例えばこんなことありませんか??




何もわかろうとせず、いつもうるさい上司

仕事が出来ないのに文句ばかり言う部下

労働の割に給料が少ない

休みなのに仕事の電話

日々淡々とこなしている業務、

こんな仕事をしたいわけじゃないのに・・・しょぼん



いくらでも出てくる仕事の愚痴。



特にお酒が入った時には誰かに聞いてもらいたいのに
気がつけば、いつも誰かの相談に乗ってしまっている。

そんなことありませんか??



ぼやきたい。愚痴りたい。誰かに聞いてもらいたい!!



だけど誰にでも簡単にいえない愚痴。
愚痴って案外みんなから嫌がられるんですよね?



そんなことを考えて考えて考えて。


結局、今週も誰にも言えず、

悶々と溜まる事はあっても一向に減っていかず、
月曜を迎えてしまった・・・。

な~んていう事ありませんか?ショック!



だけどふと思いました。



愚痴って本当に悪いものでしょうか?



大げさにいえば、

何かを変えたいという心の叫びだと思っているのです。



もし、

その心の叫びを活かすことが出来た時、どんな変化に繋がるでしょう?




な~んて、べーっだ!


熱く書いてみましたけれど、全く堅苦しい場ではなく



愚痴を前向きに面白おかしく語り合い


次に繋げていきましょうという、きっかけ作りとして


「前向きな愚痴を語る会」という対話の場を開催したいと思います。

ぜひ一緒に面白おかしく語り合いましょう。ニコニコ



といっても、愚痴の取り扱いは大切だと思っていますので

安全な場にする為、いくつかのルールを考えてみました。



①ニックネームでの参加OK

②愚痴に対して、

<否定><批判><誹謗中傷>は言わない

③守秘義務を大切にする



このようなルールを守っていただける方は、

日時:3月26日(土曜日)



時間:19:00から21:00

場所:姫路駅周辺のお酒の飲めるところを予定しています



参加飲食会費:2500円から3000円以内で探します



参加人数:15名



お名前と呼ばれたい名前を記載し

下記アドレスに連絡ください。




申し込み先  



Gypsystyle 川崎信明 (かわやん

asobitomanabi@gmail.com   (遊びと学び)@ジーメール

ぜひ一緒に面白おかしく

前向きな愚痴を語り合いましょう。



ひとつ想像してほしい。


生まれた赤ん坊を一歩も外に出さず

ベビーベッド周辺におもちゃを置き育てたとしたら

どんな子供に成長するだろうか??


保育所に行くことになっても

同じ歳の子供ばかりを集めた教室にいれ

行き帰りは車で送迎。

どこに行くもの親と一緒。


さて、どのような子供に成長していくだろうか??



実はいまペットとして飼われている

多くの犬達はこのような状況になっている。




ペットは衝動買いするものではない。




今回お話を聞かせてくれたのは、設立からずっと活動されている

理事の川崎千里さん。





お話中、動物を飼うという行為については話されていたことが

とても印象に残った。



ペットショップのショーウインドウに小さな子犬がいたとする。

その動きやしぐさをみて、かわいいと思い欲しくなったとする。

そして何度も何度も訪問し、家につれて帰ってくる。


この一連の流れは、商品を買う行為にとてもよく似ている。

何度も訪問せずに、衝動買いすることもあるだろう。


もし、思ったことと違う場合、商品はどうなるだろう。

たんすの中に入れっぱなしになるか、人にあげたり、捨てたりされる。



今回衝動買いしたものは、命のある動物。

ショーウインドウにいる子犬を見て、「かわいい!!」と思って

もし仮に衝動買いをした飼い主はどうなっていくのだろう・・・。


最初はかわいくても大きくなる犬達。

犬は食事をするし糞もする。

ワクチンを摂取しお金がかかる。

吼えるし、毛は抜け、へんな噛み癖もつく。

当初かわいいと思って飼ったのに大きくなっていく。

部屋を散らかすからといって部屋の中なのに檻に入れる。

そして動物なので成長と共に発情し、子どもを作ることもある。

そんな状況に次第に愛着がなくなり捨ててしまう。


動物を飼うということは

そういうものを一切を受け入れる覚悟が必要なのだ。

捨てられる動物達の大半は、飼い主の勝手なエゴから始まる。

「こんなはずじゃなかった・・・」

飼い主の思っていたことと違うという条件で捨てられてしまうのだ。

ただかわいいという思いで飼われた犬達は

どうなっていくのだろう??


最近のニュースである人間の場合でも

同じことが起こっていないだろうか??





