

どこに行っても雨なのだ


私がよく行くその国には「雨季」がある

日本の梅雨とは違い

一日中雨が降り続くことは少ない


毎日一定の時間だけ「水」が降るのだ


前回訪問したときの話....


恐れていた瞬間は突然訪れた


私は無防備にも傘を持っていなかった

もし持っていたとしても

あまり役には立たないほどの水の塊が落ちてきた


運よく私は屋根のある店先にいて

ずぶ濡れは免れた


この国を何回訪れただろう?

20回? いやもっとだ


そんな中でも一番の豪雨だった


通りには水が溢れかえり

あっという間に道路は浸水してしまった

排水の設備が整っていないのか 雨水を処理しきれないのだ


「カオサンロード」という通りにいた私は 仕事の最中にもかかわらず中断を余儀なくされた


なにやら歩道の上で白人が大騒ぎしている

先程までの大雨が地下に流れ込み

行き場を失った数万匹のゴキブリが

30cm程度高くなった歩道に大量発生していた


その横で大きさが20cmくらいある2匹の大ねずみ(しっぽを除く)が

濡れた体を震わせながら恐怖におびえている


いつもは必ずデジカメを持ち歩いているのだが

その日に限って持ってない

運悪くこの光景をカメラに収める事ができなかった


運の悪い事がもうひとつある

私の行き先は通りの反対側にあるお店で

しかもお気に入りのスニーカーを履いている


この灰色の汚れた水には浸けたくない

かろうじて洪水を免れた歩道の上で 浸水した道路を見ながら考えた


どうやって向こうに渡ろうか.....


私の心配はこの一点に絞られた


その時 歩道のすぐ脇に止まっている「トゥクトゥク」を見つけた

「トゥクトゥク」とは この国特有の乗り物で

バイクでもなく車でもない 3輪のタクシーとでも言おうか

観光客や地元の人も多く利用するポピュラーな交通手段だ


通常トゥクトゥクにはメーターなどは付いておらず

直接運転手と行き先に応じて運賃を交渉する


私は靴が濡れるのが嫌で

そのトゥクトゥクの運転手に

「道路の向こう側まで!」と指差して言った


距離にしてわずか7-8メートル


おそらく私にとっても運転手にとっても

乗車距離の過去最短記録であることは間違いない


運転手はOK!と言い50バーツ(約150円)を要求した


この国のトゥクトゥクやタクシーの運転手は 良心的な人とそうでない人がいる

こいつは間違いなく後者だった


しかしこんな事は二度とないだろうと 私は渋々OKした


さぁ出発!と同時に到着


わずか10秒のドライブだった


私が仕事を終わらせて店を出た頃には

何もなかったかのように 通りの水は引き 空は晴れ渡っていた


仕事とは言え 旅にはいろんなトラブルがある

今回は150円という大金で 難を逃れる事ができた


先程の雨でびしょ濡れになった人を見ながら

こんな言葉を思い出した


「太陽の日差しに微笑む人より、どしゃ降りを歩く人が好き」


少し前に読んだ本にあった一説である


すごく共感できる言葉ではあるが


この文章から連想するのは


「雨季」ではなく「梅雨」のほうだ


先程の雨など 夢の中の出来事 と言わんばかりに

雨上がりの湿った空気の立ち込める通りは

人と音楽と微笑みで溢れかえっていた


                         フランキーの主人





フランキーのひとりごと-カオサンロード





誰にでも大好きな歌があると思う


ロックなのかレゲエなのかジャズなのか
ジャンルや曲調はさまざまだろう


歌の「テーマ」もいろいろある


ラブソングにはじまり反戦歌まで
あらゆる事が音楽のテーマになりえる


その中でも一番多いのがラブソングだろう


多くの人が自分の恋愛に重ね合わせて
幸せや悲しみを実感する


過去の恋愛を振り返った時にも

当時の音楽と共にその恋愛がフラッシュバックする


そんな経験が誰にでもあるだろう


私はさほどラブソングには興味がない


そんな私でも

好きなラブソングが何曲かある


そのひとつは ちあきなおみの「喝采」


この歌は本人の実際の恋愛を唄った曲だそうだ

歌詞の中に出てくる「つたのからまる白い壁」
というフレーズがあるが


この恋愛の舞台は倉敷の町らしい


好きな男性への想いをふりきり
歌手という道を選んだ女性の気持ちを唄った
素敵な曲である


そして私が一番すきなラブソングは


 スローバラード


『昨日はクルマの中で寝た
  あの娘と手をつないで
   市営グランドの駐車場
    ふたりで毛布にくるまって』


メロディーの美しさと清志郎らしい歌詞
若い頃の純粋でひたむきな感情がストレートに入ってくる


間違いなく時代を越えて唄い継がれるべき歌だ


最近は CD が売れないらしい


一時は「ミリオンセラー」という言葉をよく聞いた
しかし現在は10万枚さえも難しいという


そんな時代の中で


売れる曲の条件は決まってCMやドラマのタイアップ


ヒットメーカーは15秒のスポットCMへの起用を想定して
サビの部分が10秒前後になるように曲を創るらしい


はたして音楽とはそんなものなのだろうか


「売れる」事を最優先に創られた歌が
聞く人に何かを残すのだろうか


それは音楽の世界だけにとどまらず
あらゆる世界に共通して言えることかもしれない


この何日か雨が続いた


たいした用事もないのに
夜になると車を走らせ音楽を聴いた


何度も涙をこらえた


大好きなヒーローの歌を聞きながら


ロックンロール万歳!


ありがとう清志郎!


                フランキーの主人




フランキーのひとりごと-hero