この団体ペッツフォーライフジャパン(PFLJ)の活動のひとつとして


しつけ教室・・・犬と飼い主のコミュニケーション

飼い主とのふれあいを大切にし褒めて育てる訓練をしていきます。

犬はもともと悪い子ではなく、飼い主が育て方を知らないために

いけない子になっていく場合が多い。





保育園・・・犬同士が共に同じ場にいることで噛み方などのコミュニケーションを学ぶ

人間でもそう、色々なことは年上に教えられたものだ。

犬同士でも年上の犬達と触れ合うことで、犬同士のルールを自然に学ばせている。

たとえば、じゃれて噛む場合も子犬の時には

どれくらい力を込めていいかわからないんだそう。

それを年上の犬に叱られて力の込め具合を覚え、

人間に対しても噛み癖がなくなるんだそう。





里親制度

捨てられたり虐待されたい犬を保護し、癒し、しつけをし

新しい飼い主を探す支援をしている。





去勢と避妊手術の啓蒙。


余談だか、

うちの家に最近やってきたマルチーズのオスを去勢することにした。

避妊をすることで、

病気にかかりにくくなりマーキング等の問題も抑えられるそうなのだが


とても無邪気な犬がおとなしくなり性格が変わるかもという思いから

しばらく可哀想で仕方がなかった。


飼い主のエゴで手術をさせてごめんと謝ったものだが

手術後も元気で走り回り結果的に良かったと思ったものだ。

飼い主のエゴってすごいね。



そしてPFLJの活動を支援しているペットショップがあり

ここではショーケース販売は一切して折らず

飼い主との面談

飼い方

家の規模などをきき、その後きちんとしたブリーダーから犬を斡旋するんだそう。


ブリーダーの中には、

強引に生ませtるため病気のままペットショップにつれてこられる場合があるんだそう。

これもすべて飼う側にも責任があることだと思ったりする。


犬も命ある家族。

そんな家族に一員である犬を大切にできないで

人間社会に対して優しい気持ちになるだろうか??





PFLJはさらに犬達を通して

優しい社会になっていくような活動を提供している。



それは次回以降書いていこうと思う。






取材協力


特定非営利活動法人  ペッツ・フォー・ライフ・ジャパン<PFLJ>

西宮市段上町7丁目1-35 松本ビル1

事務局TEL   0798-57-3717(10:00~17:00)

http://www.pflj.org/






39万5千(2004年度調べ)



この数字が何かわかるだろうか??




この数字は、一年間で犬が保険所で処理された数らしいのだ。

ここには猫は含まれていない。


なぜこんな数の犬や猫達が処理されるのだろうか??

この動物達は、どこから発生したのだろう??


アメーバーのように増えたのだろうか??

それとも季節とともに、芽が出て育ってきたのだろうか??


そんなことはありえない。


この処理された動物達の大半は人間達が一度飼い

そして言葉は悪いが、廃棄した結果起こったことなのだ。


犬や猫の話をしたが、映画で豚が流行ると豚を飼う人が増え、

そして保険所で処理される豚も増える。

流行のトカゲがテレビで登場すると、そのトカゲを求めてペットショップに向かう。

そして、道端でトカゲを保護したというニュースが流れるのだ。



人はなぜ動物(ペットを飼うのだろう??)

そして捨てる人はどういうことが起こっているのだろう??


今は自分のお腹を痛めた赤ちゃんでさえ廃棄する。

これは、もしかして共通した出来事ではないだろうか??



今回取材したのは、動物福祉団体の「ペッツ・フォー・ライフ・ジャパン」(PFLJ)

こちらでは特に犬を保護し、里親を探す事業を行っている。


わたしは設立当時からこの団体のことを知っている。

色々なご苦労も知っている。

そして少しずつ思いを形に作り上げてきた。


今行っている事業目的は、単に動物保護という枠ではなく、

「動物を捨てる」ということを簡単にしてしまう人間が存在している社会から、

隣近所が挨拶し気に掛け合えるような優しい社会を作ろうとしている。


その手段の一つとして、身近にいるペットを通して伝えている。


今回の取材記では、この団体の活動の内容・思い・将来のこと

そんなことを伝えればいいと思う。





取材協力


特定非営利活動法人  ペッツ・フォー・ライフ・ジャパン<PFLJ>

10/15時点、事務所移転中のため新住所変更中。

電話、FAX  0798-57-3717

http://www.pflj.org/





最初から読むにはこちら から


ホスピス編の完結。

半年にわたってホスピス取材記を掲載してきた。

当初は、

2ヶ月ほどですべて書き上げようと計画していたのだが

書けば書くほど、死生観というテーマで自分を見つめる。

本当に大切な大切なテーマとなった。

自分はどう生きるかを日々見つめるきっかけになったように思う。


取材に当たって一日対応していただいた山本先生をはじめ

スタッフの皆さんに改めて感謝いたします。

ありがとうございました。






明日の朝、自分はもうこの世にいないかもしれない。

明日の朝、自分の大切な人がいなくなるかもしれない。


こう思って生きている人は、どれくらいいるだろう・・・。


一日を悔いなく生きる。

そのために自分はどう生きるか。


ホスピスを取材して、

死を考える場所ではなく、生を考える場所なんだと思うようになった。


大切な時間を日々悔いなく生きる。

そして生きようとしている人にかかわる。

同情ではなく、今できることを互いに助け合って行う。

だからこそ笑顔がこぼれるのだと思った。



私は取材前、ホスピスというのは

デイホームのような施設で、みんな死を受け入れたうえで

共同に生活しながら余生を過ごしている場所だと思っていた。



しかし訪問して見たのは、

ほとんどの人がベッドの上で一日を過ごしている。



本当はみんな死をも感じさせずに暮らせている場所になることは

理想なんだそう。

しかし多くの人は、悪くなってからホスピスにやってくるのだそう。

寝たきりになったら、自分を見つめてどう生きるのかを考えても

身体が動かない・・・。


本当は元気なうちに死を見つめてほしい!!

と先生はおっしゃった。


看取りをしたくない家族にとって

ホスピスというのは姥捨て山といった場所ではなく、

双方が

ゆっくり自分達の今後を見つめる施設と考えればいいように思う。

つまり人間はすべての人がホスピスという世界の中で暮らしている。

それを改めてゆっくり考える場所として

施設としてのホスピスが存在しているに過ぎないのだと感じることができた。


自分を見つめた末期の患者さんは、自宅に戻っていき、

同じように見つめた親族は、

看取りまでの時間をどうかかわっていくのか考え続ける。

互いの残りの時間を在宅ですごし暮らしていくのだ。


この「希望の家」の最大の特徴は、在宅に戻った人の継続したケアも行え、

また入院に戻ってくることも自由だということだ。

先生は在宅での看取りの大切さを発信されている。


この「希望の家」は、新しい形のホスピスを発信し続けているが、

ヨーロッパには、ナーシング・ホスピスという概念があるんだそうだ。

看護師さんと患者さん数人でウィークリーマンション型の生活をし

医師は往診のみらしいのだ。

先生の目指すホスピスは、家のようになりたいのだそう。


しかし、医師と看護師がいる限り家にはならない。

どうしてもお世話になっているという気持ちが発生してしまうらしいのだ。

きっと、これからも先生は日々見つめ続けていくのだろう。



取材中、先生の夢・思いを聞かせていただいた。


先生の夢は、

「もう病院に来なくてもいいよ」といえる医者になりたいんだそう。

そして、将来は病院を無くしていきたいんだそう。

病院は治すところ。

本来病院を作る目的は、社会に喜んでもらえるためのはず。

しかし

医療行為が人を幸せにしないケースもあるんだと教えてくれた。

その見極めは難しいけれど、治療できてもやらない。

本当にその人にとって必要なかかわりは何かを考え、目指していく。

それを受け入れた患者は、自分の意思で立ち上がり自立していく。


何もかも医者に依存する必要なんてないんだと

言えば自分の存在をなくすことを夢として持っている先生は

心の底から人のことを考えるお医者さんだと思った。


話の途中、目的のないお医者さんもいるのでは??と質問した。

その質問に対して、先生が教えてくれたことは

医者の中にはお金を選択する人もいて

医者という立場で安心したい人もいるんだそうだ。

だから国家資格なんてなくせば、本物の医者が残るのに。。。と

いってくれた言葉に、なるほどな~と思うことができた。



さらに話は続く。



病院がないと不安という世界より

病気になっても不安じゃないよといえる世界でありたい。

病院があれば患者が増える世の中。

これは本当におかしい。

だから病院なんてない世界になればいい。


そして将来は

みんなが目的を持った生き方ができるように

社会を変えたい。


先生の思いは私の思いと似ていて

取材しながらとてもうれしくなることができた。




今回ホスピスという現場を取材させていただいたが

本当に訪問して良かったし、

その後の人生を考える上で大きな影響をもたらした。


この取材記を読んでいただいている人に考えてほしい。


あなたはどのような人生を送りたいと思いますか??

そのために、これから何をしていきますか??


元気なうちに自分を見つめ与えられた使命を全うすることは、

やはりこの世に生まれた責任だと思うし、

時代を作ってくれた人たちに対する恩返しであるし

後世の人たちに対する義務だと思うのだ。



ぜひ見つめてほしい。


あなたは誰ですか??

何のために生まれてきたのでしょう??



・・・。






取材協力


はやしやまクリニック 希望の家

〒654-0121 神戸市須磨区妙法寺字薮中1242番地
TEL 078-747-5335 FAX 078-747-5340

http://www.wataboushi.net/kibounoie/index.html





次回予告


ペットショップでかわいいと買った(飼った)犬や猫達

躾がうまくできなく捨ててしまう人たち。

捨てられたペット達は・・・


「犬から社会福祉を伝える人たち」

最初から読むならこちら から。


あなたがイメージする自立している人とは、どんな人でしょう??


それはどのような部分から感じますか?


では、あなたは自分のことを自立した人だと思いますか?


いったい自立ってどんなことなんでしょうね??




前回の記事で最後に書いた、院長先生の言葉をもう一度書く。


「私たちは何もできない」


この記事を書いていく中で、この言葉の中に自立の本質があるように感じた。

これは相手を思う自立した考え方なのだ。



自立に対して、ひとつ具体例を挙げていただいた。

AMDA (アムダ)という日本版の国境の無い医師団があるそうだが

このNGOは災害があると、最初に現地に入り、最初に戻ってくるのだそう。


何をするのかというと、

現地の人たちでもできるんだよという道しるべをつけ、

地元主体の復興を促す活動をしているそうだ。



さてホスピスに話を戻す。

「ホスピスで自立を言うのは難しいのでは?」

と、先生に尋ねた。


先生が言うには、

ホスピスは医療ではないので、本当は何もしたくないんだそう。


昔の家(たった40年ほど前)、死を受け入れた家族たちは、お別れ会をし

そのまま食事が減りながら亡くなっていく、自然死を向かえていた。

それが医療が発達したお陰で、

死を迎える人と残される人の双方が、死と向き合えなくなってしまったそうなのだ。

「医療なんてないほうがいい場合もある。」

先生は加えていった。

延命は苦しみが生まれ、最後は苦しんでいく人も多いのも事実なんだそうである。



パート① で、どこで死にたいか?という質問をした。

・病院の中で延命をして亡くなりたい。

・またはホスピスで亡くなりたい。

どちらにしても、

どこで死んでいくかを考えたときの手段のひとつなので、

自分の望む場所で最後を迎えればいい。


しかしホスピスに来る人の中には、

仲間がいるからといって入所する人もいるんだそう。


数ヵ月後に迫った死を受け入れていなく怖い。


そんな怖い・痛い・寂しいなどの気持ちを共有できる仲間がたくさんいる。

自分の気持ちをわかってくれるスタッフもいる。

そういう思いをもって来る人は、どうだろう??


どうしてもホスピスに依存した思いを持ってくる。

これは自立した状態だとは、思わないのだ。



そして、延命治療のために病院に入れる家族の中には

自分の家族の死を看取ることが怖いからだとおっしゃっていた。

これも自立した状態ではないと思うのだ。


私は当初。高度医療を受けさせることが親孝行だと思っていた。

以前新聞で見たが、末期患者の本心とは違って

親族によって病院に入院させられてしまうのだと。


死を認めたくない患者

死を看取りたくない親族


もしこの関係のまま一生を終えるとどうなるのだろう??



先生はおっしゃった。

「亡くなる人は、残された人に何かプレゼントがあると思っている。

そして看取る人は、そのプレゼントをきちんと受け取らないといけない」


つまりプレゼントを渡すためにも、

自分のおかれた状況をきちんと受け入れること。

死を認めること。


そして受け取るためにも、相手の死を認め看取る覚悟を決めること。


その双方の気持ちが必要なんじゃないかと思った。


結局どんなことも、

自立というのは、自分を知り、認め受け入れることから始まるように思う。


そして認めるからこそ、自分にできることを常に考え続け

そこから自己責任という気持ちが芽生え、

自分にできないことに対して素直になることができるように思った。



一人でゴールを目指すのではなく

お互いに気に掛け合い、ゴールを一緒に目指せる人が

本当の意味で自立した人なのかな?と思った。



最初に書いた

「私たちは何もできない」

この思いは、まさに己を知り、だから何をしていくのかを考え続ける

自立した考え方なんだと思った。



次回、約半年かけて大切に書いてきたホスピス編完結です。

まとめと、今後のホスピス、先生の思いなどを書いていこうと思う。


続く




取材協力


はやしやまクリニック 希望の家

〒654-0121 神戸市須磨区妙法寺字薮中1242番地
TEL 078-747-5335 FAX 078-747-5340

http://www.wataboushi.net/kibounoie/index.html




パート①から読むならこちら から



さていきなり質問です。



あなたは同情という言葉から何を想像しますか??




そんなあなたは、過去何かに対して、同情したことはありますか?


また誰かに同情された出来事はあるでしょうか?



同情するって、一体どんな感情が発生しているのでしょうね??



ここから先は、私の勝手な解釈なので許して欲しい。


同情するというのは、

どこか自分の中で比較が生まれていないだろうか??

他人と比較したとき、すこしだけ自分の中に安堵感を持った場合、

同情という感情が発生するのかもしれない。


本当に勝手な解釈なので許してほしい・・・。


例えばで書くと、

ホームレスの人を見て可哀想と思った人がいるとする。

そのホームレスは、とても健康で、心が綺麗で、たくさんの友人がいたとしても

姿や経済的状況を見て可哀想と同情した感情を持ってしまったのなら、

同情した人は、全体を通してホームレスをしている人の

素晴らしい部分を見つけることはできない。


同情は人の素敵な可能性を見逃す感情だと思うのだ。


同情というのは、ある種自分勝手で、自分が自己満足するための

エゴに似た感情に似ている。


こういった同情で人に接した場合を想像して欲しい。

同情したあなたは相手に対して笑顔で関わることはできますか??



もしホスピスという場で、

同情するという感情を持ってしまうとどうなるのだろう??


<同情するなら金をくれ!!>という名ゼリフが昔テレビドラマで使われた。

ホスピスで同情したのなら、

あなたの命をあげるのですか?と言われても躊躇してしまう。


同情からは何も生み出されないし、提供することはできないのだ!!!


余談だが、

私は現在、光すら感じることのできない青年の持つ笑顔の価値を

多くの人に分かち合えるようお手伝いしている。


最初のセッションで、その事実を知ったとき、0.1秒ほど同情した。

しかし、私が眼を治すことはできない。

私の眼を差し上げるわけにもいかない。


相手は同情されたいと思って私のクライアントになったのではないのだ。

相手を受け入れることと同情とは異なる。

そんな気持ちを持つことになった。


私が彼にできることは、彼が何を望んでいるか知ることであり、

彼の思いに対して、私はどのようなお手伝いができるか。

一緒にどう作り上げていくか。

そんな関りのほうが大切なんじゃないのかと思った。





院長の山本先生はおっしゃった。


死とはコントロールできないもの。

そのコントロールできない死でさえ、人はコントロールしようとする。

それが延命であるのだと。


治す事を考えてホスピスに来られる人もいるんだそう。

生きることにこだわっている人がホスピスに来られても

できることには限度があるんだそうだ。

(ちなみにホスピスには人工呼吸器すらない。)


ホスピスのできることはなにか??

ホスピスでは延命ではなくどんな風に生きるかを大切にしている。



ホスピスの世界は、日々何をしたいと望んでいるのかを知ることと

患者さん自身が自分にできることは何か?を考え

そのためにスタッフは、

どんなお手伝いができるのかを考え続ける場なのである。


ただ身体に痛みがあると、何をしたいのか考えることもできない。

だからこそ痛みを和らげる緩和療法は、ひとつの手段になっているのだ。



スタッフの人は、患者さんに問いかける。

何をしたいですか??


・アイバンクに登録したい

・何かボランティアをしたい


残り少ない時間をただ何もせずに過ごすのではなく

残り少ないからこそできることを一緒に探す。


住所録の整理も患者さんと関り続けたからこそ出てきた

患者さんの望みなのだろう。






延命治療を受けないという決断をして、ホスピスにやってきたということは

残りの時間をどう生きていくのかを考える決断をしたということ。

どういう死を迎えたいのかは一人ひとり異なる。

最後までトイレに一人で行きたいという人もいる。


どういう死を迎えたいのかを見つめる場がホスピスであり

その一人一人の望むことを大切にするのもスタッフの役目なのである。


さらに山本先生はおっしゃった。


私たちは何もできない。

・・・これがホスピスの原点なんだそう。



ここには、自立というキーワードが存在し

ホスピスのあるべき姿へと繋がっていく。



続く





取材協力


はやしやまクリニック 希望の家

〒654-0121 神戸市須磨区妙法寺字薮中1242番地
TEL 078-747-5335 FAX 078-747-5340

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パート①から読むにはこちら



あなたは最近、心のそこから無邪気に笑ったことがありますか?


それはどんなときですか?


笑顔でいられる時って、どんな状態なのでしょう??



さて、さらに質問は続きます。


もしあなたに対して余命を宣告されたとしたら、

あなたは笑顔でいることはできますか??


また、あなたの大切な人に余命宣告が告げられたとしたら

あなたは笑顔で関わることができるでしょうか??



私は、すべての人が無邪気さを持って、

自然体に生きて欲しいと願っている。

人が笑顔になるために、どうすればいいのかということに対して、

ありとあらゆる視点で関わっているので、

いわば、「笑顔屋さん」を自負しているのだが、

その私が、このホスピスでは

心のそこから笑うことのできない一日を体験した。



ホスピス、「希望の家」に到着後、一時間も経たないうちに

患者さんのお見送りを体験した。

このことは、自分の訪問した場所が

死と常に隣り合わせの場所にいることを実感させることになる。


お見送りでは、家族の方が来られ自宅につれて帰る。


山本院長にお聞きすると、

年間約180人の患者さんの看取りをされるそうだ。



これまで、自分はどこで亡くなりたいか?

そんなことは、一切考えたことは考えたことはなかった。

しかし

人生の最後を意識したとき、

どのようにビフォー・ダイをデザインしていくのかは

本当に大切なことだと思った。



どこで死を迎えるか・・・。


ホスピスに入ると決めた患者さんの中には

さまざまな葛藤があると思う。

余命を知りホスピスに入院し、

延命治療をしないと決めたにもかかわらず、

やっぱり認めることのできない人たち。


時々陥る不安。

ここでは瞑想室なるものも存在している。





その患者さんに対して、

言い方を変えれば、数ヶ月後には必ず亡くなる人たちの

最後を看取ることになるスタッフの人たち。


先ほど書いた、私は心のそこから笑うことのできない中

スタッフのみんなは、本当に明るい。

彼らの出す空気が、希望の家を包み込んでいるように感じる。



彼らはなぜ、この優しい空気を作り出すことがができ

余命わずかな人たちに対しても、笑顔で接することができるのだろうか?



余談だが、

私はクラウンとして、今後、入院患者、海外の戦争孤児、

そして難民キャンプで生活している人達たちのように

笑顔を二の次にしている人たちの抑圧を

解放するために活動して行きたいと思っている。


でも先は長い。。


先だってクラウン仲間が、難病患者のお宅にクラウンとして訪問したときに

患者さんの状況を目の当たりにして、圧倒されたと言っていたことを思い出した。

笑顔を提供し、自分自身も自然な笑顔でいるということは、

簡単なようで深いことなんだと知ることになる。


そんな素敵な笑顔を

死という究極の恐れを持っている人たちの前で出すことのできるスタッフは、

本当にすごいと思った。


そのスタッフの一日は、朝のミーティングから始まる。

交代前の申し送りでは、患者さんの会話や願いをシェアしあう。


私は病院の看護婦さんたちの申し送りの現場を知らないので

比べようがないのだが、このホスピススタッフの申し送りは

とても愛を感じることができた。


どの患者さんが、どんなことを言っていたか

何を望んでいるか。

時には言動や行動を思い出しながら、笑っている。


何で笑えるのだろうか。。。


そして午後からは、一人ひとりの患者さんのために

どのような関りをしていくかを、真剣に話し合う場が設けられる

ミーティングをしながら、患者さんのことを思い出しながら

笑顔と優しい空間を形成し話し合っていく。





この笑いの奥そこには、

一瞬一瞬を大切にする。


この思いに行き着くような気がし

ホスピスの根っこのようなものを感じたような気がした。



続く~




取材協力


はやしやまクリニック 希望の家

〒654-0121 神戸市須磨区妙法寺字薮中1242番地
TEL 078-747-5335 FAX 078-747-5340

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この記事は続きものです。最初から読むにはこちら



前回からの続きを書く前に・・・

本業でのクライアントさんとのやり取りを紹介する。。


私はこのクライアントさんに対して、

素晴らしい可能性と大切にしてもらいたい個性を認めていた。

しかし彼から出る言葉は、自分を認められず、存在を否定する言葉ばかり。


「○○って、いったい何のために生まれてきたん??」

私は、こう尋ねた。


彼は、 「さぁ??分かりません。」

こう答えた。


「ふぅ~ん、じゃぁ、○○なんて、

別にこの世にいる必要なんてないんと違うの??


私は相手を思うあまり、時に感情を焚きつける問いを投げることがある。

もちろんお互いに関係を作りあい、

信頼関係もあるからこそ出せる言葉なのだが、普段温厚な私から出た言葉に

彼は驚きとともに、怒りとか悔しさとかさまざまな感情を私にぶつけてきた。

そして、この質問の後のセッションは本音の彼の言葉が聞け、

彼の中に人生について真剣に考えるスイッチが入った。

その後の彼は、驚くほど毎日の行動が変化した。



前置きが長くなったが、

私が彼に投げた質問。「あなたは、何のために生まれてきたの??」

この問いに対して、

いったいどれだけの人が、真剣に考えているだろう??


「若いうちは言われたことだけをしていればいいんだ、わからなくていい。」

こういって、ただ毎日を過ごし続けている人。

そんな暮らしをしながら、人生の役割を見つける人もいると思うが、

最後まで自分の生まれた目的を考えることもなく

この世から存在がなくなってしまう人も多いのではないかと思う。


今回ホスピスを訪問して感じたことは、

やはり人生は流されてはいけない!!、こんな思いが湧き上がってきた。



さて、ホスピスとは、一体なんだろう??

辞書によると

末期癌(がん)患者など死期の近い病人を対象に、

延命処置を行わず、身体的苦痛を和らげ、

精神的援助をして生を全うできるように医療を行う施設。

1967年ロンドン郊外にできたものに始まるが、

中世ヨーロッパの教会で病人や巡礼者を泊めたことが起源。

つまり、生に執着せず、死を受け入れ、

残りの人生をどのように生きていくのかを考える場所なようである。



さて最初に書いた、クライアントさんとのやり取りを思い出して欲しい。

明日もこのまま行けば元気に生きている。

そんな、あなたに質問です。


この世に対して、あなたは何のために生きているのでしょう??

そして、あなたは、残りの人生をどう生きていくか考えていますか??


ぜひこの問いを持ちながら

特に次回以降から書いていくこと見つめて欲しいと思う。




今回訪問を許していただけたのは、はやしやまクリニック「希望の家」


理事長は梁 勝則先生

梁先生は、日本ホスピス在宅ケア研究会を設立され、

さらに自殺者の遺族に対してのケアなどの活動もされている。

実はこの取材を行って初めて知ったのだが、

自殺をする人にも色々事情があるが、残された遺族には、

「自殺を止められなかった」「縁起が悪い」―。

こうした批判や偏見のため、社会の理解をなかなか得られず、孤立化し、

悲しみを抱え込みがちになり、複雑な心境に陥ることが多いらしいのだ。

世界で二番目に自殺者の多い日本。

ついつい忘れがちになるが、これからも生き続ける遺族へのケアは

重要な問題だと思った。


この生と死を常に考え

大切にされている梁先生が設立されたのが、「希望の家」


そして、この希望の家には、患者さんの残り少ない時間を大切にし、

患者さんが、最後までどういった生き方を望んでいるのかを

一緒に考え実行するサポートチームが存在している。

そのチームをリードされているのが院長である山本 篤先生である。




実は山本先生は、まだ40歳を迎えていないのだ。

まだ若く、ホスピス運営者として最年少だといえる先生が、

どのような思いをもって死と生を常に見つめ続けているのか

今回は山本先生のお話から知ったこと、

気づいたことを中心に皆さんに伝えていきたいと思う。



希望の家の概観



こちらでは、一階がホスピス。

2階がグループホームとなっている。

老人ホームとは違い、お年寄りたちが共同で生活していける場所。

通常老人ホームのような施設では、末期患者となった老人は転送される。

しかし、ここでは集団生活を送っている老人たちが病気になり

最後を迎えることになっても、移動せず

ここで看取りをすることもできるという特色がある。


HPより引用する理念は


(1)継続ケア
在宅でお過ごしの患者様に対して、

臨終期の看取りのための入院や痛みや苦しみが起きたときの緊急入院、

また介護されているご家族の休息のための入院(レスパイトケア)が、

スムーズに行われます。

また、必要に応じて、病院→在宅、病院→施設、在宅⇔在宅への

橋渡しのためのメディカルショート入院 にも対応いたします。


(2)対象疾患の拡大
がんのみならず、その他の難治性疾患のターミナルステージも受け入れます。


(3)看護専門職の役割評価
高度な専門職として育成された看護職が中心的な役割を担います。

医師は看護職をバックアップし、全体的な最終責任を担います。


(4)チームアプローチ
医師、看護師、介護職、

その他全ての職種が対等な関係で協力して患者様ご家族様をケアいたします。


(5)精神的ケアの充実
患者様を子ども扱いせず、

最後まで尊厳に満ちた自立的な存在として丁寧に接します。

そのために接遇マナー、コミュニケーションスキル、

スピリチュアルペインへのカウンセリングなどの継続教育を行います。

ご家族の方にも適切な精神的サポートを行います。



すごく長くなったが、この理念がどれだけすごいことか、

そしてこの理念を受けて、

患者に対して、どのようなかかわりをしているか、スタッフの思い、

延命を受けないということ。患者と親族の思い。

たくさん伝えたいことがある。

いよいよ次回以降、確信にふれていくことにする。


キーワードは笑顔。


死という重い空気でなく、笑顔に満ち溢れた場所だったのだ。


~続く~


取材協力


はやしやまクリニック 希望の家

〒654-0121 神戸市須磨区妙法寺字薮中1242番地
TEL 078-747-5335 FAX 078-747-5340

http://www.wataboushi.net/kibounoie/index.html




前テーマ「過疎と戦う人たち」 は、こちらから




さて一つ質問です。


あなたの命が、もしあと数ヶ月と宣告されたのなら

あなたはどのような気持ちになりますか?

そして、その後をどのように生きていくでしょう?


あなたには大切な人がいますか??

その、あなたにとって大切な人が、

もしあと数ヶ月の命だと診断されたなら

あなたは、どんな気持ちになるでしょう?

その後を大切な人と、どう過ごしていきますか?



すべての命は、生まれたときから死に向かって進んでいる。

いえば、いま生きているということは、

どう死んでいくかをデザインしているともいえる。


しかし死というのは、非常にデリケートで

簡単に口に出していはいけないものだと教えられてきた。

その結果、どうしても怖いものだという意識が離れないようになった。


死が怖い。。


それは、今に始まったことではなく、

秦の始皇帝が、不老不死を求めていたことは有名だし

シャーマンによるお祈りから発展した占いもそうだろうし

医療の発達、未知の物質を研究し続けた薬学の発達も

すべて、死を恐れ「生」に執着したことによる結果だろうと思う。



さてもう一つ質問です。


あなたは、どのような死を迎えたいですか??



・最先端医療を駆使し、できる限りの治療を受ける、

その結果、命の限界を追求していくが

最後は病院の中でチューブに繋がれたまま亡くなる。


・交通事故、災害に巻き込まれて、考えることなく一瞬で亡くなる。


・残りの時間を家族とともに大切に使い、その家族に看取られる


どのような死を迎えるかを考えることは、

どのように生きていこう、と同じくらい大切なことだと思う。




実を言うと、私は、多くの人に遺書を書くことを提案している。

遺書というと重たく感じるので、ラストメッセージという言葉にしよう。


いつ自分は、この世からいなくなるか分からない。

今夜眠りにつくと、明日の朝、眼を覚まさないのかもしれない。


・・・。


ただ、そんなことをいつも考えて生きている人は少なく、

多くの人は明日も自分が生きているという前提で目標を立てる。

しかし実際には、それは全く根拠のないものでしかないのだ。メラメラ


もし自分も予想できない、突然死に直面したとき・・・

亡くなるあなたは、当然悔いが残ると思う。

しかし残された人は、さらにどんなことを感じるのだろう??



「何か私達に伝えたかったメッセージがあるのかもしれない。」

こんなことを残された人が考えないといけないのは本当に辛いこと。

残された人に、一生未完了な気持ちを持たせていいのだろうか??


だからこそ、常に多くの人に伝えたい言葉を書き持ち歩くことは、

残された人に対する、最大限の思いやりなのではないだろうか??


・・・なんていう思いをずっと持ち続けていた。



そこで今回は、その死と常に向かい合い、

残された時間をどう生きていくのかを大切にしている場所である

ホスピスでの一日密着取材をお願いした。


この取材を通して、どんな発見があるのだろうか?

それについては、次回以降 、大切に大切に書いていこうと思う。






取材協力


はやしやまクリニック 希望の家

〒654-0121 神戸市須磨区妙法寺字薮中1242番地
TEL 078-747-5335 FAX 078-747-5340

http://www.wataboushi.net/kibounoie/index.html



お忙しい中、すべてをオープンに取材させていただき感謝。

最初から読んでいくことができます。




MOTTAINAI(もったいない)

2004年ノーベル平和賞受賞者ワンガリ・マータイさんの提言した運動は、

「3つのR」(リデュース・リユース・リサイクル)を、たった一言で言い表している

ご存知と思うが、この言葉は、もともと日本にある言葉であるが
今回、徳島県の上勝町を取材して

「もったいない」精神が日常の知恵として根付いていたことを

感じることができた。



ゴミステーションを後にした私は、事務所に案内された。



彼らは、ゴミ・ウエィストの広報活動だけではなく、

さまざまな事業と掛け持ちで取り組んでおり非常に忙しい。


詳しくは、事務所「ひだまり」 参照。



事務所の中では、リユースに特化した取り組みが行われている。

以下の写真を見ていただきたい。



鯉のぼりから、枕

ジーンズからカバン


さまざまな生地から、新しいものを生み出していく。


この作業をたった一人行っているのは、清井ヤエ子さん。




もともとは、大量に発生した布団をどう活用するかに始まった。

布団は焼却ができないため、布団の綿を使って座布団を作成した。


その後、上勝町に視察が増え、リユースの大切さが浸透し

多くの注文が増えるようになった。

「思い出の服を何か手直しして、これからも持っていたい。」

このような依頼に対して、色々なアイデアを考えるのが楽しいそうだ。


清井さんは言う。


「私はみんながものを大切にする気持ちを伝えたい。

そして自分が頑張る事で、

年を取っても、精一杯生きている人がいるんだということを伝えたい。」


都会に住む老人たちにメッセージをいただいた。

「補助をもらいたいと思う人が増えているけど、それは甘えている。

やるだけやってみて、一人一人に勢いを持って欲しい」と・・。

さらに

自分にしかできないこれまでの経験を生かして、

自分本位でなく、もっと広い意味で問題意識を持ち、

次世代の子供たちの住みやすい社会にすることが、

私たち大人の義務なんだと。


頭で分かっていても、実践は難しい。

しかし、この町で多くの人がいう言葉。

人のため。

この思いはすごい力を発揮するんだと思うことができた。



ゴミ事業の渡部さんが語ってくれた言葉を引用する。

町から世界に向けて発信する。

政府と繋がるより、外国の市民団体と繋がったほうが早い。

政府とは一部としか繋がりあえず、

市民とは気持ちが繋がっていない

だから戦争が起こっても止められないのだと。


世界の市民団体と繋がりあっているということは

政府が戦争の決断をしても止める事ができるんだと。


人口2000人の町だけど、一人ひとりが役割を持っていきることは

こんなにも可能性を感じる力を発揮するんだと改めて知ることになる。




取材記まとめ


今回は、いろどり事業とゴミ事業の視察のみだったが、

過疎という危機が起こったことで、

住民の中で何とかしないといけないという気持ちになった。


住民と一丸となって町が真剣に取り組む。

多くのリーダーを誕生させる。

それが町全体に勢いを付けさせる原動力になったのだろう。


ゴミのリサイクルも、今でこそ注目されているが、

当初は反対の連続だったらしい。


反対する人は声が大きいので、大人数に感じるらしいのだ。

しかし求めている人がいるからこそ、発信し続ける。

やりたい人がいるから、システムを作ってあげる。

最初は少人数でもその輪が広がってくる。

時代を先に歩くとは、そういうことなのだそうだ。


次第に反対する人が減少し、当たり前の行動になると

逆に他の地域の仕組みが悪く見えて来るらしいのだ。


超一流のホテルマンが二流ホテルに行くと

自分のホテルがどれだけ素晴らしいかを再確認するようなもの。


上勝町の人たちは、多くの視察が訪れ、

たくさんの記事に紹介されることで、町に誇りを持つようになってきた。


そして、その町で活躍したいと多くの人が訪問し、

新しい風が起こり続ける。


短所と長所は、同じところにいる。

あんなに否定的だった山だらけの町の特長を生かし

・山に泊まってもらう体験学習(ワーキンホリデー)も開始した。

・棚田を貸し出すオーナー制度

・「日本で一番美しい村連合」の設立による自然景観・文化保護運動を開始


これからも上勝町は、上勝という町でしかできない

新しい取り組みをし常に発信し続けるだろうと思う。


数年後この町はもう過疎ではないかもしれない。

多くの人が住みたい町になってくるような気がした。







最後にたくさんある上勝町の活動から

もう一点だけ書く。


山ばかりの上勝だが、林業が廃れたため山は荒れ放題になっている。

これは、外国の木が安く輸入されるようになったためなのだが、

もっと日本の林業は栄えないといけないんだそうだ。

木が少ないのではなく、日本には木が余っている。

日本全国でこういった林業離れが増え、森林は手入れされないため育たず

そのおかげで土砂崩れや、温暖化の要因にもなっている。

現在は、間伐(木を間引き)を盛んにし、その間伐材を温泉のバイオ燃料として

活用している。

間引くことで日光が根元まで差込み、これが木の成長を促す。

間伐材を使うことで石油資源を使わないことによる

温室効果ガスの削減にも繋がっているそうだ。

さらに日本の林業が増えると、アマゾンの木を無駄に切らなくてもいい。

そして林業が盛んになると、仕事が増え、過疎はなくなる。


色々取り組んでいる上勝の町だが、林業という主産業が活性化することが

最も良い方法だとも語ってくれた。


余談だがコンビニメーカーの中には、割り箸に間伐した木を使うことで

環境問題に取り組んでいるところもある。




以上6回に分けて書いてきた上勝町では

さまざまなことを学ぶことができる。

そして視察はだれても受け入れてくれる

ぜひ一度訪問してみてはいかがだろうか??




取材協力


NPO法人ゼロ・ウェイストアカデミー

〒771-4501 徳島県勝浦郡上勝町大字福原字下日浦94-4
TEL&FAX   08854-4-6080

http://www.zwa.jp/newhp/index.htm




株式会社いろどり
〒771-4501 

徳島県勝浦郡上勝町大字福原字下横峯3-1
TEL/FAX:08854-6-0166


http://www.irodori.co.jp/






次回より


死を見つめ、生を考える場所。

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